「小学校の漢字教育」
小学校の漢字教育は、日本の学校の問題が凝縮されている様な気がしてきた。
第1は、間違いを直させることを最優先すること。何が正しいか教えることが悪いと言っているのではない。意欲をスポイルする指導手技の拙劣さが問題なのである。特に知的能力、集中力、読字能力などのハンディを持ち漢字習得に困難がある子どもがやっとの思いで書いた漢字を徹底的に直されて学習意欲が持続するはずが無い。
第2は、根拠の無いとめ、はね、はらいにひどく拘ること。これは第1の指摘よりも問題が大きいかもしれない。とめ、はね、はらいや点の位置、線の長さが細かく問題になるのは、それによって別の漢字になる時だけである(「干」と「于」)。教科書の字体が唯一の正解ではないし、過去の書聖と称される人でも教科書体とはかなり違った書を残している(阿辻哲次「漢字を楽しむ」講談社現代新書)。文化庁でさえ漢字書字に関してかなりの自由度を認めている( http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/pdf/jouyoukanjihyou_h22.pdf )。こういった背景に関係なく神経質に漢字の細部にこだわる指導をしていることは、学校という所が法律や学問的権威、伝統といったより普遍的な価値観を蔑ろにし、自分の閉じられた世界でのみ通用するルールに拘りやすいことを示しているのではないか。同様の問題は算数のかけ算における順序問題にも見られる。いつまで経っても体罰を擁護しがちな教員が後を絶たないことも、この種の問題の延長線上にあるのではないかという気がする。
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