2014年8月2日土曜日

価値感に忠実な心理学と雑食性の医学

https://www.facebook.com/amnesictatsu/posts/745161385501953 (2014/2/20) より転載

ジョン・O・クーパーらの「応用行動分析学」という巨大な本を手に入れた。通して読む気はさらさらないが、総論だけでもと思いぼちぼち読んでいる。読んでいて気づいたのだが、現在においても行動学の研究者は、あくまで行動学の立場に忠実であろうとしている。
 同僚の若くて優秀な認知心理学者と雑談している時にこの経験を話題にし、心理学者は自分が属している学派に忠実であることに改めて気がついた旨を伝えた。彼女はそのことに同意しつつ、行動学をしている人は非常に肩身が狭いことや、フロイトやユングを取り上げる人など風前の灯ではないかといったことを話してくれた。どうも彼女自身も自分の立場に忠実らしい。
 しかし、それほど立場をクリアに分けるのも不思議な感じがする。臨床心理学領域はさておき、客観的なデータに基づいて論を組み立てる心理学分野であれば、実際の実験系は行動学とさして変わらないのではないか。例えば、作業記憶という構成概念を前提にし、前頭葉に磁気刺激を与えて作業記憶が改善するかどうかを検討したとする。研究者に観察可能なものは作業記憶能力そのものではなく、数唱なり、n-back課題なり、作業記憶を反映すると考えられる課題での反応だけである。この実験の場合オペラント行動への介入のトピックである事後刺激への介入ではなく、事前事象への介入を検討していることにはなるが、観察しているものはあくまで行動である。恐らく行動分析学が積み上げてきた考え方は生かされているだろうし、逆に行動分析学の研究者であれば興味のままに研究を進めているうちにこういう方面へと進出する人がいても自然である。渾然一体となって学問が進歩しそうなものと思いたくなるのだが、実際には自分がよって立つ立場というものを強固に守っているらしい。
 日常的な問題(障害児の指導など)への介入が対象なのか、より細かい心理的事象の機序を解明したいのか、研究対象によって適切な手法を用いれば良いだけの様に思うのだが、どうも心理学者達はそういう考えにはならないらしい。心理学者の精神性は非常に価値観に忠実なのかもしれない。一方、臨床医学などやっていると、事象を説明でき、問題解決に役に立つものであれば何でも利用すれば良いと思ってしまう。そういう風に考えると医学者は損得勘定を第一に考える雑食性と言えるかもしれない。うーん、心理学者の方が格好いいけど、医学畑の方がお気楽で良かったとも思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