2026年5月5日火曜日

アセスメントとは

  このシリーズは「アセスメント」をテーマとして取り上げてきました。アセスメントとは一体何でしょうか。いくつかの英和辞典を”assessment”で引いてみると、「意見、判断、評価、査定」などの訳語がつけられています。ついでに国語辞典で「アセスメント」を引くと、「評価、査定」などの語釈が載っています。まあ、要するに「評価」といっておけば良いのではないかと思います。この「学校園でできるアセスメント」シリーズの中でも「アセスメント」と書いてみたり「評価」と書いてみたり、表記がブレブレです。さて、私の個人的経験からは、教育畑や心理関係の人は「アセスメント」という片仮名言葉を使うことが多いような気がしています。そのことにどういう意味があるのか、実は私にはわかっていません。でも、「学校園でできる」ということを意識して、学校の先生方の真似をして片仮名の「アセスメント」をタイトルに入れてしまいました。でも、文字数節約のためにこれ以降は「評価」を使います

 さて、アセスメントでも評価でも良いのですが、これは何を意味しているのでしょうか。「観察する」ことと「評価」は違うのでしょうか。評価も観察の一種と言えそうですが、観察の方がより漠然とした印象があり、評価には何やらきちっとした印象があります。「しっかり観察する」や「よく見る」よりも「評価する」ことの方が何か具体的な意味が付加されているように思います。私なりに評価とは何ぞやということを考えてみました。

 まず思い浮かぶことは、評価項目、つまり何を評価するかということが具体的に定義されているということです。身長や体重、知能、視力など、評価するものが明確です。医師の診察も一種の評価であり、やはり具体的な評価項目が決まっています。例えば、呼吸音や心音、腹部や顎下頸部の触診、眼球結膜、口腔および咽頭粘膜、などなど。医師の専門性によってもその組み合わせは変わりますし、患者の主訴によっても評価項目の力点の置き方が変わります。多くの場合、改まって評価するという場合、評価項目は複数あります。

 次に必要なことは、個々の評価項目を定量する、あるいは分類するための尺度の存在です。視力や体重など、連続変数で表せるものもあります。顔色や発疹、奇形などは連続変数として測定することはできませんのでカテゴリーを定義して分類するということになります。もちろん、発疹は分類した上で大きさや数を測定することもありますので、同一評価項目に対して評価尺度は1種類とは限りません。子供の書いた文字なら「読める」「読めない」の2カテゴリーかもしれませんし、「読めるし上手」「かろうじて読めるが下手」「なんの字か推測できるが不正確」「全く読めない」の4カテゴリーに分けても良いかもしれません。

 評価項目を特定し、どのような尺度で評価するかが決まれば、次いで必須の要素は観察条件や評価方法です。血圧なら朝起床後1時間以内に安静状態にして上腕部で測定するとか、血圧計は何を用いるのかとか。知能の評価ならどのような部屋で、どの種類の知能検査を用いるかを考えなければいけません。授業中に見られがちな問題行動であれば、当然授業中に教師自身、あるいは参観者が観察するのが自然です。前回書きました様に、ターゲットとする問題行動を具体的に規定する必要があります。行動が生じる前の状況、生じた後の状況を合わせて記録する、といった具体的な観察方法を考えておく必要もあります。

 単なる観察ではなく評価と称するからには以上の観点が欠かせません。では、評価項目、尺度、観察条件と評価方法が決まれば評価は成立するのでしょうか。とんでもありません。これでは最も重要な要素が欠けています。何の問題もなく幸せに暮らしている通りすがりの人を評価しようと考える人はほとんどいません。評価をする前提として、まずは問題意識や目的意識が存在するはずです。学校で考えれば、生徒を成長させたい、生徒が困っている、周りの人々が困っている、などの背景があり、状況を改善するために何らかの手を打ちたい、というときに人は評価することが必要だと考えます。問題を解決するために、あるいは目的を達成するためにどのような手を打つかという具体的対処方法を計画することと評価は密接に結びついています。目的別に考えるとどのような評価があるでしょうか。

 まず思いつきやすいことは現状を把握するための広範囲の評価です。現状で、何がうまくいっているのか、そして何がうまくいっていないのかを明らかにするための評価です。問題を特定することや目標設定をすることのために行います。学校で行われている学力評価などはこのような性質のものではないかと思います。評価の性質上、評価項目が多くなります。したがって、非常に手間がかかることになりやすいです。また、特定の対象をピンポイントで評価するわけではありませんので、個々の評価項目に関しては手間の少ない大雑把な評価方法を使いがちで、結果の解釈が曖昧になりやすいです。また、何を目的として現状を評価するのか明確にし、評価対象者の属性、例えば年齢などを十分に考慮して評価項目を決定する必要があります。子供の学力が伸びているかどうか知りたいのに生活の質(QOL)の評価をしても検討はずれですし、小学校1年生に5年生用の学力試験を行なっても得るものはありません。

 問題の原因や発生機序を明らかにするために行う評価もあります。問題解決(何らかの指導目標達成も含めて)のためにはどのようなプロセスが必要でしょうか。問題を具体的に特定することが最初に行なうべきことです。ふわふわと「何だか困りました」と思っているだけでは前に進めません。いつ、どこで、何をしているときにどの様にうまくいかないのかということを、日常生活全体を見渡しながら具体的に状況を整理します。問題を感じる状況を具体的に整理できれば次になすべきことは、何が問題を生じさせているのかについて仮説を立てることです。そこに辿り着くことができれば評価の出番です。仮説に関連した変数を評価の対象とするのです。例えば、全般的に理解が悪いのではないかと考えれば知能検査を計画することになります。文字の読みが下手なのではないかと考えれば読字能力の評価をすることになります。問題を具体的に絞り込めるほど、そして可能性のある仮説を明確に用意できるほど、評価は効率の良いものになります。

 問題の原因や発生機序に関する仮説を立て、それを評価で裏打ちできたのであれば、その仮説に基づき対処方法を立案することになります。計画された対処方法が有効なものであったかどうかを検証するときにも評価が必要になります。そのときに重要なことは、対処によって何を目標にするのかを具体的に設定することです。読める文字を増やしたい、3、4位数の乗除の筆算を解けるようにしたい、授業中の立ち歩きを減らしたい、などと具体的な目標を決めることでそれに応じた評価項目が自ずと決まります。

 さて、以上が私の考えるところの評価です。このような考え方が妥当であるならば、評価というものは基本的に現実を具体的に把握することで問題そのものや問題が生じる状況を整理し、そこから問題が生じる原因や機序を想定した上で、具体的に設定された目標に向けてもの事を進められるように、具体的に計画された対処方法を実行するという一連の過程の補助となるものです。常に補助的役割しか担いません。評価よりも先に、現実の子供をしっかりと観察し、問題を整理し、目標を設定し、計画を立てるという営みの中で必要に応じてより緻密な評価がなされるべきものだと思うのです。バランスを考えることも重要です。精密な検査をすることにこだわって時間がかかりすぎたり子供の負担や経費が大きくなったりすれば、評価をする相対的な価値が下がります。また、問題を具体的に把握できていない状況や、問題にしか目がいかずなぜそのような状況に至ったのかを分析推理しようとする意思がない時や、評価結果をどのように利用するかという評価後の具体的計画がない状態では、評価は成り立たないし意味を持ち得ないのです。評価、すなわちアセスメントは漫然とするべきものでは無いということを強調したいと思います。

