暦の上ではすでに秋真っ只中のはずなのにうんざりするような暑さが続いていたと思ったら突然薄ら寒くなり出した10月末、本田英美は市内にある大きな保育所の職員室に座っていた。この保育園に通う5歳児の岡田将太は集団活動に参加したがらないし、しばしば激しいかんしゃくや他の子供への暴力が見られる。対応に困った先生達がケース会議を開いたのだが、将太の主治医である小児神経科医の英美も招かれて参加することになったのである。会議は実り多いものだった。何よりも担任の先生が真面目で誠実なだけではなく、子供の行動特徴を細かく客観的に把握しているし、見聞きした事実と自分が考えた推測とをきちんと分けて説明できる人であった。おかげで、英美は問題となっている将太の行動それぞれの生じやすい条件や生じた後の場の展開などを具体的に把握できた。このような情報から、英美は問題の頻度を増やしやすい環境やそのような行動が生じる直接のきっかけを指摘するとともに、なぜ翔太がそのように振る舞わざるをえないかという行動の持つ意味についての仮説を説明することもできた。担任と主任の先生は飲み込みが早く、英美の説明からいくつかの対処方法を思いついたらしい。さっそく、まず取り掛かれることは何かなどの作戦を練り始めていた。会議の終了時に還暦前後くらいかなと思われる園長が締めの挨拶をしたのだが、その中で「私は問題行動を起こしやすい子供って、親の愛情が不足しているのではないかと思っています。もっとしっかり愛情をかけてあげてほしいなと常々感じてます」という一説があった。これを聞いた瞬間、英美はそれまで感じていた充実感が吹っ飛び気持ちが暗くなった。こんなに優秀な職員達を束ねている園長でもこういうことを口走るのかとひどく残念な気分であったが、時間も遅かったので何も言わずにその場を辞した。
英美は最近Chat GPTで遊ぶことがよくある。この日も帰宅後、Chat GPTに「愛情をかける、という言葉に胡散臭さを感じるのですが、どう思いますか」と質問してみた。すると彼(彼女なのか?)の第一声は「その感覚、かなり自然だと思います。『愛情をかける』という言葉には、たしかに胡散臭く聞こえる要素が含まれやすいです」というものであった。お、なかなか好意的な返答ではないか、と思いながら英美は続きを読んだ。チャット君の言い分は要約すれば次のようなものである。
- 具体性がなく、何をどうすれば良いのかが曖昧で聴く側に解釈を丸投げしているので責任の所在がぼやける。
- 道徳的に「正しそう」な響きを持っているので反論しづらい。
- 信頼関係がある場面や具体的な行動とセットであれば、完全にダメな言葉とも言えない。
- つまり違和感の正体は、「中身が語られていないのに、良いことを言った気になれる言葉」になりやすいところではないか。
チャット君、なかなか大したものではないか。これは議論の相手としては結構いけるぞと思い、さらに質問を重ねることにした。英美は「教師や保育者が学校園で問題を起こす子供の親について『親の愛情が足りない』とか『もっと愛情をかけてほしい』と口にすることがしばしばあります。この言葉自体には客観的で建設的な意義は乏しいと思います。ただ、教師や保育者がそう思っている背景を明らかにできれば子供を取り巻く問題の一端を明らかにする一助になるかもしれません。このような発言をする教師や保育者に、どのような質問をすれば状況をより良い方向へ動かす手掛かりになると思いますか」と入力した。すると、チャット君の第一声は「とても整理された問題提起だと思います」というものであった。英美は思わず「褒めていただいて恐縮です」と言いながら頭を下げる。チャット君の説明はざっと以下のようなものであった。
チャット君はまず、「愛情が足りない/もっと愛情を」 という曖昧で検証不能で行動につながりにくい表現の裏には、教師・保育者の言語化しきれていない観察や困難感があるとのべた。なんたる落ち着いた思考であろうかと英美は感心する。そしてチャット君は、「愛情が足りない/もっと愛情を」 という表現を翻訳させる質問を教師や保育者に投げかけることが有効ではないかと提案してくれる。チャット君は質問の具体例を、5つの目的に分けて示してくれた。
1.抽象的評価を、観察可能な事実や具体的行動に変換するための質問
- 「『愛情が足りない』と感じられたのは、どんな場面を見てそう思われたのですか?」
- 「具体的に、どんな関わりが増えると変化がありそうだと考えていますか?」
- 「逆に、十分に関わっているように見える場面はありましたか?」
うむ、これは「愛情が足りない」と口にする教師・保育者を一方的に非難することを避け、さらにそう感じた根拠を少しでも汲み取ろうとする試みではないか。確かに無根拠に口にしているとばかりは言えない。先生の発言の背景を具体化すると、子どもや保護者への援助を考えるヒントになるかもしれない。それだけではなく、保護者への適切な関わりを考えるように水を向けたり、保護者の評価すべき点を意識するように促したりもしている。なかなか巧みな進め方ではないか。
