大倉幸宏 著「『昔は良かった』と言うけれど」を読んだ。明治から大正、昭和初期の間の日本人の道徳意識はどうであったのかについて、当時の新聞記事や法律を含めた行政文書などを基に検証したものである。駅や汽車の利用の仕方では子供や荷物を使って複数の座席を独占したり、車内をゴミだらけにする様子を嘆く新聞記事などが次々と紹介される。そういえば、僕自身が子供の頃の昭和30年代、40年代でも食べかすなどのゴミは皆座席の下に押し込んでいたな。今の電車内の方が遥かにきれいである。車内で化粧をして顰蹙を買うということは最近の話かと思えば、昭和初期には既に槍玉に挙がっていたらしい。公園や銭湯や図書館などの公共の場所の利用の仕方も結構でたらめで、特に非衛生的な振る舞いについては現代社会ではちょっと見られない様なことが明治から昭和初期までには結構見られていたようだ。食物の量を偽って販売したり、積み荷を抜き取るなど各種職業上の倫理の問題、児童虐待、しつけや道徳教育の甘さなど、これでもかという程の資料が用意されていて面白い。
戦前の良くない事例をただ記述しても、現代との比較にはならない。きちんとした統計などは取られていないため客観的データがほとんどない。数少ない客観的資料としては昔は必ずしも年寄りを大切にした訳ではないことを記述している章で、1940年以降の高齢者10万人あたりの自殺率は1950年がピークで、その後は下がり続け、2000年では1950年の半分以下に減少していることが示されているくらいである。従って、この本の記述のみを根拠に戦前よりも今の方が良い世の中だとは言えない。ただ、ここまで新聞などで多くの問題が提起され、それに対して行政も繰り返し様々な手を打ってきた経緯を知ると、少なくとも諸手を上げて賛美する程には戦前が良い時代だったとは言えそうにない。
この本を読んで思い出したのが、広井多鶴子と小玉亮子による「現代の親子問題」と、浜井浩一の「2円で刑務所、5億で執行猶予」である。広井らは戦後の様々な資料を丁寧に検証し、子供を育てる家族に限れば核家族化の顕著な進行はないことを示している。そして、親の子育てや教育をする力の低下に対する批判とは裏腹に、かつては外部に頼る割合が大きかったしつけや教育機能を家庭が自ら引き受け取り込み続けた流れを明らかにしている。また、浜井はしばしば語られる治安の悪化や少年犯罪の低年齢化には何の根拠もなく、法務省統計の客観的データからは凶悪犯罪は昭和30年頃をピークにその後激減していることや、少年犯罪の低年齢化を示すデータはなく、むしろ高齢者の犯罪が増加していることを示している。
昔は良かったという根拠のない個人的思い込みが、しばしば社会の指導的立場にある人々の言動の根拠となっていることが多い様に思う。多くの人が、思い込みに基づく善意から、せっかく築き上げてきた良いものを破壊していくことがないことを祈る。
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