臨床医は説明するという事が仕事の中で重要なポイントである。自閉症診療においても説明する事は重要である。これは当たり前のようで、必ずしもそうではなかった。20年くらい前だろうか、何か小児科関係の研究会で自閉症の診療をしている医師の講演があった。その医師は「どのように自閉症を診断すれば良いのか分からない」というフロアからの質問に対して「分かる人には分かる様になります」との返答をしていた事が印象に残っている。自閉症という言葉は誰もが知っているが、広汎性発達障害という言葉はやっと広まり出した頃である。もう少し最近になって耳にした噂話。古くから地域で自閉症診療を担ってきた精神科医に小児科医が教えを乞うた時、「言語化できない」と言って相手にしなかったと聞いた事がある。
彼らの気持ちは分からなくもない。何しろ自閉症は結構曖昧な概念である。現在診断のよりどころとなるDSMやICDでは比較的明確な基準が示されている。とは言え、実際の子供の行動が診断基準に当てはまるかどうかは結構判断が難しいし、診断基準に記載されていない自閉症の特徴も多い。DSMやICDの診断基準が流布する以前であればさらに事は曖昧であった。しかし、臨床医は説明せねばならないと思う。勿論何もかも説明する事は出来ない。しかし、どこまで言語で説明できるのかをぎりぎりまで検討すべきである。その上で、自分の出した結論を可能な限り説明し、合わせて何に付いては説明しきれないかまで説明すべきである。どのような事であっても(一目惚れをした相手にどういう感情を持ったか、という事さえ)かなりのレベルで言語により説明できるはずである。「世の中には口で説明できない事がある」という台詞は、可能なところを説明しきった後でこそ生きてくると思う。カナーもアスペルガーも、そうやって自分の経験した興味深い子供達をなんとか言語記録に残そうと努力したのだと思う。
医師は一般人には認められない事を実行する事が許されている。切ったり刺したり化学物質を飲ませたり。そういう物理的な振る舞いをしない時でも、人の人生を大きく左右するかもしれない立場にある。そういう事を考慮すると、自分の判断や行動を患者、患者の家族、政府・自治体、世間に必要とあらばいつでも最大限説明する事が求められている。
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