子供用の知能検査の代表格と言えるものが、WISC(Wechsler Intelligence Scale for Children、日本文化科学社)です。2026年11月現在、2021年に発売されたWISC-V(第5版)が最新版です。発売当初は16種類の下位検査から構成されていました。2026年7月に、5種類の下位検査が加わった21検査版が発売され、一層多面的な評価ができるようになりました。新しく加わった5種類の下位検査は、特に学習障害(読字障害、算数障害)との関連が強いと言われています(明翫光宜 編「知能検査(WAIS・WISC)の質的分析」遠見書房、2026)。ますますWISCに憧れを抱く教師が増えそうです。そうなると、発達障害の可能性が考えられる子供に対して「WISC検査をしてもらいましょう!」という圧が一層かかるのではないかという気がして、私は少々憂鬱になります。
前もってお断りしておきますが、WISC-Vがダメな検査だと言いたいわけではありません。膨大な時間をかけて、多くの研究者が練り上げてきた子供の知能の包括的な評価法であり、その価値は疑うべくもありません。適切な目的で、適切な対象に対して、適切に用いる限りにおいては非常に多くの情報を引き出し、その子供の能力のプロフィールを理解し、その生活を支える支援に繋がっていく可能性が高い検査と言えます。しかし、全ての問題の解決への道筋をつける夢のような検査では決してありません。WISCの性質というものを、もっと言えば、一般的に検査が有する性質をしっかり理解して使うかどうかを判断する必要があります。そして、たとえどのような目的でWISCを施行したとしても、その結果から揺るぎなく断言できることは何もありません。
単純に言えば、医学で用いる検査の最も大きな目的は何らかの疾病を診断する、あるいは異常を見つけることです。その人の持っている力の強みや弱みを知るために検査をするのだとしても、ある特定の能力に関連した問題があるかどうかを明らかにすることだと言い換えることが可能です。目的とする診断(異常あるいは問題)を判定する上で、検査が持つ意義を示す指標が二つあります。実際にはもっと色々あるのですが、話がややこしくなるのでここでは二つだけ触れることにします。まず、実際に疾病に罹患している人のうち、検査で正しく疾病あり(陽性)という結果が示される割合です。疾病に罹患している人たちのうち、何%の人を正しく疾病ありと判断できるか、という指標です。これを感度と呼びます。もう一つは、疾病に罹患していない人たちのうち、検査が正しく疾病なし(陰性)と示す割合です。病気ではない人を疾病ありと誤診しない割合です。この指標は特異度と称します。感度も特異度も100%が理想ですが、そのような検査法は存在しません。通常、臨床の場でよく用いられる検査では、それぞれが70から80%あればかなり優秀な検査と言えます。つまり、どんなに優れた検査でも、ある疾病に罹患している人を100%正しく診断することはできません。逆に、実際には疾病には罹患していないのに病気だと結論されてしまうこともあるのです。従って、まともな臨床医であれば一つか二つの検査のみで診断するかどうかを決めてしまうことはありません。何よりも、症状、経過、診察所見をまず吟味してどのような問題がありそうなのか、方向性を考えたうえで用いる検査を選択します。その際、できるだけ関連する複数の検査を行い、結果を総合的に判断します。
さて、身体疾患の評価や診断と、発達障害の評価や診断では事情が異なります。発達障害関連の検査といえば、知能検査を始めとする認知機能検査あるいは心理学的検査が中心です。様々な検査課題が特定の診断、あるいは症状や行動特徴と関連していることがわかっています。しかし、検査のみに頼って診断を確定できる(症状や行動特徴を確実に予測できる)ことはほとんどありません。例えば、先に触れたWISC-Vの21検査版にも呼称速度視標の課題として取り入れられている迅速自動命名課題(Rapid Automatized Naming, RAN)の呼称時間は、読字能力との間にかなり高い相関があることがわかっています。呼称時間が一定基準以上に延びていることをもって発達性読字障害(ディスレクシア)と診断するとしたら、どうなるのでしょうか。