 最後に、知能検査について私が考えていることを書いておきます。WISC-5などのフォーマルな知能検査は多種類の評価項目から構成され、結果も複数の指標が算出されます。そのため、現状を広範囲に評価できる、あるいは問題の原因や発生機序を明らかにすることができると思われがちです。しかし、実際にはそれほど多くを期待できる検査ではありません。一言で言えば全般的な知能レベルを知ることができるだけと考えておくのが妥当です。現状を広範囲に評価できるわけではありません。社会性や行動特性の特徴を明らかにすることはできませんし、学業成績との大まかな相関はあってもどの教科のどの単元が強いとか弱いとか細かく具体的な評価はできません。問題の原因や発生機序に関しても、日常生活での詳細な観察を通して立てられた仮説と検査結果との間に矛盾がなければ仮説の正当性が強化できるという程度です。皆さんがよくご存知のワーキングメモリーを例にとれば、WISCでワーキングメモリー得点が低くても日常生活では結構人の話を確実に聞き取れていることはしばしばありますし、その逆もあります。言語理解得点が高い割に、日常生活では人の言葉を正しく理解できていないことが多いという場合もあります。WISCをすればこそ立案できるし、WISCなしでは成し得ない具体的な支援計画なんてものはほとんど存在しないのではないかと思います。

2026年5月3日日曜日

問題行動(行動問題、チャレンジング行動)

  今回は、いわゆる問題行動と言われている子供の振る舞いの評価について説明したいと思います。ここでいう問題行動は、集中の難しさ、立ち歩き、かんしゃく、暴言、暴力などを含みます。最初に指摘せねばならないことがあります。それは、一般的に問題行動は適応的行動と考えられているということです。つまり、その子供が置かれた生活環境の中で自分が必要なものを何とか手に入れることや、耐えられない状況から何とか逃げ出そうとするための止むに止まれぬ行動であり、本人が何とか編み出した適応的な行動なのです。そう考えると、その振る舞いがいかに不適切かと説教することで解決することが非常に難しいことがわかります。止むに止まれぬ行動であり、その子供にとっては辛い状況を脱する手立てが他にないのですから、そうそうやめるわけにもいきません。子供の不適切な行動、しかも、繰り返し生じる行動への対処の基本は、そのような行動を取らずにはいられない苦しみから解放することです。その子供にとって必要なものをいかに与えられるか、その子供にとって堪え難い苦痛からいかに解放するか、ということが対策の主眼となるのです。これらのことを念頭に、「問題行動」という用語の代わりに「行動問題」とか「チャレンジング行動」という用語を推奨する人もいます。ただ、現状では通りが良いので、この文章では「問題行動」という言葉を採用しています。

 以上のことを前提として、問題解決に向かうための問題行動のアセスメントはどのように進めたら良いでしょうか。一言で言えば、その行動を起こすことで子供が何から解放され、何を得ることができるのかを見つけるためのアセスメントが必要です。そのためには、問題行動そのものだけに注目していてもあまり得られるものはありません。では、何に注目すれば良いのでしょうか。

 問題行動に限らず人の行動は基本的に環境に左右されて決まります。いや、人は自分の意思に基づいて行動するはずだ、と疑問を持たれる方も多いかもしれません。中には「俺の取る行動は全て俺の自由意志に基づいている!」と強く主張される方もいらっしゃるかもしれません。そのような方を論破できる力は私にはありません。ただ、現実場面で人を指導する時、好ましい行動を取るように指導するにせよ、好ましくない行動を減らすように指導するにせよ、行動は環境によって規定されているという前提を持って指導計画を立てるとうまく行くことが多いのです。ということは、問題行動のみに目を向けるのではなく、その行動をとった子供がどのような環境に置かれていたのか、ということを知る必要があります。この文章では、その立場から問題行動をアセスメントする方法を説明します。

 まず、アセスメントの前提として、教師や保育者が問題と感じている行動を具体的に規定する必要があります。ルールを破る行動とか、わがままな行動とか、規律を乱す行動、などのように漠然とした捉え方ではいけません。友達の気持ちを考えないとか、努力しないとか、我慢が足りない、などのように目に見えない内面を取り上げることはもっといけません。極めて具体的に、かつ自分の目で確認できるように規定することが必要です。例えば、友達が使っているおもちゃを無理やり取り上げるとか、先生が説明しているときに大声を出すとか、授業中に席から立って歩き出す、のような形で規定する必要があります。その説明を他の先生に口頭で伝えたとき、相手が自分と同じ行動を思い浮かべられるように説明できたなら、具体性が高いと言えます。同じ子供に複数の問題行動が見られることがよくありますが、同時に全ての問題を解決しようとすると失敗します。まずは一つか二つの行動に絞ってアセスメントし、その対策を練ることをお勧めします。その際、どういう観点で絞れば良いでしょうか。自然な発想としては、本人ないし周囲の人々への影響が大きい、より深刻な問題から選ぶという方法があります。しかし、長期間にわたり先生が苦労して対処しているのに問題だらけ、という状況では、最も深刻な問題を変化させることは並大抵の努力では難しいです。「これならなんとか変えられそうだな」と思える、本人にとっても先生にとってもハードルの低い問題に絞ることが良い場合が結構あります。ささやかなことであっても、良い方向に進めることができたら子供本人も先生ご自身も自信がつきます。新たなことに挑戦しようという元気が出てきます。

 対象となる問題行動を具体的に決めたらアセスメントを開始しましょう。まず評価すべきことは発生回数あるいは発生頻度です。これは単なる私の偏見のような気もするのですが、保育者や教師の先生方はあるかないか、解決したか解決しないか、という1か0かの思考をする傾向が強い人が多いような気がします。しかし、生物が起こす現象に有るか無いかだけで変化するようなものは少ないです。紆余曲折しながらも次第に減少するとか増加するといった変化を示すものが多いです。生徒(いうまでもなく生物です)の行動も、ゆっくりと変化することは多いです。その動きを確実に把握するためにはできるだけ定量的に評価しておく必要があります。発生数が多くていちいち記録できない、というような場合でも半定量的な把握は可能です。例えば、1回の授業あたり数回か、数十回か、1日に数回か、週に数回か、くらいの把握をしておくだけでも変化を捉えられることが多いです。なお、週に数回程度の現象であれば、スキャタープロット(図6)に記録しておく方法があります。問題行動を観察した時間にチェックを記入するだけなので簡便ですし、次に記載するような行動の発生要因を深掘りする際にも役に立ちますので、お勧めです。

 問題行動の頻度を把握することと並行して行うことは、その行動が生じる環境のアセスメントです。頻度の把握と異なり、一つ一つのエピソードの評価が原則です。環境の特徴を把握するためのポイントは、問題となる行動が生じる前の状況と、行動が生じた後に見られる変化です。環境を分析する際に収集すべき情報は客観的に五感で確認できる事実のみです。その子供は〇〇君にライバル意識を持っていたとか、家庭では親があまりその子供に温かい接し方をしていないというような客観的な根拠がない情報を紛れ込ませないように充分気をつけるべきです。観察された事実を明確にし、自分の主観を紛れ込ませない態度が必要です。もう一点、把握できた事実は、必ず記録に残しましょう。図7に示したようなカードをあらかじめ用意しておくと良いかもしれません。頻度が高くて全ての詳細な記録が難しい場合は、前後の状況をしっかり把握できているエピソードのいくつかについて記録するだけでも役に立つと思います。

