2018年2月14日水曜日

教育改革の火付け役(になればいいなあ)

 久しぶりのブログ更新だが、前回に引き続いてリーディングスキルテスト(RST)に関連した話題である。つい先日、RSTを開発した新井紀子さんの「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」(東洋経済新報社、2018/2/2)が出版された。内容の骨子は新井さんが既に様々な媒体で主張されていることであり、興味を持って新井さんの発言を追いかけてきた僕としては、本書の大まかな主張は既に知っていた。それは、おおよそ以下のようなことである:
・現状のAI技術は統計を基盤としており論理に基づく処理はあまりできないし意味は理解できない。
・AI技術は数学で記述できることしか処理できないため現状では完全に人の知性と同等のことができる様にはならない。したがってシンギュラリティはこない。
・AIに大学入試センターや模試を受験させる東ロボくんプロジェクトの結果、AIは東大に合格できないものの多くの高校生よりは成績が良い。
・東ロボくんプロジェクトを基盤として開発したRSTを使った調査では中学生の2、3割は係り受けや照応などの表面的な文章理解ができない。表面的な文章理解ができる生徒でも同義文判定や推論など、より深い文章理解ができない生徒が多い。つまり、教科書を理解できない中学生が驚くほど多い。
読む前からある程度内容を把握していたとはいえ、一冊の書籍としてまとめてあると、インターネット上にある短い記事をランダムに読んでいたのでは認識できなかったことが理解できる様になる。例えば、コンピューターの限界は数学で規定されることは分かっていたが、その数学でできることは論理と確率・統計だけしかないということは意識して考えたことはなかった。また、ディープラーニングが流行り言葉として飛びかうようになったが、ビッグデータを放り込んでおけばAIが勝手に色々勉強してくれるのかと言えばさにあらず、どのような教師データを用意するかということでAIが認識できるものは全く異なるということも目から鱗であった。そのため、AIに何を認識させるかという枠組みを明確にした上で、目的に沿った良質な教師データを作成する作業に膨大な人手や資金が必要になる。言われてみればそりゃそうだろうなあという話なんだけど、きちんと説明されないと凡人の思考は広がらないものである。
 僕にとって最も収穫であったのは、RSTに関する具体的でまとまった説明を読めたことだ。RSTは「係り受け」、「照応」、「同義文判定」、「推論」、「イメージ同定」、「具体例同定(辞書)」、「具体例同定(数学)」という6つの分野の問題群から成り立っている。この中で「係り受け」と「照応」の問題はAIが比較的対応できるが、それ以外はAIにとって難しい。各分野ごとの学年別の成績が細かく解説されているが、中学卒業までには「係り受け」と「照応」の問題はかなりできるようになる。しかし、AIが苦手である領域は子供達の成績も悪く、特に「同義文判定」と「具体例同定」は高等学校2年生でも半数以上がほとんど理解できていないという結果である。
 その他、RSTを応用して新たな指導方法を探り出し成果を挙げつつある自治体の話や、RSTの成績と家庭の経済状況には負の相関があること、新井さんの考える将来像など、興味深い話が色々書いてあり、面白かった。
 ただ単に面白かっただけではなく、この本を読んでいると色々妄想が膨らんだ。その一つは、東ロボくんから発展したRSTとその調査結果は様々な領域の研究者を刺激するのではなかろうかということである。もともと東ロボくんプロジェクトは、数学者である新井さんをはじめ、言語学者やコンピューターサイエンスの研究者たちが関わっている極めて学際的な活動である。そして、RSTには様々な年齢の、しかも膨大な数の現実に生きている子供達のデータが既にあり、今現在さらに増えつつある。人間の言語活動を研究する、少なくとも科学的な手法で研究する人々には大変魅力的な材料に見えると思う。人間はどのように言語を理解するのか、書字言語と音声言語との関係、言語活動の基盤となる脳の活動とはどのようなものか、といった研究をしている人の多くはRSTに関心を持つのではないだろうか。社会学や福祉領域の人たちも結構興味を持つかもしれない。
 僕の関係する領域に絞れば、小児期早期の文字習得レベルや発達性読み書き障害の有無と中高校のRST成績の関連は、現実的な意味を持つ検討課題である。典型的な発達性読み書き障害は文字の音声化に拙劣さがある。発達性読み書き障害のある人は読字の流暢性に劣るため、読字に過剰な認知資源が投入され、当然読解力も低下すると考えられている。本書でも「係り受け」や「照応」の問題で躓く生徒には読み障害が含まれている可能性があると述べられている。新井さんは中学1年生でのRST受験が読み障害の早期診断と早期支援ににつながらないかと述べているが、中学1年生では早期とは言えない。小学校低学年までに発達性読み書き障害の診断はほぼ可能なのである。実際に発達性読み書き障害の子供が中学生になった時のRST成績の特徴はどのようなものか、早期の読字訓練が将来のRST結果を改善するか、読字訓練以外にRST結果が改善する要因はあるのか、といったテーマでの縦断的な研究は極めて有意義ではないだろうか。
 読字能力以外にRSTに影響を与える医学的な要因として、注意障害の関与も気になるところである。本書に記載された実際のRSTの問題と誤答の例を見ていると、「理解できない」ことによる誤答に加えて「きちんと読んでいない」誤答が多いのではないかという気がする。注意障害のある子供では読み飛ばしが非常に多い。さらに、こういった子供たちは考えること自体を面倒臭がることが多い。注意障害によって読解力が落ちている可能性が高い子供たちに対しては薬物療法による改善も期待できる。注意障害とRST成績との関連も僕にとっては非常に興味深い課題である。
 この本を読んで浮かんだ妄想をもう一つ付け加える。幸いなことに、新井さんたちの努力の結果であるが、RSTは非常に世間の注目を浴びている。メディアの取材記事も多いし、この書籍も出版されて1カ月も立っていないのにかなり売れているようだ。正確には3日で重版出来とのことである。RSTのことや中高校生の読解力の問題に人々が注目するようになれば、日本の教育行政が科学的な根拠に基づいたものに変わって行く可能性があるのではないだろうか。日本の教育はあまりにも情緒的な思い込みや、客観的な根拠のない主張に基づき過ぎているのではないかと僕は疑っている。ICTや早期の英語教育の導入あるいは限られた予算しかない中での幼児教育無償化など、有効性を示す客観的根拠や施策の重要性に基づく優先順位への考慮に欠けた政策が次々と打ち出される。また、せっかくゆとり教育という壮大な実験をしたのに、科学的な検証を十分にしないままに路線変更をしている。こういった現状にRSTが楔を打ち込み、より客観的な根拠に基づき問題解決志向の強い教育行政に変化していかないだろうかと、かすかに、ほんのかすかに、期待しているのである。