2019年3月1日金曜日

親に伝えたい総論

 発達障害を伴う子供を対象にした診療をしていると、育てている親への助言が日々の活動の中で重要な位置を占める。通常こういった助言は生活の中の問題を具体的に取り上げ、具体的な対応を考える各論的助言の積み重ねが中心となる。総論を伝えたからといって具体的な問題が解決するわけではない。とはいえ、子供への接し方を工夫するときに一貫して念頭におくべき総論的な考え方もある。ここでは親に助言するときに伝えたい総論をまとめてみた。

1. 親の心構え

 まず、総論中の総論である。

1)親子で楽に暮らせることを目指す

 どういう未来を目指すのかというイメージを持つことは大切である。「良いこと」や「あるべき状態」を目指すと精神的に追い詰められやすい。少なくとも短期、中期的には親子で疲れず楽しく暮らせることを目指せば良いと思う。具体的にはしっかり眠れる、疲れたら休める、生活を楽しめることを目指すのである。

2)無駄な努力をしない、損得勘定で作戦を考える、情緒よりは技術

 子育てで煮詰まっている状態のかなりの部分は、何も成果がないにも関わらず同じ方向で頑張り続けていることが原因になっているのではないかと思う。成果が出れば多少の苦労も報われるが、何ら得るものがないままに頑張り続けてもエネルギーを消耗するだけである。世間には「無駄な苦労はない」などと無責任に言いたがる人が大勢いるが、耳を貸してはいけない。成果をあげるということは、言い換えれば損得勘定で作戦を練ることである。上記の「親子で楽に暮らせる」ことに少しでも近づければ「得」だし、遠のくなら「損」である。そして、得が損を上回るようにするために必要なものは合理的な技術である。決して子供への愛情と熱意などという情緒的なものではない。エンジニアになったつもりになって欲しい。

3)最初の仕事は諦めること

 さあ、子供にまつわる様々な問題を解決しよう!と動き始める時、最初の仕事は諦めることである。「この子はこういう子なんだ」、「この子にはまだ無理なんだ」と諦めることである。子供が計画的に親を追い詰めようとすることなどまずない。親の期待通りの状態にならないことには何か理由がある。その理由を何とかできなければ、親も子供自身も現状を変えることはできないのである。諦めることができるとまず、親が楽になる。「しゃあないなあ」と思えるだけで随分楽になる。さらに、何が「理由」なんだろうと落ち着いて子供や子供の周囲の状況を観察する余裕ができる。

4)人を頼る、人に助けを求める、人に迷惑をかける

 おそらく日本の社会の大きな特徴の一つではないかと睨んでいるのだが、自分の力で何事も解決すべきという呪いが蔓延している。しかし、冷静に考えればすぐに分かることであるが、人は誰も自分一人の力では生きていけない。「俺は自分の力で生きてきた」とほざくおっさんは多いが、その人達全てが日々多くの人に助けられながら生きているのである。お互いに、いかに上手く人に頼れるか、上手く人に助けられるか、ということが人間社会の土台の主要成分になっていると言っても良い。
 ところが困ったことに、日々の問題が大きくて疲労困憊している時ほど人に助けを求めにくくなる。平均的な子供を育てるだけでも結構大変なのだが、発達障害を伴う子供を育てる苦労は並大抵ではない。これを切り抜けるためには、一人でも多くの人から効果的な援助を受けることが必要だ。勇気を持って人を頼り、人に助けを求めないといけない。人に迷惑をかけることを心配している暇なんて親には無いのだ。なーに、心配はいらない。世の中の人は結構親切で優しい。意地悪く非難する人達の声は大きいので、世の中敵だらけに見えてしまうかもしれない。しかし、そういう人はむしろ少数派だ。声が大きいし、心を傷つけられがちなので非難の声だらけに思えるかもしれないけれど、結構世の中捨てたもんじゃないということを理解しておこう。ただし、人を頼るといっても以下に挙げたような特徴の強い人は避けておく方が良い。

・やたらとお説教をし、人の道を説きだす
・じっくりと話を聞いてくれない、自分ばかり喋ろうとする
・根拠もなく「大丈夫よ」とか「心配のしすぎ」とか言う
・暗いことばかり言う、すぐにイライラして脅し口調になる
・助言が抽象的なことばかりで、具体的にどう動けば良いのか分からない


5)「親の務め」ってなに?それ、食べられるの?

