2017年2月19日日曜日

このままでは将来困るから

 片付けがてんでダメで、忘れ物も多いが面倒臭くてメモも取れないという子供がよくいる。何度もなんども教師が注意したり叱ったりするものの一向に改善の兆しがない。もうこうなったら自分で解決することはまず無理だし、といって放置すると様々なことで不利になる。だったらこまめに指示を出したり、必要な手順を表にして机に置いてあげるなりして、苦手なことで躓きっぱなしになることを避け、本来自分が持っている能力を十分に発揮できるようにしてあげる必要がある。
 僕の外来にはこういうタイプの子供がよく受診する。最近、こういう片付けが全くできないしメモも取れない子供を育てているお母さんが、学校の先生に連絡帳をきちんと書いているかどうかを確認して欲しいと頼んだ時の経験を語っていた。本人任せではまず無理なので先生に協力して欲しいと頼んだ訳だが、教師は「このままずっと自分でできないと将来困ることになる。だから手伝うべきではない。」と返事をしたとのことであった。
 「このままでは将来困るから」というセリフはこの事例に限らずとてもよく耳にする言葉である。片付けができず忘れ物が多い子供がいても「このままでは将来困るから」手伝うことなく自分でなんとかさせようとする。何かと言えば口を荒らす子供には、「このままでは将来困るから」悪い言葉遣いをするたびに逐一叱ろうとする。発達障害のある子供のための専門外来をしていると、稀ならず見聞するエピソードである。
 この種のエピソードにはほぼ例外なく共通する問題がある。「このままでは将来困るから」という意見に問題はない。確かに困る可能性が高い。ならば、少しでも将来が明るくなるように変化をもたらす方策を探るべきだろう。しかし、担任がこういうセリフを口にする事例では、1ヶ月経っても半年経っても事態がほとんど改善していないのである。改善しないどころか子供本人は一層投げやりになっていたりもする。本当に「このままでは将来困るから」と心配するのであれば、何か有効な対策を考えようとするのが自然な発想だと思う。しかし、少なくとも個人的な経験で見る限りは、積極的な援助策を講じようとしない教師に限って「このままでは将来困るから」と口にしがちである。そして、「自主性を育てる」と称してうっかりぼんやりした子供には忘れ物が多い状態を続けさせる。口を荒らす子供がますます荒れ出しても、口を開くたびに細かく細かく叱り続けることになる。そして時々、ちっとも改善しないとこぼしてため息をつく。
 多分、今までのやり方と違うことをするのが面倒なのだろう。別に教師に限った話ではない。今まで繰り返してきたやり方を変えることに強い抵抗を感じる人は一定数いると思う。そして、十年一日のごとく同じ行動をとることに問題があるかもしれないと指摘されかけた時、自分の振る舞いを正当化する理由が必要になる。それが「このままでは将来困るから」なのではないだろうか。真の問題設定として「このままでは将来困るから」と思うなら、成果を出せそうな戦略を立てる必要があるし、一定期間の後に成果が上がっているかどうかを評価する必要がある。言うまでもなく、何ヶ月あるいは半年も事態が改善しないような介入法が成果を出せるはずがない。
 上記のお母さんには、先生にこう言ように提案しておいた。「なるほど、手助けせずに放っておいたらこの子は自分でできるようになるのですね。先生は勝算をお持ちなのですね。あと何ヶ月見れば明らかな改善が見られると計算しておられますか。もしその時まで待っても改善が見られない場合には、次に打つ手も準備されているのですね。」

