2016年7月23日土曜日

小児一般外来での発達障害を伴う子供の診療

この文章は、随分前にほぼ書き上げていた。しかし、公開するかどうかをかなり迷い、引き伸ばしていた。この文章には問題がある。そして、我ながら能天気な文章だと思う。まず、第1の問題は、小児の一般外来で診療する上での1番のネックは時間をかけられないことだと言いながら、ここに書いてある通りに診療しようとすると結局長い時間を要することになりそうである。第2の問題は、医師に発達障害に関するかなりの知識があることを前提にしている。べき論が好きな人は、診療する以上は医師に深い知識があって当然と言うだろう。しかし、膨大な領域をカバーする医学教育で発達障害に関する教育はほんの一部にしか過ぎない。しかも、診断だけするのであればともかく、何らかの助言や援助をしていこうとすれば、行動分析などの心理学、教育、福祉など、通常医学部では教えられない知識が必要になってくる。そうでなくても医師不足で激務にさらされている小児科医が、他の疾患と並行して発達障害について勉強しようとしても限界がある。結局、発達障害児支援を医療中心に組み立てることには無理があるのだと思う。「診断」がつきまとうため、どうしても医療が前面に出がちだが、実際には医療が必須になるケースなどさして多くない。医療が不可欠なのは、特殊な基礎疾患や合併疾患があるか、2次障害に悩まされている場合くらいである。現在発達障害に関連して問題が生じている多くのケースは、「ちょっと変わった子供」を教育や保育が上手く受容できる様になれば解決するものが圧倒的に多いのではないだろうか。発達障害児を診療する医療機関を増やすよりも、教員や保育士のスキルを向上させるとともに、親を追い詰めず支える仕組みを考える方が有用性が高いのではないだろうか。

 ここでは、小児科の一般外来で発達障害に関する相談を受けた際、どの程度のことをすれば良いのかということについて書きたい。エビデンスに基づいたものではなく、全くの私見である。こういう風に診療してくれたらいいなあ、という僕の個人的希望と言っても良い。
 発達障害専門外来ではなく、小児一般外来で発達障害関連の相談を受けた時、最も問題になるのは時間である。以前にも書いたことがあるが(「発達障害診療」「発達障害の診断と料理」)、診断がつくまでのプロセスだけに限定しても、発達障害診療では本人や家族(場合によっては教師・保育士とも)と長時間話をする必要がある。何となれば、発達障害の診断は日常行動を詳細に把握することに基づいてなされるからである。知能検査をはじめとする様々な検査も重要だが、限局性学習症(特異的学習障害)を除き、検査が診断の中心的な根拠になることはない。診断にとって最も重要なことは話を聞くことである。時間は発達障害診療にとっての最大の武器と言って良い。ところが一般的に小児科医は忙しい。一人の患者に1時間はおろか30分を割くことさえ難しいことが多い。
 小児科の一般外来で発達障害の診療をする際には、ごく短時間で発達障害児やその家族に貢献するためには何をするかということが肝となる。そのポイントは以下の通りである。

1)何に困っているのかを具体的に明確化する
2)本人の認知・行動特徴を推測し、環境との不整合を検討する
3)ささやかな助言をする
4)養育者の強みを探す
5)地域の資源を知る努力をする

1)何に困っているのかを具体的に明確化する
 一般的に子供の日常に何か問題を感じたため親が病院受診を考えたとき、あるいは教師が受診を勧めるとき、何らかの診断が下りることを期待する場合が多い。ところが、発達障害の診療では必ずしも診断の優先順位は高くない。診断は重要なのだが、診断以上に重要なことがある。本人が日常生活で何に困っているのかを具体的に認識することである。実は、日常的に何に困っているかを明らかにする作業の延長線上に診断が存在する。逆に、困っていることの具体を認識できないままに無理に診断しても、日常的に何に困るかを充分に予測できないし、支援につなげられない。

