国民投票法改正案が衆院を通過した。この法案が発効すると、4年後から憲法改正に関する投票権が18歳以上に引き下げられる。とは言え、年齢が引き下げられるのは憲法改正に関する投票だけで、その他の選挙に関してはなかなか変わりそうにない。選挙権を与える年齢を18歳に引き下げる案は随分昔から議論されている。世界中の国を見渡しても、圧倒的多数の国で18歳になれば選挙権が与えられる。しかし日本では実現しない。議員の利害関係という話もあるのだろうが、国民の少なからぬ数が反対している。色々理由があるのだろうが、18歳ではまだ人間として未成熟だ、大人と見なすには頼りなさ過ぎる、という考えが強いのではなかろうか。 確かに、自分の勤務する大学の学生を見ると、新入生である18歳の学生と、20歳以上の学生では明らかに振る舞いが異なっている。はっきり言って18歳、19歳あたりの学生(1年生や2年生)は幼い。言動が何かに付け子供っぽい。それに引き換え、20歳を超える学生達は大人っぽい。勿論、頼りなさが全くないかと言えばそんなことはない。しかし、明らかに1、2年生に比べて大人の雰囲気である。何か重要な仕事を任せるなら、迷わず20歳以上の学生達を選びたくなる。
だから僕も選挙権を20歳以上にとどめたいと考えているかと言えば、そうではない。20歳の大学生が18歳の学生よりしっかりしているのは年齢固有の特徴ではないと推測している。単に上級生だから、あるいは下級生だから醸し出す雰囲気にすぎないと。小学校6年生は非常に大人っぽい。それに対して中学1年生の幼稚さは目を覆わんばかりである。20歳以上の「大人」でも似た様なもんである。職場の新人達が如何に頼りなく見えるか。管理職であっても、昇進間もなくの初々しさや頼りなさは、ほとんどの人に当てはまる。
年齢が人を作る部分もあるかもしれないが、役割や立場が人を作るということの方が大きいのではないかと思う。大体自分やその周囲を見るとき、50歳を過ぎた人の愚かさはびっくりする程である。何歳になっても人間は完成しない。完成するどころか多少ましになった矢先にガタガタと愚かになることがとても多い。40歳、50歳と年を食ってきた人のほとんどは、現在の年齢の人間が自分が若い頃に思っていたよりも遥かに頼りないことを、何も出来ないことを実感しているのではないだろうか。中年になっても、初老になっても、子供の頃や若者の頃に思っていた程には人は成長できないのである。訳知り顔に見えたおじさんおばさん達も、実は分からないことだらけで、不安でいっぱいであることに、自分もその年になって初めて気がつくのである。
10年、20年経っても人は大して成長できない。とすれば、18歳と20歳の差が如何程あるというのか。まだ幼いとか頼りないとか批判している暇があったら、選挙権という役割を与えれば良い。きっと立場や役割が人を作っていくのではないかと思う。選挙権を与えるということの、教育的な意義がきっとあると思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