具体的にどのような検査道具を用いるのか、異常と判断する基準をどこに置くか、対象者の年齢、などの条件によって話は違ってくるでしょうが、発達性読字障害に対するRANの感受性はかなり高いと考えられています。たとえそうであっても100%などということはありませんので、本当は発達性読字障害であってもRANで見逃される人もいます。感受性とは逆に、特異性は低いと考えられています。つまり、RAN所見のみで診断すると、発達性読字障害ではないのに発達性読字障害と診断される人がかなり出現することになります。それでもそこそこ診断との関連があるのだから呼称速度視標は有用だろうと感じる方もいらっしゃるかもしれません。ワーキングメモリー指標も読字能力との相関が示されています。呼称速度指標とワーキングメモリー指標を組み合わせたら、さらに読字障害の診断精度が高くなるかもしれません。しかし、それでも感度や特異性は100%には及ばないでしょう。ところで、発達障害に含まれる種々の病型の診断には、多くの身体疾患とは異なる特徴があります。それは、「見ればわかる」ということです。
一般に、様々な発達障害病型は日常生活の中で認められる行動で定義されています。発達性読字障害であれば、文字の読みが拙いという行動を確認すれば診断できます。注意欠如多動症なら、不注意な行動や、多動と衝動性を表す行動が日常生活に多く見られ、そのために本人が困っている状況を確認することで診断できます。癌や脳腫瘍のように、内視鏡検査やMRI検査によって表面からは確認できない隠れた病巣が発見され診断に至るというような、検査が診断における主導権を握ることは発達障害診療ではありません。直接文字を読む力を評価すれば100%の精度で診断できる(少々端折り過ぎた表現ではありますが、大きな誤りはありません)のですから、発達性読字障害かどうかを検討するのなら、WISC-Vを施行するよりも直接読字能力を評価した方が効率が良いし正確なのです。
ここまで説明してきましたように、21検査版が出版されることでWISC-Vには発達性読字障害などの限局性学習症(学習障害)との関連の強い検査項目ができました。しかし、これ以外にはWISC-Vと強く関連する発達障害診断や行動特徴はありません。強いて言えば、ワーキングメモリー指標が低い人では、日常生活において口頭で長い文章や複数の指示を伝えられても正確に把握できないことが多いです。ただ、これも例外は多く、ワーキングメモリー指標が低いのに日常生活でのコミュニケーションには困っていない人もよくいますし、その逆のパターンも多いです。わざわざ負担の大きいWISCを施行するよりも、長い文章や複数の指示の把握が難しいことが多いかどうかを生活の中で直接観察した方が早いです。随分昔から今に至るまで、「WISCの領域間の凸凹が強いから自閉症と診断できます」と主張する「専門家」を散見しますが、これははっきりいって噴飯ものです。自閉症と断定できるような信頼性のあるWISCプロフィールは存在しません。
さて、WISC-Vへの批判めいたことばかりを書きましたが、もちろんWISC-Vは重要な検査です。WISC-Vを施行することに意味がある状況とはどのような場合でしょうか。まず、知的発達症(知的障害)の診断にはWISC-Vなどの知能検査が必須です。知能の問題があるかどうかが問われていますので、直接知能を評価する検査が重要であることは当然です。ただし、現在の知的発達症の診断は知能検査結果のみでは成立しないことを認識しておく必要があります。知能検査で示された知的機能の欠陥に加えて、3つの領域(概念的領域、社会的領域、実用的領域)から評価される日常生活への適応機能の欠陥を示す必要があります。日常生活への適応機能の欠陥とは、言葉や勉強、人付き合い、身の回りのことや仕事などの生活分野の広い範囲で自分一人の力だけではうまく暮らせない状態になっているということです。しかも、知的発達症の重症度の判定には、知能検査結果は用いられず、適応機能の欠陥の程度に基づいて行われます。
次に、発達性読字障害や発達性算数障害などの限局性学習症を厳密に診断する時には、WISCなどの知能検査を施行する必要があります。限局性学習症の診断条件として、読字障害や計算の問題を説明できるレベルの知的機能の欠陥がないことを示す必要があるからです。言い換えると、明確な知的発達症ではないことが診断の条件なのです。とりあえずの支援を考え、開始するにあたっての必須条件とは言えませんが、公的制度としての様々な支援を利用するために診断書を作成する際は、厳密に診断しておく方が良いでしょう。
