2014年8月2日土曜日

大阪市教委のゼロトレランス

https://www.facebook.com/amnesictatsu/posts/796692373682187 (2014/5/19) より転載

「教育やしつけには厳しさも必要」とだけ書けば、特に反論もない。しかし、ここで言う「厳しさ」が非常に強い苦しみや恐怖心を子供に引き起こす処罰や叱責のことを意味するのであれば、それには疑問がある。行動学の知見を考慮すれば、効果の高い指導のポイントは言動とその結果生じることの対応の一貫性が高いことである。不適切な行動の結果として得することが決してない、あるいは常に損失(軽くても良い)が伴う。適切な行動の結果として必ず良い結果がついて来る。この行動と結果との対応の一貫性が効果的な学習につながるのである。一貫性さえあれば、通常の指導場面での不適切な行動に対して強い罰を加え本人に強い苦痛を与える必要はない。さらに、出来るだけ先回りして、不適切な行動を起こしやすくする環境を取り除き、好ましい行動が生じやすくなる環境を用意できると万全である。ただこのような指導の枠組みを堅固なものにするとき、むしろ指導者の方が苦しくなりがちであり、揺るぎのない強い意志が求められる。つまり、「厳しい」教育やしつけは指導者にとって厳しいのだ。
 強い苦痛を与える「厳しい罰」は一見即効性があるため、多くの指導者がこれに頼ろうとする。体罰でさえ、必要悪と主張する人は跡を絶たない。しかし、強い苦痛を与える罰が有効性に欠けることは多く指摘されている。一見その場では効果があるようでも、学習効果を長期的に維持できない。さらに、般化しないため別の場面(その指導者がいない状況)では同じ問題行動を繰り返しやすい。それだけではなく、負の感情的反応を伴いやすいので、攻撃行動をはじめとして様々な問題行動の増加を伴いやすい。これだけでも困ったもんだが、「厳しい罰」で子供を制御しようとする時に陥りがちな問題がある。それは、適切な振る舞い方が出来ない子供達には何らかの「出来ない」理由があるのだが、そこを無視しがちになるということである。基本的な原因を放置したまま不適切な行動に厳罰を下すという状況は、子供を八方ふさがりの状況に追い詰めていくことになる。
 大阪市の教育委員会が打ち出したゼロトレランスは、問題行動の結果としてどういうことが起こるかを明確にしたという点では理に適っている面もある。しかし、毎日新聞の報道( http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140518-00000013-mai-soci )に基づけば、それにも増して問題が多く、恐らく成功しないのではないかと思う。まず、行動と結果の対応の一貫性についてである。程度の強い問題行動を想定しているためと思うが、出席停止や退学処分など強い懲罰を並べている。要するに、厳罰処分である。これは使いにくい。罰を決定する教員側がその実行を躊躇する。なんとか実行しない様に理由付けを考えるため、一貫した罰の実行が難しくなる可能性がある。また、いよいよ他に考えようがなくなって厳罰を実行したとしても、これは繰り返しにくい。厳罰を実行するためには教員の精神的・実務上の負担が大きく、コストがかかるからである。しかも、出席停止ならまだしも、退学処分は一つの学校では1回しか実行できない。先に述べた様に、言動とその結果生じることの対応の一貫性が高いことが大変重要になる。実行しにくいし、繰り返しにくい罰は一貫性を担保できないので教育的成果につながらない。そればかりか、負の感情的反応を誘発し、多様な問題をさらに誘発する可能性がある。
 もっと問題なのは、問題行動が生じるメカニズムに対する対策を重視していないことだ。人間の問題行動は全く偶発的に生じることはほとんどない。そうせざるを得なくなる何らかの理由が、本人自身の能力や行動特性、そして環境の中にあるはずだ。そこに手を入れずに、生じた問題行動だけ叩いても、行動の改善はなかなか見込めない。分かりやすい例を挙げよう。飢えに悩まされる子供が店の食べ物を繰り返し盗むとき、その盗みに対する処罰だけを繰り返しても、まず解決はしない。飢えた子供に盗みを止めさせたければ、飢えている状況を改善することが最も効果的である。学校での問題行動を、そうせざるを得ない理由に目を向けぬまま、反省を強いることのみで解決しようとしても成功する可能性は極めて低い。問題行動への最も効果的な対応は、厳罰主義に頼るのではなく日常的に問題の目が小さいうちから合理的な対応をきめ細かくすることである。つまり、エビデンスを持った理屈を取り入れながら、教員のスキルを向上させていくという地道な努力が最も重要だと思う。やはり教育には(指導者に対する)「厳しさ」が必要なのである。
 最後に、上記の毎日新聞の記事には「問題行動を繰り返す生徒を集めた特別校の新設」が検討されていることにも言及されている。犯罪学が専門の浜井浩一さんは、現在留置場には老人や障害者など社会で暮らすことが困難な人が繰り返し戻って来る現状を示し、刑務所が社会の最後のセーフティネットになっていることを指摘している。通常の学校で上手く暮らせない子供に、そうならざるを得ない理由への対処を考えないままに特別校を新設すれば、浜井さんが指摘する刑務所とにた様な状況になりはすまいか。器用に暮らせない子供に、何とか社会で頑張って生きていくスキルを身につけさせないと、若くして社会から排除された状況が固定した人達を増やすことにならないだろうか。

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