 問題となる行動の前に見られる状況についてはざっくりと2つのポイントを明確にしておく必要があります。第1は、ある程度時間の幅を持たせた事実です。いつ、どこで、何をしていたか、周囲には誰がいたか、といったことなどです。時間の幅には明確な縛りはありません。具体的に分かれば朝からその時までどのような経過があったかを記録しておいても何かの役に立つかもしれませんし、さらには過去半年間を視野に入れても構いません。例えば、2ヶ月前から明確に問題が増えたという事実があるのなら、2ヶ月前にどのような環境変化があったのかを探ることでヒントが得られるかもしれません。しかし、事細かに記録することには限度がありますので、そこは臨機応変にしてください。少なくとも、学校でのことなら問題が生じた時の授業または休み時間内のことはできるだけ詳しく記録に残しましょう。保育園や幼稚園なら問題が生じたときにしていた活動内容や場所、周囲にいた人(当然、担任の先生自身も含まれます)を具体的に記録します。行動の前に見られる状況の第2のポイントは、行動が生じる直前に起こった事象です。つまり、直接のきっかけに見える事象がなかったかということを把握できる限り明確にしておきましょう。例えば、先生が計算の間違いを指摘した、隣の子供がつっついた、全員が一斉に起立して椅子を引く音が鳴り響いた、という様なことです。
 事前の状況を具体的に把握することで、問題が生じやすくなる環境条件や問題を引き起こす直接的な要因に気付けることがあります。例えば、算数の時間が妙に多ければ、算数の授業という環境がその子供にとって適応しづらいものなのかもしれません。説明されていることの意味が理解できないとか、逆に簡単すぎて退屈すぎるとか。給食の時間になると揉めやすいのであれば、ひょっとすると感覚過敏があり臭いがその子供の不快感を高めているのかもしれません。また、先生の注意や叱責をきっかけに問題が生じるのであれば、否定的な言葉がけへの耐性がないのかもしれません。就学前か就学後かに関わらず、事前の要因としてしっかり吟味しておくべきことは活動や課題が本人にとって適切なレベルかという点です。活動や課題内容が本人にとっては難しすぎる、多すぎる、あるいは簡単すぎる(退屈)、ということが問題行動に結びついていることは驚くほど多いです。先に触れたスキャタープロット(図6)は事前の状況を分析する際に役立つ情報を提供してくれることが多いです。

 行動が生じた後の変化について具体的に把握すべきことは、事態が完全に鎮静するまでに本人及び他の人のとった行動です。他の人の行動はその場にいた全ての人の行動です。当然、その場にいたのなら教師や保育者自身の行動も含まれます。先に、問題行動は一般的に適応的行動と考えられると述べました。つまり、その問題を起こすことで子供自身が、最適な形とは言えないし一過性かもしれないけれども、苦しい状況から救われるのです。行動が生じた後の周囲や本人の変化を把握することは、その行動が持つ子供にとっての意味を推測することにつながります。その行動が具体的にどのような成果を子供にもたらすのでしょうか。多くの場合、要求が通る、嫌なことから逃げられる、人からの注目、のいずれかです。少し質の違うものとしては感覚刺激への欲求というものもあります。皮膚を掻きむしる、自分の頭を繰り返し叩く、などの自傷行為の一部(全てではありません)は特定の感覚刺激への欲求によって維持されます。これは他者を巻き込む騒動になることは少ないと思いますが、先生がやめさせようとして細かく叱り続けると騒ぎが大きくなるかもしれません。

 要求が通ることの例は子供同士の関係性ではしばしば見られます。かんしゃくや暴力によって相手が使っているおもちゃを取り上げる、自分がしたい遊びに無理やり参加させる、といったことなどです。2、3歳児なら普通に見られる現象ですが、年中、年長クラスの子供や小学生であれば適切な言動で他児とうまくコミュニケーションを取ったり良い関係を築いたりすることが難しいという本人の特性が背景にあることが多くなります。そう考えると支援の糸口が見えてきます。嫌なことから逃げられる例としては、授業中に大声で騒ぎ回り授業を中断させるとか教室から追い出されるというような展開があるとき、その授業が理解できず苦痛に満ちていた可能性が考えられます。授業中に素っ頓狂な発言をしがちな子供は、自分の言動で周囲の子供達が笑いながら自分に注目していることがポイントかもしれません。人の注目を集めるための言動でわかりにくいものは、叱責されることです。相手が親や大好きな先生の場合、叱責されていることが本人にとっては注目されているという意味を持つことがあります(多くの場合、本人には意識はされていません)。このような場合、叱ることで問題行動を定着していることになります。

 この話は以上です。生徒の問題行動に頭を悩ませている先生は、是非ともこれらの観点を意識したアセスメントをしてください。これだけの情報を揃えることで、この分野に詳しい人に助言を求める際に有益な回答を引き出しやすくなりますし、先生ご自身の子供の行動を見る目が広がっていくと思います。最後に、問題行動への対処には応用行動分析の知識が有用であることを付記しておきます。興味のある方は、応用行動分析について解説した書籍がたくさん刊行されていますので、それらのいくつかを手に取ることをお勧めします。

「学校園でできるアセスメント」:目次







2026年5月2日土曜日

算数の問題

  昔から、勉強の基本は読み書き計算と言われています。これは今でもそう変わっていないのではないでしょうか。読み書き計算がしっかりとできていれば、国語や算数以外の勉強を発展させることができます。逆に、読み書き計算で大きく躓けば、国語と算数にとどまらず、他の教科でも早晩うまくいかなくなることが予測できます。したがって、学習に関する問題では最初に読字の問題について取り上げました。当然、次に進むべきは算数の問題だろう、ということになります。しかし、困りました。算数能力の評価と言いましても、算数にはとても多くの要素が絡んでいます。とても私なんかに解説できる代物ではありません。よわった、よわった、と唸っていると良いアイデアが浮かびました。「そうだ、学校でもできるアセスメントを書いた良書を紹介してお茶を濁そう!」

 早速良い本を紹介するとしましょう。まずは、「読字の問題」でも紹介した稲垣真澄先生たちのチームによる「特異的発達障害診断・治療のための実践ガイドライン―わかりやすい診断手順と支援の実際―」[1]です。この本には、読字能力の評価法だけではなく、算数に関わる力の評価方法が記載されています。この本に記載された算数関連の評価は大きく分けて(1)計算障害の評価と(2)算数思考課題から構成されます。(1)にはI. 数字の読み(4桁までの数字呼称)、II. 数的事実の知識(一桁の数の加減乗除)、III. 筆算手続きの知識(筆算による加減乗除)が含まれ、それぞれ正誤の判定と回答までにかかる時間が評価されます。(2)には集合分類、集合包摂、可逆の評価が含まれます。

 次に紹介する書籍は熊谷恵子先生と山本ゆう先生による「算数障害スクリーニング検査: 適切な学習指導は正確なアセスメントから」[2]です。カバーする範囲は稲垣先生らの本と大きくは違いません。ただ、特に就学前から小学校算数の初期にかけて細かく評価できるように考えられています。同じ著者らによる「通常学級で役立つ 算数障害の理解と指導法」[3]も併せてお薦めしておきます。[2]に比べて支援の工夫についてページを多く割いています。

 アセスメントというテーマからは外れますが、算数教育に関連してぜひ紹介したい本がもう一冊あります。河村 暁先生による「数量処理とワーキングメモリから読み解く… 教室の中の算数障害 認知の視点でつくる教材と学習支援」[4]です。認知科学的な視点から、算数で躓く子供のベースにはどのような特徴があるのかを事細かに解説しています。また、現場でどのような工夫ができるのかということについても沢山提案されています。

 さて、4冊も素敵な書籍を紹介したので、この節はここで終わっても良いのではないかと思います。終わっても良いのかもしれませんが、駄文を重ねたいと思います。もう少し、お付き合いください。これらの書籍の中に記述されていることではあるのですが、小学校の先生に特に意識していただきたいことを指摘しておこうと思うのです。それは、最も基本的な段階で躓いていることを見逃され続ける子供の存在です。正確な頻度は把握できていませんが、決して稀ではないと考えています。少なくとも、私の外来ではしばしばお目にかかります。

