電車でもバスでも、乗り降りの際に切符を確認する。このことを我々は当たり前のことと感じている。しかし、国外ではそうでもない。4年前にベルリンへ行ったとき、地下鉄に乗る時もおりる時も切符の確認は無かった。先月、学会に参加するためにウィーンに行ったのだが、ここでも路面電車や地下鉄に切符の確認なしに乗ることが出来た。1週間通用する切符を買えば、まるでフリーパスで乗り降りする感じがして、大変気持ちよかった。人に聞くと、たまに検札をする人が来て、その時に切符を持っていないと処罰されるらしい。とはいえ、1週間にわたり何度も乗り降りしたが、検札らしき人を見たことは無い。この状態でも、多くの人はまともに切符を買っているのだろう。中にはただ乗りしている人もいるのではないかとも思うが、そういう細かいことはあまり問題にしていないのだろう。多少の損失は有るかもしれないが、恒常的な検札が無いことから人件費は減らせそうでもある。結構合理的なのかもしれない。
わずかな経験だが、ヨーロッパの街を歩いていると至る所で日本と異なった緩い印象を受ける。日本よりもエコにうるさいはずなのに、歩きタバコは珍しくない。電車の発着はそこそこ不正確だし、電車や地下鉄の中に自転車を持ち込むし、たっぷりサイズの乳母車を押した親が電車内を含めて町中どこでも屈託なく通行している。誰も文句を言わない。そういえば、最近ネットでしばしば話題になるが、欧州の国々での子育て経験が有る日本人女性は口を揃えて日本よりもヨーロッパの方がおおらかで子どもを育てやすいと述べるらしい。ベルリンで経験したが、トラブルがあって突然運休になる電車があってもその詳細を把握している駅員がほとんどいなかったりする。にもかかわらず、その場の客は皆落ち着いており(内心はシランが)、騒ぎ立てる人はいない。ウィーンのど真ん中では車列の先頭を馬車がのんびりと進んでおり、そこら中馬糞だらけだ。とにかく、そこここに緩い感じが漂っており厳密さが酷く乏しい。そして、細かいことで見張られている感じが少ないのである。
欧州の人がいい加減だとは思わない。何しろ哲学と現代科学の発祥の地だ。ウィーン大学一つでノーベル賞受賞者は10人以上いる。基本は理屈っぽいに違いない。それが証拠に、ウィーンのカフェやレストランでワインやビールを頼む時、必ずメニューに”0.3L”などと量が明記されている。食事のメニューにはどういう材料でどういう調理がなされたのかが説明されている。にもかかわらず、街の至る所で「細かいことは気にせんもんね。」という雰囲気が漂っている。どうして彼の国はかくも緩いのだろうか。引き比べて「理屈じゃないんだ!」が好きな人の多い日本はどうして事細かなことに厳密なのだろう。欧州の人の方が理屈を重視するだけに大枠や原則を重んじ、理屈を無視する日本人は頼るべき芯となるものが無いためこまごまとした現実を規制しないと安心できないのだろうか。
なんだかよく分からないが、何が彼我の差を決めているのか分からないが、この国で暮らしていて息苦しさを感じるたびに、ヨーロッパの街から受ける印象を思い出し、もやもやするのである。
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