2018年3月28日水曜日

続くことと切れること

 12年前、僕は年男だった。そしてその年に僕は私立大学文系学部の教員になった。我ながら柄にもないと思うのだが、「教育者」になった訳だ。厳密に言えばそれ以前も名目上は大学教員だったのだが、実態は大学付属病院の勤務医だったので教員という意識はほとんどなかった。そして12年経った今年、年男である僕は自分に不似合いな大学教員を辞し、医療職に戻ることになった。ここでは転職に伴って抱いた極めて私的な感情について述べようと思う。それは、転職に伴う罪悪感についてである。
 大学病院勤務を実質的に教職ではないとみなせば、僕が教職を辞するのは今回が初めてである。しかし、医療職として勤務していた施設を辞めることは今までに何度もあった。この度も職を変わるに伴い非常勤医として通っていた病院をいくつか辞めることになった。病院を辞する時、僕はいつも少なからぬ罪悪感を感じる。これは非常勤の病院であっても同じである。何に対する罪悪感かと言えば、長く受診してくれる患者を継続して診られなくなることに対する罪悪感だ。大した力もない僕を、それでも頼ってくれていた患者との付き合いを続けられなくなることに、胸中痛みを感じるのである。
 今年大学を去るにあたり、医療職を辞める時とは違うことに気づいた。あまり罪悪感を感じないのである。もちろん、碌な仕事をしていなかった僕でも辞めるとなれば、僕が担当していた講義の担当者を探すことを始めとする諸々の後始末を他の職員がすることになる。申し訳ないといえば申し訳ない。しかし、これは職務の範囲内である。僕の様な義理人情に薄い人間にとってはもともと大した話ではない。僕がおやっと思ったのは、学生に対しての罪悪感の乏しさである。医師にとっての患者は教員にとっての学生であるからして、辞めるとなれば学生に対する申し訳なさで胸が痛むかと言えばそうでもない。病院を辞めるときに患者に申し訳ないという気持ちが湧いてくるのに、学生に申し訳ないという気持ちは湧かないのである。ただ、唯一の例外がある。それは2年間の付き合いをする予定であったのにたった1年で放り出してしまうことになったゼミ生達である。彼らに対してだけは申し訳ないという思いが強く残った。まさにここがポイントである。本来なら今後も付き合い責任を負うはずであるという継続性があるかないかが罪悪感を覚えるかどうかの境界線なのだ。原則として、教員の仕事は連続性が乏しい。あるいは節目が明確であると言っても良い。基本的に年度ごとに一区切りになる。大学の教員であれば半期の講義ごとに一仕事が済んでしまう。もともと「切りがついた」という感覚を持ちやすいのではないだろうか。一方、臨床医は様々な患者を並行して診ているので、切れ目を感じにくい。特に僕は専門が子供の障害であるため、それぞれの患者との付き合いが何年にも渡ることは普通である。
 ところで、以前から気になっていたのだが小中学校の教師は申し送りをしない。発達障害を伴うなど特別な支援が必要な子供に対して、多くの教師は熱心に対応する。その過程で、その子供についての沢山の気付きがあるだろうし、自ら支援の手立てを工夫することも多いだろう。せっかく積み重ねた貴重な経験を次の担任に伝えれば、子供本人にも次の担任にも大きな助けになるに違いない。しかし、僕の経験する限りでは、旧担任から新担任への引き継ぎが丁寧に行われていることは滅多にない。もちろん例外はあるが。今まで僕は、教師間の引き継ぎが充分にされないのは医師がカルテを書くことに匹敵する生徒個人個人の記録を残す習慣が無いことや、個々の子供ではなく子供集団として考えやすいことが関係しているのだろうかと想像していた。これらに加えて、この度の退職にまつわる個人的感慨から、ひょっとしたら教師は年度単位で考える習慣が身に付き継続性を考慮しにくいのかもしれないなあと気付いたのだ。もちろん僕の勝手な想像であり、不確実な話である。
 さて、来週から新しい職場の生活が始まる。感傷に浸って根拠なく愚にもつかない想像を巡らすのはここまでにしておこう。