古くから自閉症の成因として環境の関与に関する様々な説が唱えられ、多くは否定されて来た。最近、エピジェネティクスという考え方が導入され、自閉症と環境の関係は新たな局面を迎えている様に思う。エピジェネティクスとは、DNA配列に変化が無くても環境の影響などによって遺伝子発現が起こったり起こらなかったりする現象である。このムーヴメントに乗っかって、過去の「冷蔵庫マザー」のような言説を蒸し返す人が出てこないかということが少し心配だが、自閉症発症過程の解明が少しでも進展する可能性が出ることは喜ばしい。
ところで、エピジェネティクスが何らかの役割を果たすとすれば、成長過程の何時のことだろうか。出生時には脳はかなり完成型に近づいていることや、現在2歳には自閉症の診断が概ね可能となっていることを併せて考えると、胎生期、遅くとも生後1、2年以内に関与しているのではないだろうか。
疫学調査で自閉症の有病率が世界的に増加していることについて、エピジェネティクスで説明できるのではないかと述べる人がいる。しかし、僕はどうも信じる気になれない。ほんの10年、20年の間に、自閉症の有病率が2倍にも3倍にも増えているのである。胎生期から生後1、2年までの間にエピジェネティクスのスイッチを「ON」する環境と言えば心理文化的な要因よりも化学物質などの物理的要因の方が考えやすいが、こんなに短期間に特殊な環境物質の影響が激増するのだろうかと考えると、にわかには信じがたい。日本でいえば高度成長時代の方が余程怪しげな物質にあふれていたのではないだろうか。勿論、自閉症の増加の一部をエピジェネティクスで説明できる可能性はある。ただ、この極端な増加の大半をエピジェネティクスで説明できるとは思えないのだ。
客観的根拠のない個人的想像だが、個人が自閉症的傾向をどの程度持っているかという分布は年月を経ても大きく変わらないのではないだろうか。そして、変わったのはどの程度自閉症的傾向が強い人まで社会が許容できるかということではないだろうか。自閉症の有病率が高い地域程、「変わり者」を受け入れる余裕がなくなっている可能性は無いだろうか。本田秀夫先生は「自閉症スペクトラム」と「自閉症スペクトラム障害」という言葉を区別している。前者は単に自閉症の特徴を持っている人達である。そして、生活の支障が大きくなり、福祉的支援が必要となった人達が「障害」となる、と彼は主張する。杉山登志郎先生は認知に高い峯と低い谷の両者を持つ人々を発達凸凹と呼び、発達凸凹に適応障害が加算されたグループが発達障害ではないかと考えている。多少意味合いは違うが、いずれも素因として自閉的特性を持つということと、「障害」となることを区別した考え方である。この、「障害」になるかならないかの閾値が低いか高いかは、その社会の住み易さや息苦しさの程度を反映しているのではないかという気がする。
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