2017年2月14日火曜日

宣言的記憶の発達

 人の記憶はどのくらいの時間情報を保持できるかで短期記憶と長期記憶に分けられる(厳密には短期記憶よりも保持期間の短い感覚記憶がある)。長期記憶は記憶内容を意識できる宣言的記憶と、意識できない非宣言的記憶に分けられる。そして、宣言的記憶には、世界の事実についての記憶である意味記憶と、自伝的出来事の記憶であるエピソード記憶が含まれる。言葉の意味を知っていたり、者の名前を知っていたり、何かの理論を知っているというような、いわゆる「知識」は意味記憶になる。これに対して、大学の受験の日には珍しく雪が結構降って辺りが白くなっていたなあとか、昨夜飲んだ味噌汁は少し辛かったなあというような、いつ、どこで、誰が、何を、という情報と強く結びついた記憶がエピソード記憶である。
 神経学の教科書に記述してある知識ではこういったことをさらっと書いてあるので、ふむふむ宣言的記憶は意味記憶とエピソード記憶に分かれるんだな、2つの違う種類の記憶があるんだ、と考えがちだ(少なくとも僕はそう理解していた)。しかし、記憶の発達研究の知見を見ると、意味記憶とエピソード記憶は結構関係が深い。
 発達の過程で最も早く確認できる記憶は視覚性再認記憶である。これは、目の前に提示されたものが過去に見たことがあると認識する記憶である。乳児には見慣れたものよりも新しい刺激を好む新奇選好という特性がある。これを利用して、過去に見たことがあるものと見たことのないものを同時に見せて、乳児がどちらを長く見るかを検証すれば、見たことがあると記憶しているかどうかを確認できる。一つのものを見なれさせた直後なら新生児でもどちらが目新しいかを判断できるし、生後3ヶ月児なら丸1日記憶が保たれる。
 乳児期早期には特定のものを知っているかどうかを判断するだけの単純な記憶であったものが、生後半年を過ぎると記憶の構成要素同士を関連づけることができるようになる。例えば特定の顔を記憶するときに、顔を提示された時の背景を結びつけて記憶できるようになる。複数の要素を関連づける機能は2歳にかけて次第に発達し、関連づけられる要素の数が増えるだけではなく、柔軟性を増していく。例えば、遅延模倣課題という手法を使った実験で判明したことにこのようなものがある。遅延模倣課題では、検査者が人形を使って演じた一連の動作を一定の遅延時間後に子供が模倣するかどうかを確かめる。生後半年過ぎの乳児でもこの課題で、連続した複数の動作を模倣することが可能である。しかし、実験者が動作を演じた時と記憶確認時で人形が異なっていると模倣できなくなる。ところが、1歳半を過ぎると違う人形を見せられても、検査者が演じた動作を模倣できるようになる。人形を使って演じる「動作」と、別の「人形」とを新たに関連づけることが可能となったのである。
 記憶の構成要素を柔軟に関連づけられるようになってくると、エピソード記憶が機能し始める。エピソード記憶は唯一の空間的時間的文脈の中で生じた出来事の記憶である。つまり、経験された文脈の詳細に関する記憶が必要となる。このような記憶を情報源記憶とも呼ぶ。エピソード記憶が機能するためには情報源記憶が必要である。情報源記憶は未熟ながらも3〜4歳の子供で確認でき、その後10歳を超えるまで発達し続けると考えられている。
 以上をまとめると、まず知っているものを初めて見るものから区別できるようになり、ついで記憶の構成要素同士を関連づけられるようになり、関連付けがより柔軟になってくる頃に情報源記憶が成立しエピソード記憶が機能しだす。様々な要素を柔軟に関連づけて記憶できるようになれば意味記憶を維持するには十分である。つまり、意味記憶がエピソード記憶より先に完成するのである。意味記憶とエピソード記憶はいずれも大脳の内側側頭葉、特に海馬体という部位の機能によって支えられていることが分かっている。共通した脳部位が担っていることと、出現順序およびその連続性を考慮すると、意味記憶はエピソード記憶のベースとなっている可能性が高い。
 僕は記憶力が弱い。記憶全般に問題があるので、僕の海馬体は安普請なのだろう。中でもエピソード記憶が極めて弱い。ついで機械的暗記が大変苦手である。その一方で、何らかの理屈や理論になったものは比較的覚えていることができる。これは何を意味しているのかよくわからないが、複雑に関連づけられたものはかろうじて覚えているということなのだろうか。最近、記憶の発達について調べる機会があった。記憶について勉強したからといって記憶が改善するわけではない。調べたこともすぐに忘れていくのだろう。せめて要点を文章にして残しておこう。それがこの文章を書いた動機である。時が過ぎて、記憶の発達について調べたということさえ忘れても、ささやかな爪痕が残っているのを目にすれば多少思うところがあるのではないかと期待して。

2017年2月3日金曜日

大人ってえ奴は

 子供は能力が低いし、狭い世界のことしか分かっていないし、本当に大したことない奴らのくせに、いろいろ屁理屈をこねて大人を批判する。大人は信用できないなどとほざいたりする。全くもって度し難い奴らだぜ。子供は黙って大人の言うことを聞いていりゃあそれで良いんだよっ!と言いたくなることがないといえば嘘になる。しかし、事実大人は信用できないと思わせるようなことをよくしでかすのである。僕にも未だに忘れられない、大人に不信感を抱いたエピソードがある。

1)小学生の頃、僕は本が好きだった。それを良しとしてくれたのだろう。僕の親は、馴染みの本屋に話をつけ、僕が読みたいと思う本を何でも持って帰って良いことにし、その代金を払ってくれていた。おかげで暇があれば本屋に長居をし、延々としゃがみこんで立ち読み(?)をしていた。いつも立ち上がった時にはめまいがしていたことを覚えている。そして自由に本を選んで家に持ち帰り、続きを読んでいた。読みたい本を自由に読める環境を作ってくれたことを、今考えても親に感謝すべきことだと思っている。しかし、この思い出には消し難い染みがついている。ある日、僕はふと六法全書を手に取った。社会の仕組みも大して知らない小学生だったので、当然法律なんてよく知らなかった。ただ、世の中の様々なことが法律で定められており、法律は重要であることだけは知っていた。どんなことが定められているのだろうか。一度興味を持つと、当然好奇心を抑えられるわけがない。そこで、六法全書を読もうと考え、問題があるなどとは夢にも思わず、いつものように家に持ち帰ったのである。しかし、その時はなぜか母親が六法全書を見るなり怒り出した。何を言われたのか、はっきりとは覚えていない。なぜこのようなものを持って帰るのか。こんなものを読むと屁理屈ばかりこねるようになる。というようなことを言われたような気がする。そして母は、僕から六法全書を取り上げ、本屋に返したのである。好きな本を買って読めば良いと言われているのに、なぜ六法全書はダメなのか、しかも、叱られねばならぬ程のことだったのか。僕にはさっぱり分からなかった。当時全く納得できなかったし、いまでも納得できるとはいえない。

