2014年8月2日土曜日

発達性読字障害の1事例

https://www.facebook.com/amnesictatsu/posts/672103646141061 (2013/10/20) より転載

発達性読字障害の1事例について。といっても僕のことだが。
 子供時代を振り返ると色々思い当たることがある。小学生の頃から人の言葉を聞き間違えることが大変多かった。また、相手の言うことがはっきり聞き取れないため、「え?」と聞き返すことが多かった。通常の聴力検査では何時も全く問題はなく、どうも音節や音素の聞き間違いが多かったのではないかと思う。発達性読字障害の基盤として音韻認識の障害は国際的に重視されている。さらに、僕は雑音がある場所で人の言葉を聞き取ることが大変苦手である。騒がしくても音楽の旋律を追いかけたり、小さな音が何の音か判断することは苦労しなかったが、語音の聞き取りは騒音があると顕著に悪化した。これも読字障害患者の特徴だ。
 話は逸れるが、この聞き返すという行為に対して世の人は結構冷たい。聞き返されると怒りだす人もいたりする。最近ではなるべく「よく聞こえなかったのでもう一度言って。」と言う様にしているが、それでも黙り込んだり露骨に嫌そうな顔をする人は結構いる。
 読字障害に話を戻すと、子供の頃読書が苦手だと思ったことは無い。むしろ本を読むことは好きだった。ただ、長文を読む時、段落ごとに初めに戻って読み返すということが多かった。大人になって気がついたことだが、自分は文字を読む速度が遅い。自分が遅いというよりも、人はもっと速く読めるということに気がついたのだ。道路の標識、チラシの文章、日常目に触れる様々な文章を見た時、僕はしばらく見つめていないと内容が飲み込めないのだが、多くの人はさっと見ただけで内容を把握しているらしいことに気付いた。ディスレキシア(発達性読字障害)の最も基本的で、上手く適応できた大人にも見いだされる特徴は読みが遅いことであるということは比較的最近知ったことである。
 書字も苦手だ。最近パソコンの使用で拍車がかかっているが、漢字を正確に書くことが出来ない。子供の頃から繰り返し使用してすっかり定着したと思われる漢字でさえ、ともすれば線が長過ぎたり短すぎたり、点が無かったり多すぎたり、そもそも形が思い浮かばなくなったりということは日常茶飯事であった。
 ディスレクシア患者はワーキングメモリー能力の低さも指摘されることが多い。小学校の頃から授業中先生の話を聞くのが苦手だった。集中力の無さもあったのだが、集中して聞いていても長い話を追いかけ続けることが難しかった。何時しか授業中は先生の話を聞くよりも勝手に教科書を読むことが中心になり、たまに聞き取れて印象に残ったことを教科書に書き込んでいた。当然、ノートを取ることも苦手である。医者になってからは学会に参加することが多いが、これも口演を聴いても付いて行けず、ぼんやりスライドを眺めていることが多い。
 周辺的なこととして、英語が大変苦手である。単語の綴りは発音とは無関係に個別に覚えないといけないし、レコードがすり切れる程繰り返し聞いた洋楽の歌詞がほとんど聞き取れない。ディスレクシア患者は母語以外の言語を習得することが一般的に難しい。また、読字能力と直接的な関係はないが、多くのディスレクシア患者に共通して僕はADHDである。丁寧な作業が出来ないし、同じ作業を繰り返すのは大嫌いだし、書字は雑だし、待つことが苦手でエレベータをじっと待つくらいなら階段を上ってしまう。
 此の様に多くの特徴があることから、僕には発達性読字障害の特徴があるのだろうと思う。幸い、本を読むことが好きだったし、気軽に本が読める環境でもあったことで、日常困らない程度に適応できたのだろう(色々なハンディを抱えながら社会生活を何とか送ってきた自分を密かに褒めてあげたい)。現在、標準よりは早いのではないか?と思える程度に目、耳、物覚え、手先の器用さなどにずんずん老化による変化が加わってきている。はあ、生きていくことは大変だ。

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