 熊谷恵子先生と山本ゆう先生[2][3]によれば、算数障害は(1)数処理、(2)数概念、(3)計算、(4)数的推論(文章題)という4つの領域に整理されます。この4つの領域は、おおよそこの順番で子供が算数を習得する過程となります。(1)数処理は、数詞、数字、具体物の対応関係の理解です。(2)数概念とは数における性質を理解することで、順番を表す序数性の理解と量を表す基数性の理解という2つの側面があります。(3)計算は加減乗除とそれらの筆算の理解です。そして(4)数的推論には問題をイメージに置き換える統合過程と立式するプランニング過程が含まれ、これらの前後に読字読解能力と計算能力も必要となります。このうち、(2)の数概念が習得できているかどうかは分かりにくいのです。(1)から(4)はおおよそこの順番で習得されると申しましたが、(2)が不完全であっても(3)計算を手続として行えることがあります。そのため、数概念の理解が不十分なまま見逃され続け、学年が上がっていく子供たちがいます。習っている学年相当の課題に一見取り組めているので、多少躓いても努力で切り抜けられると判断されやすいのです。しかし、基本的な数概念が習得できていなければ、簡単な計算のうちは計算の意味が心底腑に落ちていなくても操作手順を覚えることでなんとか誤魔化せますが、しばらく同種の問題に取り組んでいないと解き方を忘れてしまい手に負えなくなります。

 1年生から2年生にかけて徹底的に確認しておくべきことは数概念(序数性と基数性)がしっかり身についているか、ということです。もちろん、それ以前に数処理が確実にできているかということは重要です。しかし、これは割とわかりやすいと思います。数を唱えさせる、物を数えさせる、数字を読ませる、数詞に応じた数字を書かせる、などの活動をする中で、身についていない部分はすぐに明らかになるでしょう(とはいえ、個別に確認する機会を設けたほうが良いでしょう)。数概念、特に基数が身についているかどうかは通常の算数指導の場ではわかりにくいため、あえて確認する必要がありますし、そのための方法を知る必要があります。

 数概念については、1年生の前半では10までの数を、後半に向かって120程度の数を把握できているかについて評価していくことになります。それぞれのレベルにおいて、序数性と基数性の両面の理解を確認していく必要があります。また、基数性に関連して分離量の理解だけでなく、連続量の理解に繋がっているかも確認していきます。序数性を理解するということは、数が系列であって順序を表しているということを理解することです。序数の理解の確認は数を正確に唱えられるかどうかを見ることが基本です(図4の問1)。10までは正しく唱えられても、二桁になると順番が怪しくなる子供がいます。数を唱えることができたら、数と数の順序関係を把握できているかどうかを確認する必要があります。二数の大小関係を確実に答えられるかを確認する方法もありますし、図4の問2のような数列の穴埋めをさせるという方法もあります。

 基数性を理解するとは、数を量として把握できることです。もっとも基本は、具体物を数え上げたときに最後の数がそこにある物の量を示しているということを理解しているということです。例えばおはじきを「1、2、3、4、5、6」と数えたら、そこにはおはじきが6個あると、まとまりあるいは量として把握できることです。これがしっかりと把握できていない子どもは、10個のおはじきを順次数えることができても「おはじきを10個ちょうだい」と言われると正しく渡せないことがあります。この感覚は、分離量にとどまらず、連続量にも拡張します。連続量として把握できているかどうかを確認する方法として数直線を用いる方法があります。図5の問1のように数直線上の任意の位置が幾つに相当するかを答えてもらったり、問2のように任意の数に該当する数直線上の位置を答えてもらったりします。また、図5の問3のように、ある長さの直線が特定の数に対応するとき、別の数に対応する直線を書かせるという方法もあります。序数性が身についている子では大小関係を間違えることはありませんが、比率としてはかなり出鱈目な直線を引いたりします。例えば問3の1)で、3に対応する直線として1に書いてある線よりかろうじて長めの線を描いたり、5倍近い長さの線を描いたりします。

 数概念が十分に身についていないまま九九や筆算に取り組まされ続ける子供達が思ったより多いということを小学校の先生方には意識していただきたいということを強調して、この項は終わろうと思います。


参考書:

[1] 稲垣真澄(編集代表)、特異的発達障害の臨床診断と治療指針作成に関する研究チーム(編集)「特異的発達障害診断・治療のための実践ガイドライン―わかりやすい診断手順と支援の実際―」診断と治療社、4,180円

[2] 熊谷恵子、山本ゆう「算数障害スクリーニング検査: 適切な学習指導は正確なアセスメントから」Gakken、2,860円

[3] 熊谷恵子、山本ゆう「通常学級で役立つ 算数障害の理解と指導法」Gakken、2,200円

[4] 河村 暁「数量処理とワーキングメモリから読み解く… 教室の中の算数障害 認知の視点でつくる教材と学習支援」明治図書出版、2,266円



2026年4月29日水曜日

Response to Intervention/Instruction (RTI)モデル

  特別支援教育は、障害のある幼児児童生徒を念頭に置いた制度です。必ずしも医療機関での診断を求めるものではありませんが、想定された障害種は医学的な診断概念に基づくものです。学校生活で何か問題があるときは然るべき医療機関を受診し、専門的な評価を受け、そこで出された結論に応じて配慮するという流れが一般的です。しかし、専門的な評価が可能な医療機関は限られており、仮に診断が出るにしても早くても何か月も先、地域によっては1年くらい先になります。その間、意味のある支援を受けることができないまま放置されるのであれば、あまりにも時間を無駄にしていると言えます。とりわけ、学習面で躓いていると、教えられる内容はどんどんレベルが上がっていきますので、仮に診断後に適切な支援を受けることができたとしても遅れを取り戻すことが大変困難になります。このことへの反省に基づいてアメリカで始まった考え方がResponse to Intervention/Instruction (RTI)モデルです(図3)。

 RTIモデルとは、科学的な根拠に基づいた妥当性のある指導を行い、指導に対する反応を踏まえて指導の頻度や内容を変えて行く予防と介入の支援モデルです[1]。通常RTIモデルはすべての児童を対象とする指導を第1層とし、捕捉的な指導を行う第2層、より高レベルの指導を行う第3層で構成されます。アメリカでは、このRTIモデルに基づいた段階的な指導が行われても十分な改善が得られないことを学習障害診断の条件としているそうです。つまり、病院などの特殊な専門機関で特別な検査をした上で診断し、それから支援を開始するのではないのです。必要な支援をさっさと始める義務が学校側にあるのです。そして、アメリカでの目安として、第2層支援の対象が全体の20-30%、第3層支援の対象が5-10%と言われています。

 さて、上に引用した関あゆみ先生の論文によりますと、日本で実践されているRTIモデルによる読字支援の代表的なものは、すでに前節で紹介した「T式ひらがな音読支援」[2]と「多層指導モデルMIM」[3]です。どちらも実績のある良い方法です。特に強調したいことは、いずれもRTIモデルとして作成されていますので、個々の指導やアセスメントの技術のみならず、すべての生徒を対象として読みが苦手そうな子供を抽出し素早く支援するための枠組みを提供しています。「T式ひらがな音読支援」は書籍が安価ですし、第1段階の解読指導に限れば104枚のカードを用意するだけですので準備が簡単です。今まで読字困難児への対応を経験したことがなかった先生にはとっつきやすいかもしれません。MIMは1セットが2万円近いので個人で手をつけるには勇気がいるかもしれません。学校全体で導入される方が良いでしょう。とはいえ、技術的な難易度が高いわけではありません。むしろ、日頃子供達の指導に携わる教師の皆さんであれば取り入れやすい内容だと思いますし、T式に比べて複数の子供を対象に指導しやすいのではないかと思います。T式がまず解読指導、続いて語彙指導、の流れになっているのに対して、MIMは最初から単語単位のまとまり読みも意識された構成になっています。どちらか単独でということではなく、T式とMIMを併用することも可能だと思います。