2)本人の認知・行動特徴を推測し、環境との不整合を検討する
 「日常的に何に困っているかを明らかにする作業の延長線上」とは、結果(現実に生じている現象)を具体的に把握し、それが生じる機序を推測するプロセスを意味する。発達障害とは、それが注意欠如・多動症であれ、自閉スペクトラム症であれ、何らかの認知特性や行動特性が大多数の人たちより少々ずれている状態である。そして、そのずれ具合を許容できない環境に暮らしていることから日常的に様々な困難に遭遇しているのである。その、一つ一つの困っている状況を分析することにより、本人の行動特性や認知特性の特徴が浮かび上がってくるし、それを許容できない環境の特徴が整理できるようになる。
 こう考えると、何に困っているかを明確化することと、環境との不整合を生じさせる認知・行動特徴を推測することは密接な関係にあり、分離することはできないことがわかる。もちろん何から話を始めるかといえば、何に困っているのかという事実の検証からである。その際、より具体的な状況を把握できるほど、行動と認知の特徴や、それらと環境との関係性を推測する良い手がかりとなる。生じた問題そのものだけではなく、その前後の状況の推移を含めて、ドラマに再構成できるような具体性を持った聞き取り方ができるとよい。その上で、起きた現象を、注意集中力の弱さ、反射的な反応や思考の抑制能力の問題、人の気持ちを直感的に推測する能力の低さ、複数の情報を並行して処理することの苦手さ、文脈を考慮した推論の弱さ、感情の不安定さや不安、など色々な認知的問題や行動特徴でうまく説明ができるかどうか考えていくことで、本人の特性を推測していくわけである。
 こうなると、日常生活上の1エピソードについて聞き出すだけで結構時間がかかりそうである。生活のすべての状況においてつぶさに聞き取ろうとすれば、膨大な時間を必要とすることは間違いない。だが、一気に漏れなく聞き取らなくても良いのである。その子供の状況にもよるが、通常こういう問題では一回の診療で全ての話を聞く必要はない。繰り返し受診してもらい、そのたびに一つか二つのエピソードを聞き取り、なにがしかの対処法を提案するということを何回か繰り返し、状態把握と経過観察を兼ねれば良い。「なにがしかの対処法」については後述する。もちろん、受診した子供によっては切迫した事情があるかもしれない。そういう時はさっさと専門病院に紹介すれば良い。発達障害に関連した問題で医療機関を受診する多くのケースでは、保護者は病院受診に対してなにがしかためらいを持っている。本当に病院を受診するほどのことなのだろうかと。こういう場合、結論を急ぐことよりも、現在存在する問題点をゆっくりと整理する方がむしろ良いのである。
 改めて強調するが、発達障害が疑われる例では診断することをむやみに急がない方が良いことが多い。親が問題を十分に整理できていない状況で、十分な説明抜きに診断名だけを告げられると、かなり強く動揺し、前向きに問題に向き合えない危険性がある。逆に、不十分な情報をもとに「何も問題なし」という結論を出してしまうと、多くの親はその言葉に強くすがり、現実に生じている種々の問題を否定し続けることになり、結局は子供自身の辛い状況が長引きかねない。1回の診療で結論を出さず、時間をかけながら問題の整理をしていくという作業は、間怠っこしいように見えて意外に問題解決への最短距離になることが多いのではないかと思う。

3)ささやかな助言をする
 事実関係の整理を進めるだけで、大きな成果である。なぜなら、親が客観的かつ具体的に問題状況を把握できるようになることで、改めて問題を問題と認識でき、自ら解決策を模索できるようになる可能性が上がるからだ。また、具体的な問題を整理する過程で、子供の認知・行動特性への理解が進むことも解決策につながっていく。さらに、専門家のいる病院を受診することになった時に、状況を具体的に把握していることでより効率的で有意義な診療ができる確率が高まるからである。とはいえ、受診する側としては何らかの解決策を期待するし、医師の側も聞き出すことだけに終始して何のアドバイスもせずに帰すのでは目覚めが悪いだろう。そう考えると、聴き取れたエピソードごとにちょっとした助言ができることが望ましい。
 一つか二つのエピソードを聴き取るだけでも、ある程度その子供がどういう認知・行動特性を持っているか仮説を立てることが出来るし、その仮説をもとに環境のどういう要素がその子供に合っていないのかを推測できる。何か対応策を保護者に提案するとき、具体的にはケースバイケースであるが、以下の点に留意すると良いだろう。