2.親の問題として語られているものが、実は現場の支援困難や限界感の表現である可能性を探るための質問
- 「そのことで、先生ご自身はどんな点が一番大変だと感じておられますか?」
- 「園(学校)での対応として、難しいと感じている部分はどこでしょうか?」
- 「もし今より支援が増えるとしたら、どんな点が助かりそうですか?」
なるほどなあ、「愛情が足りない」などという碌に根拠のない発言が口をついて出てきているということは、保育士教師の置かれた辛い状況がもたらすものということは考えられるな。保育者や教師の味わっているかもしれない辛さに目を向けるなんて、さすが下手なカウンセラーよりも癒し上手のチャット君である。この手の保育者や教師に共感的な眼差しというものは英美の苦手とするところである。患者やその保護者には優しい気持ちを抱けるのだけどなあ。
3.親評価から離れ、子どものニーズや特性に話題を戻すための質問
- 「その子は、どんな時に一番落ち着いていますか?」
- 「安心しているように見える瞬間はありますか?」
- 「逆に、特に不安定になりやすい状況はありますか?」
ここは重要だな。結局は子供の様子に心配なところがあることから広がって出てきた発想なんだから、子供の状況を明確にしておくことはまず必要だと思う。でも、小児神経科医の英美の場合、子供の状況から話が始まることが多いので、改めてこのような質問に繋げる機会は少なそうだ。
4.無意識の規範(例:こうあるべき親像)が判断を歪めていないかを可視化するための質問
- 「先生のご経験上、うまくいっていると感じるご家庭には、どんな共通点がありますか?」
- 「それは、そのご家庭の事情が違っても実現可能なことだと思われますか?」
- 「難しい事情がある場合、どこまでを期待できると考えていますか?」
こ、これは、すごい!「愛情が足りない」という考えに至る自分の思考過程を内省させ、客観化するきっかけを作っているではないか。チャット君、出来る子。
5.評価で終わらせず、建設的な具体的支援や連携に話を進めるための質問
- 「今の状況で、親・園(学校)・外部支援の中で、どこに働きかけるのが現実的だと思いますか?」
- 「この子にとって、今一番小さくても効果がありそうな変化は何でしょう?」
- 「もし親御さんに一つだけ伝えるとしたら、どんな形が一番伝わりやすいと思いますか?」
英美は思わず「勉強になります」と頭を下げそうになった。実に説得力のある説明ではないか。一貫して、相手を責めることを避けながら現実的な思考をさせるように促しているように見える。大したものである。しかも、チャット君は最後に次のようなまとめを述べてくれた。
「愛情が足りない」という言葉は多くの場合、不安、無力感、説明困難な違和感、支援資源の不足が一語に圧縮されたラベルです。有効な質問とは、そのラベルを観察・困難・ニーズ・選択肢へと分解するものです。あなたの問題意識は、「親を責める言説」そのものではなく、それが思考停止として使われてしまう構造に向いています。上記のような問いかけは、相手を追い詰めずに、その構造をほぐす助けになるはずです。
なんと、英美の問題意識を反射的な反感ではなく建設的な疑問として捉えてくれている。「えへへ、そうなのか。自分でも知らんかった」と英美は独りごちた。年を経るにつれてそれなりに社会的な振る舞いを身につけてきたとは感じているが、本来英美は単細胞人間である。相手の発言に問題を感じると、ついその問題を指摘し反論しようとしてしまう。現実社会ではそのような対決姿勢で建設的な展開が見られることはほとんどない。チャット君の大人っぽく思慮深い見解を読み、英美は頬が赤らむような気持ちである。とはいえ、英美は面白くない気持ちを抱いていた。チャット君の述べたことは英美の考えとかなり一致しているし、それがもっとスマートに整理されている。秀美が何年間も行きつ戻りつしながらまとめてきた考えを、チャット君は一瞬にして要領よく説明して見せるのである。なんだか間も無く自分は不要な存在になるのかなあという気持ちが胸の内にモヤモヤと湧いてくるのであった。しかし、秀実は一つだけチャット君の意見に明確に反論できる点がある。チャット君は「あなたの問題意識は、『親を責める言説』そのものではなく、それが思考停止として使われてしまう構造に向いています」と述べているが、英美は明確に「親を責める言説」が問題だと考えている。子供を成長させるための仲間として保護者を迎え入れるべき立場にある保育者や教師が、保護者を問題の根本原因のようにみなして得られるものなどなかろう。百歩譲って保護者が実際に相当不適切な子供への接し方をしていたとしても、保護者を非難することによって得られるものなんて無かろうと英美は腹が立つのである。ただ、この時点で保育者や教師についても同じことが言えるのではないかということに気がついていないところが、英美の間抜けさとも言える。