 RTIモデルでは、すべての子供を対象としていることが重要です。文字の学習に沿って言えば、第1層支援は通常の国語の授業ということになりますが、すでにこの段階で読みの苦手な子供の存在を念頭に置いたプログラムをすべての生徒を対象に施行する場合もあります。MIMではそのような指導方法が用意されています。そして、ある程度学習がなされた段階で全生徒にスクリーニング検査を行い、読字の困難さが疑われる子供を抽出し、補足的な指導を行います。これが第2層支援です。第2層支援がしっかり行われた状況で改善度を評価し、第2層支援のみでは改善が不十分な子供を対象に第3層の濃密な指導を行います。第2層支援を必要とする子供を抽出するためのスクリーニング検査はすべての生徒を対象に行うことが重要です。たまたま教師の目についた子供だけを支援するのではなく、すべての生徒の中から支援が必要な子供をもれなく見つけ出すことが重要なのです。そのために、T式ひらがな音読支援でもMIMでも、短時間にクラス全員の評価が行えるようなスクリーニング検査が用意されています。なお、前節で説明しました解読指導用のフラッシュカードを用いた評価方法は時間がかかりますので、クラス全員のスクリーニングには適していません。本格的にRTIモデルを実施するためには、それぞれの書籍に記載されているスクリーニング法を用いて書いてあるスケジュールに沿って評価を進めることをお薦めします。

 私達の診療場面では、基本的な読字能力、しかも平仮名を読む力が不十分なまま支援を受けることなく学年が上がっている子供がとても多いという印象を持っています。読みが拙いことに気づかれないままに何度も長文を読まされることによってすっかり自信を失ったり読書や勉強をひどく嫌ったりし出した子供達を大勢目にしてきました。RTIモデルの重要性は、すべての生徒を対象に支援が必要な子供を早く見つけ出し、速やかな支援を提供できるという点にあります。この文章を読まれた、特に小学校教師や教育行政に携わる先生方にはぜひ、学校全体あるいは地域全体でのRTIモデルの構築を目指していただけないかと願っています。なお、付け加えておきますが、RTIモデルは読字の指導だけに限られた考え方ではありません。例えば、主として行動の問題への対応としての取り組みとしては学校規模ポジティブ行動支援(SWPBS)[4]というものがあります。参考になさってください。


参考書:

[1]関あゆみ「Response to instruction (RTI) モデルによる読みの支援:米国における縦断研究の動向と日本における取り組み」発達心理学研究 33 (4): 314-324, 2022

[2] 小枝達也、関 あゆみ「T式ひらがな音読支援の理論と実践ーディスレクシアから読みの苦手な子まで」中山書店、3,850円

[3] 梅津亜希子「多層指導モデルMIM読みのアセスメント・指導パッケージ つまずきのある読みを流暢な読みへ」Gakken、19,800円

[4]若林上総、半田 健、田中善大、庭山和貴、大対香奈子「学校全体で取り組む ポジティブ行動支援スタートガイド」ジアース教育新社、2,420円


2026年4月25日土曜日

読字の問題

  この項では基本的な読字能力がどの程度習得できているかについてのアセスメント方法を説明します。最初に強調したいことがあります。それは、「本を読めない子供は文字が読める」ということです。文字を読むことが非常に難しい人のために医学が用意した診断名に発達性読字障害(ディスレクシア)というものがあります。限局性学習症(「学力の特異的発達障害」または「学習障害」ともいう)と呼ばれる概念の中に含まれます。厳密な評価を経て発達性読字障害と診断された人でも、その多くは文字が読めます。中には、ほとんど読めない人がいないではないのですが、それはむしろ珍しい状態です。特に、日本語の仮名文字はアルファベットに比べて文字と音との対応が単純なので、相当読字の下手な人でも仮名文字は一応読めるようになりやすいのです。診断されるレベルの人でさえ読めるのですから、診断されるほどではないけれども文字を読むことが難しい人達(とても多い)は文字が読めます。

 発達性読字障害を含めて文字を読むことが苦手な人達のほとんどは、文字が読めないのではなく読むことにひどく努力が必要なのです。そのような状態では、とりあえず文字を読めても文章の内容が理解しにくくなります。外から見ると、読解力が弱い状態に見えます。しかし、読字能力が低いために文章の内容の理解が難しくなっている子供では、読んで聞かせるとよく理解できます。算数の文章題が極端に苦手な子供の一部は読字能力が低い子達が占めています。このような場合、問題を読んであげれば正解を出すことができます。なんとか内容を理解できる人でも、文字を読むことに苦痛を感じ本嫌いになります。文字はほとんどの学習のベースになっています。したがって、文字を読むことの苦手な人は広く学習することが難しくなります。文字は一応読めているから大丈夫だろうと軽く考えていると、大きな落とし穴が待っていることになります。文字を読むことが下手な子供たちを早く見つけ適切な指導を講じることは、1人の子供の将来を大きく救うことになりますし、子供達全体の学力レベルを改善することにもつながるのではないかと思います。

 読字能力の習得の段階を簡単に説明すると、まず、多くは4歳頃までに文字に興味を持ち、何か言葉を表しているのだという文字の意味に気づくようになります。並行して、言葉が音の単位(音節、母音、子音など)の組み合わせでできていることを認識するようになります。ついで、文字と音との対応関係を習得します。これには二つの段階があります。多くの子供は5歳過ぎから就学頃までに文字と音の変換ルールが定着します。「か」を見れば/ka/と読むことがわかるということです。さらに、8歳頃にかけて文字-音変換の自動化が進むとともに複雑な読み(拗音や促音など)のルールが定着していきます。変換の自動化とは、文字を見たときに全く努力せずに反射的に音が浮かぶようになることです。一通りの変換ルールが定着した8、9歳以降は、1文字ずつ認識するのではなく、語彙単位で読む力(まとまり読み)が伸びていきます。一般的な年齢の目安を書いていますが、これには個人差がかなりあります。もちろん、平仮名が読めるようになることに並行して片仮名の学習や漢字の学習へと広がっていきます。以上のプロセスの中で特に見過ごされやすいのが平仮名読字の自動化が不十分な状態です。このようなレベルでは、一見読めているのですが読むことに努力を要します。そのため、書いてある内容を素早く理解できませんし、文字を読むこと、ひいては書くことが非常に苦痛になります。本節では、文字と音との対応が成立しているかどうかと、平仮名読字の自動化ができているかどうかの段階に絞ったアセスメントについて説明します。

 現在、日本の医療機関で発達性読字障害を念頭に置いた日本語読字能力の評価としてよく用いられている読字能力の評価方法には2種類あります。参考文献の[1]と[2]をご参照ください。いずれもそれほど特殊な技術を要する評価法ではありませんので、学校でも取り入れることはできるとおもおいます。興味のある方は目を通されることをお勧めします。ここでは教科書の音読と平仮名一音表記を印刷したフラッシュカードを用いた評価方法を説明します。

 読字能力評価としてまず確認することは、文章の音読です。教科書の音読なら、授業の中で観察できますので効率が良いと思います。ただ、何度も練習した文章は参考になりません。文章を暗記している可能性があります。初めて目にした文章の読み方を確認することが重要です。学年相当の漢字を読めるかどうかも注目点ですが、それ以前の問題として平仮名読字能力が十分かどうかに注目しましょう。もちろん、読めない平仮名表記があれば間違いなく読字の困難さがあります。そこまでのレベルではない場合に注目すべきことは読みの流暢性です。速く滑らかに読めるかどうかということです。非流暢な読み方で最も典型的なものは、一文字ずつ切って読む逐字読みです。逐字読みほどひどくなくても、単語や文節の途中で区切ってしまうことが多ければそれも非流暢な読み方といえます。非流暢な人は読みのスピードが遅いです。かなりスムーズに読んでいてもスピードが遅いです。流暢性と共に読み誤りの多さにも注目する必要があります。拗音の読み誤り(例:「きゃ」を「きや」と読む)は多いです。文末の読み誤り(例:「作りました」を「作った」と読む)や行飛ばしなどもしばしば見られます。読みの速さと読み誤りの数は反比例します。非流暢な子供が無理して速く読めば、読み誤りが増加します。教科書を1〜2ページ読んでもらうだけで、読字が困難かどうかは大体検討がつきます。