2)中学生になり、英語の授業が始まった。今は英語への苦手意識が強いのだが、中学生の頃は特に好きでもないものの、嫌いでもなかった。その頃、英語の授業内容のせいではないのだが、英語に関連して不満を持っていることがあった。それは、自分の名前を”Tatsuya Ogino”と書かねばいけないことだ。僕は取り立てて国粋主義者ではない。それどころか、その頃から無謀な戦争に走った日本を子供心にアホと違うかと思ったりするような子供だった。しかし、固有名詞、それも個人のアイデンティティである名前を別の言い方にすることに抵抗があったのだ。固有名詞なのになぜ他国の流儀に合わせねばならないのだろうか。しかも、国外では英語で表記するときもfirst nameを先に書かない国もあるらしいとも知り、なおのこと疑問を感じるようになっていた。そういう背景があったため、何年生の時か忘れたのだが、英語のテストで名前を”Ogino Tatsuya”と記述した。その日のうちか、後日かは忘れたが、英語の教師が僕を捕まえ、血相変えて怒り出したのである。年配の(といっても今の僕よりは若かったのかもしれない)女性であるその先生は、まさしく血相を変えていた。テスト問題への解答自体は結構良かったように記憶している。Family nameを最初に書いたというそのことだけで、目を釣り上げて叱られたのである。僕はそこまで非難されるようなことをしたとはどうしても思えず、ただただあっけにとられていた。

3)やはり中学校の頃である。理科の時間、おそらくエネルギー不変の法則のことを説明している時だったと思う。理科の教師が、「自転車のダイナモは、電灯をつけているときにエネルギーを生成しているので、回すのに力が必要になり重くなっている。電灯をつけなければエネルギーを消費しないので、軽く回せるはずである。しかし、実際には電灯をつけていなくてもダイナモをタイヤで回すと漕ぐ力が余分に必要になる。それはなぜだと思うか。」という問題を口にした。額が広く、ぎょろっとした目の、見るからに一癖ありそうな風貌の男性教師だった。僕が当てられたので、頭に浮かんだことを何のためらいもなく答えた。「電気を発生させるエネルギーが必要なくても、軸と軸受けの摩擦などで抵抗ができると思います。」てなことを答えたと思う(正確には覚えていないが、正解だったのだと思う)。教師は明らかにいらだった表情を浮かべ、あからさまに腹立たしそうな口調で、しかも皮肉な要素も湛えた口調で、他の生徒たちに向かって「荻野は頭が良いからすぐに答える。」と言い放ったのである。正解を答えたにもかかわらず、ほとんど晒し者のような目に遭わされ、しばらく事態をどう理解すれば良いのかわからないままに立ち尽くしていたことを覚えている。

 いずれのエピソードも、もう半世紀近く前のことである。しかし、今に至るまで、繰り返し思い出すエピソードである。なんども書いているが僕は記憶力が悪い。特に、エピソード記憶が悪い。だから、あまり具体的な思い出は多くないのだが、それでも繰り返し思い出すところを見ると、かなり印象深い出来事だったのだろう。いずれの状況も、責められるようなことをしたとは思えない。3)はまさに言いがかりであるが、他の2つにしても感情的に叱られるようなことだろうか。第一にこちらには悪意はないし、それどころか前向きな理由あっての行動である。もし間違っているのであれば、それを説明すれば良いことである。口を極めて非難するようなことではない。しかし、彼らは僕の行動に単に反対するのではなく、感情的に非難したり、晒し者にしたりしたのである。これらの記憶は大人に対して非常に暗い印象を僕にもたらした。
 とはいえ、僕自身が大人になってしまった。上記のエピソードに出てくる大人たちよりもおそらく年長になっている。自分が大人になると、上記エピソードの出演者である大人達の「気持ち」は分からなくはない。ああ、こんな子供を見たらイライラさせられるかもしれないなあと。しかし、気持ちは想像できても妥当な振る舞いだったとは、今でも思わない。大人が正当な根拠なく子供を責めるようなことをするべきではないと思う。
 さて、果たして僕は、かつての母親、英語教師、理科教師のような振る舞いをせずに済んでいるのだろうか。息子達や勤務する大学の学生達から責められたことはないが、彼らとてそう素直に不満を伝えてはくれないだろう。ひょっとしたら僕は、あの時の母親、英語教師、理科教師と同じ振る舞いを何度もしているのかもしれない。例えそうではあっても、敢えて主張したい。大人は、軽々しく感情的に子供を責めてはいけない。例え大きな問題があったとしても、ほとんどのことは責めるのではなく、説明すれば良いだけだ、と。