 僕が出会った例を振り返る限り、世の中の親は、特に自らが主体的に子育てに向き合っている場合、真面目な人が圧倒的に多い。こういう人達は「親なら〜すべき」と親の務めや義務を生真面目に果たそうとしている。この姿勢が100%悪いとも言わないが、問題を生じやすい。それは、実現不可能な目標を立ててしまいがちなことである。上に書いたこととも関連するが、何らかの理由があって上手くいかないことや問題は生じている。その多くはすぐには解決できないことなのである。1歳未満の乳児に、上手に箸でご飯を食べさせようとしても出来るわけがない。これと同じようなことを大真面目に目標にしてしまうと、親子揃ってひどく苦しむことになる。「べき論」とは距離を置く方が良い。なお、上に「特に自らが主体的に子育てに向き合っている場合」との但し書きを書いたのは、子育てをパートナーに全面的に任せてしまっている親もいるからである。そういう親は生真面目に頑張るというよりも、批評家的にパートナーにケチをつける人が多い気がする。

2. 子供に接する上での基本戦略

1)まず目指すことは、本人を変えることではなく環境を変えること

 自閉スペクトラム症であれ、注意欠如・多動症であれ、発達障害と呼ばれる状態の特徴は物の認識の仕方や振る舞い方の特徴である。暮らし辛さにつながっていくので症状と捉え診断に繋がるが、取り立てて暮らし辛さに繋がらなければ「性格」と称しても良い、その子供個人の基本的な特徴の一部である。自分の性格を変えたいと考える人はよくいるが、短期間で変えることなど不可能である。つまり、発達障害としての特徴を無くそうとすることは別の人間に変えようとしていることに等しい。無理なのである。したがって、発達障害を伴う子供を支援する上でまず考えないといけないことは環境を変えることである。発達障害の特徴を持ったそのままの状態を受け入れ、そのような特徴を持っていても困ることが減り出来ることが増えるように環境を変えることなのである。本人以外のものは全て環境であるが、とりわけ重要な環境は親や学校園の指導者など、子供に対して指導的立場にいる大人たちである。家や土地、風土を急に変えることは困難であるが、大人なら自ら子供への接し方を変えることは可能である。

2)出来ていることに注目、出来ていないことは無視

 発達障害と診断される子供は皆、何もできない子供では決してない。それどころか、出来ることの方が圧倒的に多い。夜寝て日中は起きているだろうし、毎日ご飯は食べているだろう。着替えも出来るようになっているかもしれないし、保育園には通っているかもしれない。このレベルから改めて生活を見直せば、出来ないことより出来ていることの方が圧倒的に多いことに気づくはずである。気が散りやすく課題に集中できないとしても断続的に取り組めていれば、その断続的に取り組んでいる状態が出来ていることだ。出来ていることを意識しこまめに褒めると、出来ていることはより一層増えるし完成度も高まる。その一方で、上手くいかないこと、失敗していることは余程の実害がなければ気づかぬふりで無視することが原則である。これを徹底すると、次第にできていることが一層増え、その一方で問題は減っていく。

3)本人の納得は大切

 大人が子供に何かをさせよう、あるいは何らかの行動を止めさせようとするとき、それが当然のことだからという意識を持っていることが多い。しかし子供の立場で考えると、突然に気が進まない行動を強制されたとか、不当に自分の活動を妨害されたという風に感じることになる。いくら世間一般から見て正しいことであっても、突然何かの振る舞いを強制されたり禁止されたりしたら大人でも俄かには納得できない。1回か2回なら黙って従うかもしれないが、こういう「無理強い」が繰り返されたら素直に従えなくなるだろうし、相手に敵意を持つことにもなるだろう。これは子供でも大人でも同じことである。余程の事情がない限り、子供が納得できることを尊重した接し方が必要である。

4)変わり者を認める

 発達障害を伴う子供達は平均的な人に比べると振る舞い方や物の考え方がちょっとずれている。つまり、「変わり者」なのである。隅から隅まで周りの子供達と同じように振舞わねばならないと考えると親も子供も苦しみが増える一方である。ちょっと変わったところがあっても実害がない限りは、変わり者で良いではないかと受け入れてしまうとだいぶ楽に過ごせるようになる。

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