 教科書の音読で読字の困難さが見られたら、平仮名一音表記を印刷したフラッシュカードを用いてより詳細な評価をします。ここで用いるフラッシュカードは小枝達也先生と関あゆみ先生が開発した「T式ひらがな音読支援」[3]の第一段階(解読指導)で使われる物を流用しています。なぜこのフラッシュカードを用いるかというと、単にアセスメントするということだけではなく、アセスメントからそのまま支援に繋げることができるからです。さらに、非常に簡単に取り組めることも利点です。用意するものは、平仮名一音表記を印刷したカードです。平仮名の一音表記は図1に示したように、清音と撥音46文字、濁音と半濁音25文字、拗音・濁拗音・半濁拗音33種類の計104種類です。それぞれの表記を一つずつカードに印刷します。同僚の心理士のアイデアで、私の勤務先ではポケモンカードの大きさにしています。そうすれば、100円ショップで売っているポケモンカード用のスリーブに入れて使えるので、いちいちパウチするより簡単です(図2)。まず、T式ひらがな音読支援の第一段階、解読指導について説明します。できるだけ速く読むように指示してからカードをランダムに見せ、瞬時に読めるカード(A)、読むまでに間が開くまたは読み間違えてすぐに修正したカード(B)、読めないまたは読み間違えるカード(C)に分けていきます。読めないまたは読み間違えるときは考えさせたりせずにすぐに正解を聞かせます。一通り終わったら、BとCのカードだけをまとめてまた読ませます。これを2、3回繰り返すことを毎日実行すれば、多くの子どもは3週間程度で一音表記をかなりスムーズに読み始めます。このカードを読字のアセスメントに用いれば、評価にとどまることなく継ぎ目なく支援に移行できます。なお、読めているのにAとBに分けられることを気にして怒り出す子がしばしばいます。そのため、私の勤務しているクリニックではA、B、Cの3種類ではなく、読めるか読めないかの2種類に分類しています。もちろん、瞬時に読めるかどうかは重要です。ただ、私達は一通り読めるようになるとその後はタイムトライアルに変えて速さを目標にして練習を続けるようにしています。そのため、すべての文字がきっちり読めない段階では速さをそれほど気にしなくても良いと考えています。

 このフラッシュカードを読字能力のアセスメントとして用いる場合は、104枚のカードをランダムに見せて、子供が読めるかどうかを一枚ずつ確認します。教科書がかろうじて読める子供でも、フラッシュカードで一つずつ確認されると読み誤ることが多いです。特に拗音は、文章を読むときには一見読めていても一つずつ見せられると読み誤ったり読めなかったりすることが多いです。教科書の音読がなんとかできている子供では清音を読み誤ることは少ないと思いますが、「め」と「ぬ」や「わ」と「ね」など形の似た文字を読み誤ることがしばしばあります。1年生の1学期や2学期に評価するときは、104枚を一気に見せるのではなく、まずは清音と撥音のみで評価し、全て読める子供にのみ濁音半濁音や拗音のカードを見せるようにした方が嫌な気持ちにさせることがなくて良いかもしれません。一通り間違いなく読める子供では、あらためてできるだけすぐに読むように指示した上で、104枚のカードをリズムよく見せていき、全て読み終えるまでに何秒かかるかを計測します。私達は一応の合格ラインを1分30秒程度に設定しています。さらに10から20秒程度速ければ、平仮名一音表記読字の自動化は十分にできていると考えます。なお、大人なら余裕で1分を切ります。ただし、この方法は、カードを見せる側の熟達度に結果が左右されますので、あまり厳密な評価方法ではないことに注意してください。評価者側の熟達度に関係なく客観的で正確な評価をする必要があるなら、参考書[1]から[3]に記載されている評価方法を参考にしてください。このフラッシュカードを用いた方法は、T式ひらがな音読支援第1段階(解読指導)にスムーズに移行できることがメリットです。

 さて、以上の評価で読めないあるいは読み誤るカードがあるときは、時を無駄にせずにT式ひらがな音読支援の第一段階、解読指導に移行しましょう。すべてのカードを一通り読めていても、104枚全て読むのにかかる時間を測って1分30秒を切れない場合も解読指導を行うことをお薦めします。その際の注意点を記しておきます。清音でさえ読めない文字が多い子供では濁音や拗音は後日に回して、とりあえず清音カードだけで解読指導を始めた方が無難です。何しろ、文字を読むことが苦手な子供は、難しい文字を読まされると一気に意欲が失せたりします。この、T式ひらがな音読支援の解読指導はすることが単純なので実行するのに技術的な難しさはあまりありません。ポイントは、いかに子供に嫌がらせることなく根気よく取り組ませ続けられるか、というところにあります。そのため、読めないカードがとても多い状態では始めない方が良いのです。第2段階まで含めたT式ひらがな音読支援の詳細については参考書[3]を読んでください。一冊3,850円です。個人で購入しても大した額ではありませんし、小学校には必ず購入しておくべき書籍だと思います。この本には、もっと厳密な読字能力の測定法も記載されています。


参考書:

[1] 稲垣真澄(編集代表)、特異的発達障害の臨床診断と治療指針作成に関する研究チーム(編集)「特異的発達障害診断・治療のための実践ガイドライン―わかりやすい診断手順と支援の実際―」診断と治療社、4,180円

[2] 宇野 彰「標準読み書きスクリーニング検査: 正確性と流暢性の評価」インテルナ出版、2,860円

[3] 小枝達也、関 あゆみ「T式ひらがな音読支援の理論と実践ーディスレクシアから読みの苦手な子まで」中山書店、3,850円


2026年4月22日水曜日

学習の問題

  この節は「学習の問題」というタイトルにしていますが、子供の学力のアセスメントについて解説しようというわけではありません。発達障害診療をしている医者が小学校の教科学習に関して感じている問題をつらつらと述べようという趣旨です。愚痴をこぼすコーナーです。

 私の外来を発達障害のある小学生が受診するときに2番目か3番目に多い主訴が、「勉強がうまくいかない」というものです。最も多い主訴は集中できない、衝動的、かんしゃく、暴言暴力など行動の問題です。勉強の悩みと同程度に多いのが不登校傾向です。ただ、主訴が行動の問題や不登校傾向であっても、細かく聞き取ればその多くに学習の問題が潜んでいます。つまり、勉強で苦しい思いをしていることが行動の問題や不登校傾向につながっていることが多いのです。そう考えると、勉強の悩みというものは子供の健康な暮らしにとっての大きな脅威であり、なんとか対策を立てるべき問題といえます。

 言うまでもありませんが、医者はその養成課程や実臨床の場で小学生に勉強を教えるということを学んでいません。学習の問題を医者に訴えてもお門違いというものです。しかし、あまりにも訴えが多いので、見て見ぬふりもできません。クリニックのスタッフと一緒に頭を悩ませながら、多少なりとも手助けできることがないかを探るようになりました。その中でいろいろ気づくことがあります。子供が勉強で躓いているとき、教師個人の問題ももちろんあると思うのですが、構造的な問題が大きいのではないかと感じます。つまり、日本の教育行政や教育界の文化に起因する問題が多いのではないかと考えるようになったのです。私が考え付いた小学校の教科指導に関するいくつかの具体的問題点を以下に記していこうと思います。教える内容に関してではなく、主に指導方法やシステムに関する問題です。おそらく構造的問題なので、教師個人には如何ともし難いことが多いかもしれません。ただ、校長や教頭など、リーダーが工夫すればなにかしら現状を変えていけることも多いのではないかと思います。

 まず指摘したいことは、最も基本的なスキルが身に付いていないことが見逃されているということです。私自身の診療経験から考えると、学業不振を主訴とする子供のかなりの割合は文字を読むことが苦手です。教科書を音読してもらうと、たどたどしい。1文字ずつ区切って読む逐次読みの子もいますし、そこまでひどくなくても音節の途中など不自然な部位で途切れがちだったりします。読み誤りや読み飛ばしも頻回に見られます。そのような子の多くは、たとえ一通りの平仮名を一応読めていても、反射的に読めるようになっていません。文字を見て瞬時に読める(自動化すると言います)ようになっていない子供に長文読解や作文を課題として与えると、それは拷問に近い作業になります。仮名文字をスムーズに読むという、読み書きの入り口で躓いたまま学年が上がり、国語が嫌いになっている子供はかなり多いのではないでしょうか。読字に苦労し続けると、いずれは国語のみならず多くの教科で付いていけなくなります。

