2014年8月2日土曜日

発達障害診療

https://www.facebook.com/amnesictatsu/posts/706222646062494 (2013/12/16) より転載

発達障害診療
子供が発達障害ではないかと心配になり病院を受診する人にとって、病院での物事の進み方は予めイメージしていたものと随分違っているかもしれない。
病院を受診すれば診察して検査して、そして異常か正常か明確な結論が出る。そして異常なら薬かなにか_本人_の治療が始まる。こういうイメージを頭に浮かべながら受診する人が結構いるのではなかろうか。この様に考えている人にとって実際はかなり違った展開になることが多い。
 基本として理解していないと混乱することが幾つかある。まず、発達障害(に関連する種々の病型)の診断に関しては、検査が根拠とはならない。検査が無意味とは言わないが、検査はあくまで参考にしかならない。では、何が診断根拠となるかといえば、日常の行動を詳細に聞き取った情報(病歴)である。例え検査と称することを行っても、あるいは医師ではなく心理士が対応しても、その内容は日常の行動特徴の聞き取り調査ということはよくある。本人の診察や行動観察も重要な意義があるが、特に症状の軽い子供の場合、病院での観察だけでは診断できないことが多く、詳細な病歴の聴取が欠かせない。発達障害診療は根掘り葉掘り質問し、話を聞くことから始まるのである。検査だけしてあまり質問をされることが無いままに診断されるような時は、真面目に診療しているのかその病院を疑った方が良い。
 次に、いかに丁寧に評価しても、発達障害の診断は白黒明確に付くものでは無い。発達障害の特徴はどれをを取っても、「健常児」には見られない特殊な症状などと言えるものではない。むしろ、ほとんどの特徴は多くの人に大なり小なり認められるものである。そういった特徴が平均的な子供より「過剰」に認められ、日常生活の差し障りになっているだけである。特定の病型として診断するかしないかの線引きは、本人の特性と環境との組み合わせの不一致に基づく強い暮らしにくさがあるかどうかで決まるものであり、かなり流動的である。このことは今後の対処法を計画する上でとても重要なので、保護者には診断概念の意味を十分に理解してもらう必要がある。つまり、出来るだけ丁寧に家族に状況を説明することが問題への対処の第一歩にもなるのである。保護者からの情報が主体となって診断された時は、その診断名は隠れていた問題が明らかになったのではなく、既に保護者が把握していた行動特徴を整理し、命名したものに過ぎない。説明に際して、こういったことも理解してもらうことを目指さなければいけない。
 診断がついた後も、一般的な「病気」とは対応の仕方が随分異なっている。先に述べた様に本人の特性と環境とのマッチングが上手く行かないために暮らし辛い状態になっているのが発達障害である。そして、薬剤や訓練で多少事態が良くなることはあるが、本人の行動や認知の特性が根本的に変化する訳ではない。つまり、薬剤や訓練で問題が完全に消失することはほとんどない。ではどうするのかと言えば、日常生活で問題が生じている諸々の具体的状況を把握した上で、適応しやすいように環境を変化させるのである。本人を変えるよりも環境を整えることの方が優先されるのである。ある程度お決まりの対処法というものもあるが、発達障害児といえどもその生活状況は様々であり、従って生じる困りどころも人それぞれである。具体的な状況を把握した上で何らかの一般原則や理論(応用行動分析など)を頼りに試行錯誤していくしかない。ここでも本人や家族と話し合いながら少しずつ物事を前に進めていくことになる。
 事ほど左様に、発達障害診療は通常の病院診療とは違ってモヤモヤしているのである。物事がテキパキ進まないのである。ぐだぐだ質問されたり、めったやたらに説明されたりするのである。病院によっては、特に幼児期に受診者に対して、結構流れ作業的に診断、療育と話が進む事がある。例えそうであっても、それだけでレールに乗ったと安心するわけにはいかない。結局は、生活の中で生じた具体的問題に対してどう対応するかを話し合っていかざるを得ないのである。こういった事情を理解しないままに病院を受診すると、いったい何をやっているのだろうと困惑するはめになるかもしれない。発達障害診療は子供自身や保護者が主体的に関与しようとする程度に比例して受診する価値が決まってくる側面がある。

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