2014年8月20日水曜日

「うちの子、すぐに忘れるんです。」

発達障害児対象の診療をしていると、「うちの子、すぐに忘れるんです。」と訴える親に会うことは少なくない。「すぐ忘れる」と聞けば、記憶能力の障害をまず考える。しかし、話を聞いてみると大抵の場合、記憶障害としてはなんだかおかしい。友達との遊ぶ約束や何かを買ってもらえる親との約束はよく覚えている。好きなヒーローの得意技や手持ちのカードの戦闘力については事細かに説明できる。昨日見たバラエティ番組のコントの何が面白かったのかも覚えている。どうも、エピソード記憶にも意味記憶にも問題が有るとは思えない。
 実は、家族が「すぐ忘れる」と表現する時には様々な状態が含まれている。多いのは注意しても叱っても同じことを繰り返すということだ。これにも色々な状態が含まれる。何のことを注意され叱られたのか分かっていないことが結構有る。親が何を叱っているのか理解できているかどうかの問題だ。親の口調や形相から叱られていることは十二分に分かっていても、その内容を正確に理解していないのである。ほとんどの大人は、叱る時には何を叱られているのか相手が理解していることが前提になっており、親切丁寧な問題点の解説をしないことがほとんどである。そのくせ、本質的な情報を含まない文句を山ほど並べ立てるので、一層分かりにくい表現になる。また、叱られている時には本人は感情的に不安定になって理性的な理解が妨げられていることが多いため、いよいよ持って相手の言葉の内容が理解できない。何が悪いのか分かっていないのだから、同じことを繰り返してしまう。こういう状況が疑わしい時は、言うまでもなくきちんと分かる様に説明する必要が有る。
 注意された事の意味は十分理解できていても、肝心の瞬間に(何かに夢中になっていたりして)意識に浮かんでこない場合がある。その結果、同じことを繰り返してしまう。これも非常に多いパターンである。瞬間的に頭に浮かんでいない状態なので、「忘れる」という表現が全く間違っている訳ではない。しかし、脳の中に情報はきちんと保持されているので、落ち着いている時に聞かれれば注意されたことを正確に思い出せる。平均的な大人でも、「今日はゴミ袋を買わないといけない」と思いながらスーパーに赴き、買い物に夢中になっている間にゴミ袋のことを失念していたというような経験をした人は多いに違いない。それと似た様なものである。こういう場合はいくら叱っても、肝心の瞬間に意識に浮かんでこないのだから、叱ることの効果はほとんどない。重要な局面で注意事項を如何に思い出させるかという工夫が必要である。例えば出かける時に鍵を持って行って欲しいのなら、玄関のドアに「鍵を持ちましたか?」と書いたカラフルな張り紙をしておくと忘れることを防げるかもしれない。
 衝動性が強い子供もいる。分かっちゃいるけど、ついつい言ってしまう・やってしまう、というやつだ。これも、叱ることの効果がほとんどない。本人だって後で反省している。すっかり忘れて反省していないように見える子供もいるが、自分が失敗を繰り返すことで自身の立場が悪くなっていることは、高学年くらいになれば理解している。分かっちゃいるけどついやってしまうのだから、こういうタイプも問題を繰り返す。しかし、決して忘れた訳ではない。こういったケースの扱いは難しい。自己評価を低下させない様にしながら成熟するのを待てばよいのではないかと思うのだが、世間はそれを待ってくれない。必ずしも世の人々が冷たいからではない。むしろ、その子の「将来」を心配する親や教師が使命感に駆られて問題を逐一叱って回る。せめて少しでも良い方向に動かしたいのであれば、失敗した後で叱るよりも、問題な行動をしていない時にこまめに褒めておく方が合理的なのだが。
 他にも「うちの子、すぐに忘れるんです。」状態を生じる真の原因はあるかもしれない。はなからする気が起きないことや興味がないからという場合もあるだろう。する気が起きないとか興味が無い状態に至る機序も複数あるかもしれない。そして、それぞれのケースで有効な対応は異なってくるだろう。しかし、様々な状態を「すぐに忘れるんです。」の一言で表現してしまうと、当然のことながら問題の改善は遠のいていく。人は複雑な問題を単純化しやすい。最も印象に残る現象のみを捉え、そして頭の中にストックされた似た様な結果に至る原因をさっと照合して結びつける。その結果、単純で人に伝えやすいが、何かしらピントのずれた問題の解釈が出来上がる。一旦ラベルを貼ってしまうと、なかなか別の見方が出来ない。
 人間の行動は複雑である。人間自体が複雑だが、その複雑な存在が多様な環境と相互作用をする中で行動は生じる。ありふれた問題行動一つをとっても、その一瞬を切り取るだけでは何故そういう現象が起こるか理解することは難しい。矯めつ眇めつ様々な可能性を考えていかなければなかなか理解できない。他の人の成し遂げたことや失敗したことを「あいつは◯◯だから。」と一言で説明する物言いを耳にすることは多いが、こういう単純な言説はとりあえず疑ってかかる方が安全だ。

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