 低学年のうちに習得すべき最も基本的なことができていないという、平仮名読み問題と類似したこととして、数量概念の理解ができていないままに学年が上がっていく子供も結構いるように感じます。例えば、一桁の加減算で指を使いながら考えている知能は全く正常範囲内の5年生の子の診療をしたことがあります。その子に適当な一桁の数を線分や円で表し、それを参考に別の数に相当する線分や円を描かせると、とんでもない長さや大きさの図を描いてしまいます。かろうじて序数は把握できているようなのですが、基数(集合数)としての数量概念がきちんと身についていないようです。最も基本である数量概念(序数と基数)が十分に理解できていないままだと、早晩算数が理解できなくなるのは目に見えています。平仮名読字の自動化や、数量概念の把握など、「え、そこから?」と言いたくなりそうな入り口で躓いているのに、なんら対策を講じられないままに次々と上のレベルのことを教えられていけば、勉強が辛いもの以外の何者でもなくなることが目に見えています。

 上に述べた、最も基本的なスキルが身に付いていないことが見逃されていることと無関係ではありませんが、学校では学力についての評価がきちんとなされていないように見えます。学力テストをしているではないかと反論したくなる人もいるかもしれません。確かに学力テストも評価の一つと言えます。しかし、これでは不十分です。学力テストは現在教えていることが身についているかどうかをチェックしているにすぎません。子供ごとにどの程度の学力が身についているのかを知るためには、教科ごとの学習内容を就学前の準備段階から中学校卒業後のレベルまで連続的なものとみなし、その中で今現在その子供はどのレベルにあるかを評価できる方法が必要です。学習到達度の評価です。このような評価が当たり前になされていれば、平仮名がスムーズに読めない子供に長文の作文を書かせたり、一桁の数の概念を身につけていない子に二桁三桁の繰り上がり繰り下がりのある計算をさせたりはしないはずです。何年にもわたる「発達」という観点から、一人一人の子供が今どのレベルにあるのかということをきちんと評価する必要があるのではないでしょうか。

 さて、ここまで述べたことを踏まえると自然な結論になりますが、今の小学校の教科指導は個々の子供の理解力や習得できているものを前提としたカリキュラムになっていません。大多数の子供は一斉に同じレベルの内容が教えられています。これは原則として学習指導要領に沿った指導をしないといけないと決められているからであって、教師個人や学校の責任ではありません。とはいえ、このままで良いとも思えません。私は、学習指導要領では各科目の指導順序だけを定め、学年ごとに内容を固定することをやめれば良いのではないかと思います。そして、一人一人にオーダーメイドで教えるのはあまりにも非効率なので、教科ごとに進度の違う複数のクラスを用意し、子供自身の希望も取り入れてクラスを選択させれば良いのではないでしょうか。どうしても一学年の大半の子供に同じ内容を教えることに固執するのであれば、8、9割以上の子供が理解し身につけられる内容に留めるべきです。その場合は、知的能力が高い子供たちに意欲を持たせ続けるにはどうすれば良いかという問題が生じると思いますが。

 効率の良い学び方が子供によって異なることへの配慮が不足しているのではないかということも指摘したいと思います。同じことを学ばせる場合でも、成果の出やすい学び方が子供によって違うことがあります。個人的にとてもよく遭遇する例として、漢字の学習方法を取り上げましょう。おそらく多くの学校では同じ漢字を何度も書かせる方略を採用しているように見えます。しかし、同じ字を何回も書くことがひどく苦痛となる子は少なからず存在します。注意欠如多動症と診断されている子供の多くは単調な繰り返し練習をひどく嫌います。こういう子供はとにかく早く済ませたいがために非常に雑な書きっぷりになります。まず偏だけを上から下へと次々に書き、次いで旁を書いていく、という奇妙な作戦を取る子供も出現します(何を隠そう、私の小学生時代のことです)。とにかく苦痛から早く逃れたくて、じっくりと文字の構造を見ることがありません。何度も書くことで学べる子もいるでしょうが、一つの字をじっくり綺麗に書かせることや、粘土で文字を作らせることの方が文字の形の細部まで意識して身につけられる子もいるかもしれません。文字の構成要素を「タテ タテ ヨコ ヨコ」などと音にして唱えると覚えやすい子もいるかもしれません。今時であればゲームボーイの漢字学習ソフトなら張り切れる子供もいるかもしれません。学習方法の様々な選択肢を提示し、それぞれの子供が自分に合った方法を選択できるようになれば良いのになあと思います。

 さて、最後に粗雑な感想を述べておきます。教科指導に限定された話でもありませんが、今時の小学校はおしなべて子供に高い負荷をかけすぎているのではないかと感じます。「ほどほどにしとけよー」「疲れたら休めよー」という雰囲気があまりにも乏しいのです。一方的に「頑張る」ことに価値を置きすぎています。大人と同様に、子供にもそれぞれのペースがあります。教科学習に限定しても、知的な理解力のレベルだけで物事が決まるわけではありません。褒められながら思いっきり突っ走ることが嬉しい子供もいますし、なかなかエンジンのかからない子供もいます。疑問に感じたことを延々と考え続ける子供もいれば、考え続けることが至って苦手な子供もいます。それぞれの子供のペースが全く考慮されない指導を続けた時、遅かれ早かれ子供は限界に達するでしょう。難しすぎる内容を延々と聞かされ続けることや、分かりきった退屈な内容に取り組まされ続けることも、学習意欲を消失させることは考えるまでもありません。色々な意味でその子供のペースからかけ離れた指導が続くと、苦痛に満ちた時間を耐え忍ぶことになります。高すぎる負荷という表現を使うと、学習内容のレベルが子供にとって高すぎる場合だけを想像しやすいですが、色々な意味で子供にとって不快なあるいは苦痛な状況が続く状態は全て負荷が高すぎると言えます。教科教育の中で過負荷が続くことは学力的な問題を増加させるだけではなく、暴力やかんしゃくなどの行動の問題、不登校や登校渋りにもつながります。小学校生活の中では教科学習の時間が圧倒的に長いのですから、当然のことといえます。

 さて、次節からは最初に取り上げた平仮名読字と数量概念のアセスメントについて説明したいと思います。

2026年4月18日土曜日

自閉スペクトラム症の傾向 3

  本節ではDSM-5-TR[1]に記載された自閉スペクトラム症診断基準B項、すなわち「行動、興味、または活動の限定された反復的な様式」の説明をします。B項はA項よりも読んでわかりやすいのではないかと思います。ここに記載されている行動特徴はどれも、興味や活動の幅の狭さに由来し、繰り返し行動や変化に対する強い抵抗を示しています。

『(1) 常同的または反復的な身体の運動,物の使用,または会話 (例:おもちゃを一列に並べたり物を叩いたりするなどの単調な常同運動,反響言語,独特な言い回し).』

 これは、行動のバリエーションが狭く、反復行動が多いことを示しています。よく知られているのは反響言語です。これには即時型と遅延型があります。即時型反響言語(いわゆる「オウム返し」)は相手の台詞とまったく同じ言葉で返事をすることです(例:「何をしたい?」と質問すると「何をしたい?」と答える)。これを読んでいるあなたも相手の言葉に驚いた時などにオウム返しになることがあると思います。オウム返しを少しでもしたら当てはまるのではなく、繰り返し見られることが肝心です。遅延型反響言語は身の回りの誰かが言っていた台詞やテレビや動画で聞いた台詞などをその場の状況と関係なく突然言い出す現象です。幼児や小児ではアニメの登場人物のセリフや、最近では動画のセリフなどが多いです。反復的な発話もよく見られる特徴です。同じ単語やフレーズを、繰り返し口にします。同じ言葉を繰り返すことに特別具体的な意味はありません。

