2014年8月2日土曜日

発達障害は程度問題 -- 尺度的診断

https://www.facebook.com/amnesictatsu/posts/740086226009469 (2014/2/11) より転載

「発達障害は程度問題 -- 尺度的診断」
病院で受ける診断は、何らかの診断カテゴリーに当てはまるか否か、白黒はっきり付けることが普通である。「はしか」なのか「はしか」でないのか、「胃潰瘍」なのか「胃潰瘍」ではないのか。今現在この瞬間に世界中の人は2種類に分けられる。はしかに罹患している人と、そうではない人である。多くの人は病院の診断というものはそういうものだと思っているし、医師も基本的には明確な診断を目指す。
 しかし、意外に物事は単純ではない。胃炎と胃潰瘍の境界はどこにあるのか、前癌状態と癌の境目はどこなのか、気管支炎と肺炎はどう区別するのか、結構曖昧なことは多い。そういう場合、医療側としては定義をより精緻で明確なものに作り替えたり、中間的なカテゴリーを設定したりして、曖昧な領域をできるだけ減らそうとする。そうは言っても、ものによってはすっきりしないところが多く残される。特に、「健康」と「疾病」の関係に不連続性が乏しい場合にすっきりしない状況になる。分かりやすい例では、低身長や近視がある。それぞれ一応の基準がある。しかし、身長が1cm異なっても、視力が0.1異なっても、実質的な差はない。どうしてもその診断には不自然さ、「無理矢理感」が残る。
 発達障害に含まれる様々な状態も、こういった無理矢理感がつきまとう。何しろ、落ち着きがなかったり、気が散りやすかったり、人付き合いが下手だったり、細かいことにこだわりやすかったり、本を読むのが下手だったりする人達である。多少なりともこういった要素を持っている人は、世の中に五万といる。おっちょこちょいで落ち着きがない人に「注意欠陥/多動性障害」という診断をしようと思っても、どちらかと言えばおっちょこちょいの人から驚天動地と言っても良いくらい酷くおっちょこちょいの人まで、そのバリエーションは無限にある。いったいどこで線引きすれば良いのか。現在病院では一見明確そうに診断しているが、実際は全く明確ではないのである。しかも、純粋な注意欠陥/多動性障害や純粋な自閉症と言える人は少数派で、発達障害を持つ多くの人は別の発達障害病型や、二次障害を併せ持つので、事態は極めて複雑である。
 上に述べたように、医学診断は何らかのカテゴリーに当てはまるかどうかを判断することが原則である(カテゴリー的診断)。しかし、医学診断には別の概念もある。尺度的診断(dimensional diagonosis、「次元的診断」と訳す方が適切かもしれない)である。尺度的診断では疾病、あるいは障害の基本的な構成要素一つ一つを連続的な量として評価する。例えば、注意欠陥/多動性障害なら「不注意」と「多動性ー衝動性」という要素それぞれの程度を評価するのである。DSM-IVの「広汎性発達障害」からDSM5の「自閉症スペクトラム」への移行にあたっては、尺度的診断の考え方がかなり導入されている。
 尺度的診断はカテゴリー的診断に比べて、一人一人の状態を個別に評価するので、実態を反映しやすい。「注意欠陥/多動性障害」なり「自閉症スペクトラム」なりの単なる名前よりも、具体的な援助の種類や程度を計画しやすい。病院の医師の役割としては、診断書を発行することや、何らかの治療法を適用するかどうかを決定せねばならないので、最終的にはカテゴリー化せざるを得ない面がある。しかし、教育や福祉に携わる人達は一人一人の複雑な状況を考慮した取り組みを求められる。そういう時に、病院で何らかの診断がついたかつかなかったかということよりも、自分で様々な側面の「程度」を評価することができれば、随分援助しやすくなると思う。

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