a)諦める
b)出来ていることを見つける
c)実行可能性が高い具体的な提案

 のっけから「諦める」では身も蓋もないと思われるかもしれないが、これは大事なことである。問題解決を焦るあまり、合理性のない対処法を闇雲に追い求めることで親は疲弊するし、下手すれば子供の問題がますます複雑化する。意味のない、あるいはむしろ事態を悪化させる対応を続けるよりは、一旦諦めて現状を認めてしまった方が、親はエネルギーを温存できるし問題が拡大することを防ぐことにもつながる。永遠にではなく、合理的対処を計画できるまで諦めてもらうのである。
 発達障害児が直面する様々な日常的問題に対処するとき、親や教師は上手く行っていないことに注目する。そして、どうやって問題を減らしていくかに頭を悩ませる。しかし、すでに出来ていることをさらに増やしたり改良することの方が実現性が高いことが多い。問題(出来ないこと)の周辺にもすでに出来ていることが多くある。授業中おしゃべりが多い子供でも数分間静かにしていることは多いし、食事中立ち歩く子供にも座って食べている数分間は必ずある。すぐに他の子供を叩く子でも平和に遊んでいることは多い。そういう出来ていることをさらに伸ばしていくと、全体としては問題が減少することになる。具体的なアクションにまで言及できなくても、子供の出来ていることに保護者が気付けるように手助けするだけでも大きな意義があると思う。
 「こうしたら良いのではないか」などと何か対策を提案をするときは、子共自身にとっても、親にとっても、実行し成功する可能性の高い、言い換えればハードルの低い提案をすべきである。病院で相談する事態に至っているときは、親子で自信を失っていることが普通である。こういう時は、ささやかでも成功することを積み重ねることで、さらに前へ進むことへの自信を取り戻すことになる。えてして親自身は高い目標設定やノルマを計画しがちである。主治医はブレーキ役を引き受ける方が良い。

4)養育者の強みを探す
 保護者の話を聞きながら、特に上記の子供の出来ていることを見つける作業をする過程で、保護者自身の上手に接している点を見つける努力が必要である。仮に主訴が親の指示に従わないことであり、教えたことを身につけないことであり、叱っても叱っても他者に暴力を振るうことであったとする。しかし、24時間問題を発生し続ける子供はいない。よく確認すれば、しばしば親の指示通りに動いているし、1年前や2年前と比較すれば多くのことを習得できているし、他の子供と平和なやり取りをしていることも多いのである。こういった多くの力を子供が身につけることができているのは親の手柄である。親が子供に何らかの有効な接し方をしていることの証拠である。自身が理想とするレベルに達していないにしても、ほとんどの親は子育てにおいて決して無力ではない。
 親は自分のやり方の何が悪いのかということに注目して反省しがちなのだが、これは非建設的である。むしろ、自分の力は何か、強みは何かを自覚し、それを少しでも活かせるような工夫を積み重ねた方が効率が良い。従って、主治医は子育てにおける親の強みや、上手くやっている具体を繰り返し指摘する方が良い。

5)地域の資源を知る努力をする

 発達障害児のサポートを病院だけで完結することはできない。これは一般小児科だけではなく、発達障害を専門に診療している病院にも言えることである。地域の行政・制度、福祉、教育などの領域の中に用意されている支援制度やキーパーソンを把握し、必要に応じて繋いでいくことができると、発達障害児自身も保護者も随分救われることが多い。すべての領域に通じる一元的窓口が地域にあれば理想的だが、現実はなかなかそういう仕組みになっていない。したがって、医師個人が地域の現状を多く把握しているほど、有効な助言をしやすくなる。

 以上、思うところをくだくだと書いてみた。まあ、本気で考えていることを率直に書いたのではあるが、読み返してみるとこりゃ大変だという気もする。