 自分と相手の立場が逆転した言い間違いをよくします。例えば、「~してあげた」と言うべきときに「~してくれた」と表現したり、「行く」というべき時に「来る」と言ったりします。幼児期には、「いってきます」と「いってらっしゃい」が逆になったり「おかえり」と「ただいま」が反対になっていたりします。英語圏では"I"と'you"が逆になることがよく記載されています。しかし、日本語では主語を明確に言わないことが多いので、一人称の逆転にお目にかかることはほとんどありません。年齢よりも大人っぽい言葉遣いをすることや過剰に丁寧な敬語を用いることが目立つ子供もいます。こういった特徴は知能の高い例に多く見られます。ただ、大人びた物言いや難しい言葉を好むものの、その意味を正確に理解できていないことも多いです。

 繰り返し行動(常同行動)の多さも(1)に該当します。幼児期にはおもちゃやミニカーなど、物をきれいに一列に並べることを繰り返すことが多く見られます。積み木などをひたすら積み上げることを繰り返す子供もいます。くるくる回り続ける、ぴょんぴょん跳び続ける、手をひらひらさせる、椅子の上で上体を前後にゆすり続ける、ともすればつま先歩きをするなどの常同的な身体運動は知的発達症(知的障害)を併存する例に多く見られます。ただ、知能に問題がない成人でも、自分の部屋など1人になると常同行動が生じることがあります。

『(2) 同一性への固執,習慣への頑ななこだわり,または言語的,非言語的な儀式的行動様式 (例:小さな変化に対する極度の苦痛,移行することの困難さ,柔軟性に欠ける思考様式,儀式のような挨拶の習慣,毎日同じ道順をたどったり,同じ食物を食べたりすることへの要求)』

 これは、自分を取り巻く環境や自分自身の行動の変化を嫌い避けようとする傾向です。慣れない場所、人、活動では不安になりやすいという漠然とした状況もよく見られますが、より明瞭で人目を引く行動として現れることが多いです。例えば、自分が着る服、食べるもの、自分のみならず他者の食器や座席などを決めてしまい、それらが変るとひどく嫌がる子供がいます。物事の手順や道順にこだわり、変えることを拒んだりします。

 予定の急な変更や普段と違う特別な行事で落ち着かなくなったり不安が強くなったりしやすいことが多いです。学校園での活動がいつもと違う教室になったり、普段はいない別のクラスの子供が同じ場にいたりすると動けなくなる子供もいます。多くの子供では活動の切り替えが苦手です。遊んでいるときに別のことをさせようとしてもなかなか切り替えられません。

 同じ質問をなん度も繰り返すことがあります。これは、しつこく要求を繰り返すこととは区別する必要があります。しつこく要求を繰り返すことは自閉スペクトラム症ではなくても、例えば注意欠如多動症の子供でもよく見られることです。繰り返す質問に対して、いつも同じ返答を要求することもあります。質問を繰り返す時、その内容はさまざまですが、予定に関連した質問が多いです(例:「今日、何時に〇〇へ行くの?」と何度も繰り返す)。

『(3) 強度または対象において異常なほど,きわめて限定され執着する興味 (例:一般的ではない対象への強い愛着または没頭,過剰に限局したまたは固執した興味)』

 (3)は特定の対象に極端に強い興味を注ぎ没頭する様子を示しています。また、興味の注ぎ方の程度の過剰さだけではなく、興味をそそぐ対象がその年齢や立場からは想像できない奇妙なものである場合も含みます。ミニカーやゲームなどは定型発達児でもしばしば好みますので、その程度の過剰さに注目する必要があります。質の異常さとはその年齢の子供が普通興味を持たないようなことに強い興味を抱くことです。例えば3、4歳の子供が天気予報やニュース解説を楽しみにしているような状況です。文字、数字、記号、道路標識などに強い興味を示すことも多いです。何かに強い興味を抱くことと裏表の関係にありますが、同年齢の子供の間で大いに流行っていることに全く興味を示さないことがよくあります。いわゆる、流行に疎い状態です。

 紐や棒をくるくる回し続けることや扇風機の羽を回し続けるといった単純な動きへの興味は知的発達症の強い例に多く見られます。単純な動きや音を出すことへの興味などは下で説明する感覚刺激への特殊な反応に入れるべきかどうか迷うことが多いです。

 知的発達症のない子供では、幼児期には単純なものに熱中していたとしても年齢が上がるにつれてある程度知的な活動であることが多くなります。例えば、昆虫に熱中する場合に昆虫の人形を集める一方で図鑑を繰り返し読み学名まで覚えるとか、電車に熱中する場合は時刻表を丹念に読み電車の形式名を全て覚え1つの駅から別の駅へ行く方法を熟知する、というようなことです。言うなれば、〇〇博士と呼びたくなるくらいにマニアックな知識を持っているのです。

『(4) 感覚刺激に対する過敏さまたは鈍感さ,または環境の感覚的側面に対する並外れた興味 (例:痛みや温度に無関心のように見える,特定の音または触感に逆の反応をする,対象を過度に嗅いだり触れたりする,光または動きを見ることに熱中する)』

 感覚刺激への特殊な反応は、強い痛みや暑さ寒さに鈍感である一方で些細な感覚刺激にも妙に敏感であるなど、感覚の過敏性と鈍感さが混在していることが典型的です。また、感覚刺激の限られた側面に熱中することもありますし(例:キラキラ光るものを見つめ続ける)、感覚過敏と表現されることが多いですが特定の感覚刺激をひどく不快に感じることもあります。一般的には不快刺激にはとられない音や、不快であっても程度が軽いと思われている音をひどく嫌うことがよくあります。運動会のピストルの音、大勢の子供達の歌声やざわめき、ドライヤーや掃除機の音、などが嫌な音としてよくあがるものです。

 感覚的な特徴の中でも、強い偏食を示すことは特に多いです。料理や食材へのイメージがよくなると食べられるようになるものもあります。しかし、強い嫌悪感を引き起こすこともありますので、食べることを強要してはいけません。臭いに過敏な子供も多いです。手に取ったものはなんでも匂いを嗅いでみる程度ならあまり困りません。しかし、日常的な臭いに強い嫌悪感を感じるようになると、そのことで生活が制限されることがあります。

 視覚に関連した症状としては横目使いが多い、特定のもの(例:水の流れ、ファンなど回転するもの)を見かけるといつもじっと見つめてしまう、不思議なくらいに眩しがりやすい、といった様子が観察されることがしばしばあります。

 触覚に関連しては、特定の手触りや肌触りにこだわり繰り返し触る、特定の手触りや肌触りを嫌い触れない、体の特定の部位あるいは体中どこでも人から触られることをひどく嫌がる、などの症状がしばしば見られます。手を繋ぐことを嫌う幼児では、感覚の過敏性によるものか自由を制限されることを嫌っていることによるのかを区別する必要があります。衣服の材質や裾や袖の長さにこだわることや、衣服が水に濡れることを嫌がることなどもしばしば見られます。

 以上のように、さまざまな感覚刺激に対して特殊な反応が見られることがあります。何気なく見ているだけでは気づかないことも多いので、「感覚の問題があるかもしれない」と意識して日常の様子を確認する必要があります。感覚の問題はかなり生活の支障になることがあります。音楽など特定の授業や活動をひどく嫌っている原因が聴覚過敏であったとか、臭いが耐えられず給食の時間を嫌う、などということもよくあります。不登校につながることもありますので、甘く見てはいけない特徴です。

 B項の背景には思考の柔軟性の乏しさがあります。一度抱いた考えを切り替えることが難しので、見当はずれの確信を長く抱き続けることにつながりやすいです。


参考書:

[1]APA、日本精神神経学会、他「DSM-5-TR 精神疾患の診断・統計マニュアル」医学書院、23,100円