さらに、現状から判断できない将来のリスク予想には有用な場合があります。例えば、就学前の段階であればまだ教科の指導が始まっていませんので、学習指導要領に沿った教科教育についていけるかどうかを判断できる情報が乏しいです。その場合は、知能を評価すれば通常のカリキュラムで学習できるかどうかについてある程度見通しを立てることができそうです。別の例を出すと、正式な文字教育が始まる前にワーキングメモリー指標や呼称速度視標の成績が低いときは将来読字の困難さが認められるリスクがありますので、指導者はより丁寧に文字習得過程の状況に注目する理由になります。
小学校入学後の学習の問題の性質を明確にしたり支援方法を考案したりするためには、子供の学習過程を直接観察することが最も役に立ちます。WISC-Vを施行してもどの教科のどの単元に躓くかがわかるわけではありません。支援方法を考案する際にも子供の実際の誤りを分析しながら、どのような方法を採用するか考える必要があります。ただ、なかなか良い支援方法が見つからない状況では、WISC-Vの得点プロフィールの詳細な分析と、得点には反映されないものの課題への取り組みの様子の観察から子供の認知情報処理の特徴やスタイルが推測できる場合があります。そうなれば、全く新たに支援方法を考案する手がかりになるかもしれません。限局性学習症の発生機序や支援方法を研究する特殊な専門機関なら期待できることかもしれませんが、なかなかどこでも誰にでも可能な話ではないでしょう。とりあえずWISC-Vをしてもらい、各指標の得点を教えてもらったからといって学校での指導に役立つことはほとんどないでしょう。ただし、勉強につまずいているという大雑把な問題は認識されているものの、教師の観察力が低く子供に読字の拙さがあることに気づけない状態である時、WISC-Vを施行すれば呼称速度視標の悪さから読字障害がないか確認すべきという警告を出すことは可能です。
WISC-Vの直接的な成果ではありませんが、間接的ながらも明確に役に立つことがあります。それは、WISC-Vをはじめとする心理検査や認知機能検査を教師が勉強することで得られます。一つ一つの課題にはどういう意味があるのかということを勉強し、人の認知機能や情報処理プロセスについて詳しい知識と理解を身につければ、目の前の子供がなぜ躓いているのか仮説を立てやすくなります。単純な例を挙げれば、長い文章や複数の指示を聞いても正しく把握できていない子供を見た時に注意機能やワーキングメモリーという概念を意識できれば、その子供が失敗する仕組みについての仮説を立て、それに基づいて支援策を工夫することができます。検査について勉強するということは、少しでも問題のある子供に逐一検査を勧めることよりもはるかに教師にとって有用な成果を残すのではないかと思います。
最後に、発達障害に関連して世間で言及されることの多い検査の意義を取り上げます。それは、検査で何らかの異常や特定の診断に関連した所見を得ることで、子供の躓きについて「努力が足りないのではなく、できないことには原因がある」と気づき、そこから支援に結びつくというものです。私はこの主張に賛同できません。そもそもなんでうまく行かないことがあって困っている子供に対して「努力が足りない」と考えるのでしょうか。この表現は、指導者が自分の思い描く予定通りの成長が子供に認められない時に、その責任を子供自身に被せるための言い訳です。一度「努力が足りない」から成功しないと結論してしまうと、問題解決は遠のきます。うまくできないことにはできない理由、原因があると考えるべきです。仮に、明らかに練習が足りていないように見える子供でも、その子供には充分量の練習をこなせない理由があります。指導の至らなさの責任を子供に押し付けるようなことはせずに、「どうしてだろう」「何が不利な要因になっているのだろう」と考え続けることで打開策が浮かんでくることもあるでしょう。たとえすぐに解決できなくても、なんらかの理由でその子供にとって効果的な指導になっていないことを認めていれば、何かの折に解決の糸口に気づけることもあるのではないかと思います。






