2026年11月4日水曜日

WISC-V 21検査版出版を寿いでひとくさり

  子供用の知能検査の代表格と言えるものが、WISC(Wechsler Intelligence Scale for Children、日本文化科学社)です。2026年11月現在、2021年に発売されたWISC-V(第5版)が最新版です。発売当初は16種類の下位検査から構成されていました。2026年7月に、5種類の下位検査が加わった21検査版が発売され、一層多面的な評価ができるようになりました。新しく加わった5種類の下位検査は、特に学習障害(読字障害、算数障害)との関連が強いと言われています(明翫光宜 編「知能検査(WAIS・WISC)の質的分析」遠見書房、2026)。ますますWISCに憧れを抱く教師が増えそうです。そうなると、発達障害の可能性が考えられる子供に対して「WISC検査をしてもらいましょう!」という圧が一層かかるのではないかという気がして、私は少々憂鬱になります。

 前もってお断りしておきますが、WISC-Vがダメな検査だと言いたいわけではありません。膨大な時間をかけて、多くの研究者が練り上げてきた子供の知能の包括的な評価法であり、その価値は疑うべくもありません。適切な目的で、適切な対象に対して、適切に用いる限りにおいては非常に多くの情報を引き出し、その子供の能力のプロフィールを理解し、その生活を支える支援に繋がっていく可能性が高い検査と言えます。しかし、全ての問題の解決への道筋をつける夢のような検査では決してありません。WISCの性質というものを、もっと言えば、一般的に検査が有する性質をしっかり理解して使うかどうかを判断する必要があります。そして、たとえどのような目的でWISCを施行したとしても、その結果から揺るぎなく断言できることは何もありません。

 単純に言えば、医学で用いる検査の最も大きな目的は何らかの疾病を診断する、あるいは異常を見つけることです。その人の持っている力の強みや弱みを知るために検査をするのだとしても、ある特定の能力に関連した問題があるかどうかを明らかにすることだと言い換えることが可能です。目的とする診断(異常あるいは問題)を判定する上で、検査が持つ意義を示す指標が二つあります。実際にはもっと色々あるのですが、話がややこしくなるのでここでは二つだけ触れることにします。まず、実際に疾病に罹患している人のうち、検査で正しく疾病あり(陽性)という結果が示される割合です。疾病に罹患している人たちのうち、何%の人を正しく疾病ありと判断できるか、という指標です。これを感度と呼びます。もう一つは、疾病に罹患していない人たちのうち、検査が正しく疾病なし(陰性)と示す割合です。病気ではない人を疾病ありと誤診しない割合です。この指標は特異度と称します。感度も特異度も100%が理想ですが、そのような検査法は存在しません。通常、臨床の場でよく用いられる検査では、それぞれが70から80%あればかなり優秀な検査と言えます。つまり、どんなに優れた検査でも、ある疾病に罹患している人を100%正しく診断することはできません。逆に、実際には疾病には罹患していないのに病気だと結論されてしまうこともあるのです。従って、まともな臨床医であれば一つか二つの検査のみで診断するかどうかを決めてしまうことはありません。何よりも、症状、経過、診察所見をまず吟味してどのような問題がありそうなのか、方向性を考えたうえで用いる検査を選択します。その際、できるだけ関連する複数の検査を行い、結果を総合的に判断します。

 さて、身体疾患の評価や診断と、発達障害の評価や診断では事情が異なります。発達障害関連の検査といえば、知能検査を始めとする認知機能検査あるいは心理学的検査が中心です。様々な検査課題が特定の診断、あるいは症状や行動特徴と関連していることがわかっています。しかし、検査のみに頼って診断を確定できる(症状や行動特徴を確実に予測できる)ことはほとんどありません。例えば、先に触れたWISC-Vの21検査版にも呼称速度視標の課題として取り入れられている迅速自動命名課題(Rapid Automatized Naming, RAN)の呼称時間は、読字能力との間にかなり高い相関があることがわかっています。呼称時間が一定基準以上に延びていることをもって発達性読字障害(ディスレクシア)と診断するとしたら、どうなるのでしょうか。具体的にどのような検査道具を用いるのか、異常と判断する基準をどこに置くか、対象者の年齢、などの条件によって話は違ってくるでしょうが、発達性読字障害に対するRANの感受性はかなり高いと考えられています。たとえそうであっても100%などということはありませんので、本当は発達性読字障害であってもRANで見逃される人もいます。感受性とは逆に、特異性は低いと考えられています。つまり、RAN所見のみで診断すると、発達性読字障害ではないのに発達性読字障害と診断される人がかなり出現することになります。それでもそこそこ診断との関連があるのだから呼称速度視標は有用だろうと感じる方もいらっしゃるかもしれません。ワーキングメモリー指標も読字能力との相関が示されています。呼称速度指標とワーキングメモリー指標を組み合わせたら、さらに読字障害の診断精度が高くなるかもしれません。しかし、それでも感度や特異性は100%には及ばないでしょう。ところで、発達障害に含まれる種々の病型の診断には、多くの身体疾患とは異なる特徴があります。それは、「見ればわかる」ということです。

 一般に、様々な発達障害病型は日常生活の中で認められる行動で定義されています。発達性読字障害であれば、文字の読みが拙いという行動を確認すれば診断できます。注意欠如多動症なら、不注意な行動や、多動と衝動性を表す行動が日常生活に多く見られ、そのために本人が困っている状況を確認することで診断できます。癌や脳腫瘍のように、内視鏡検査やMRI検査によって表面からは確認できない隠れた病巣が発見され診断に至るというような、検査が診断における主導権を握ることは発達障害診療ではありません。直接文字を読む力を評価すれば100%の精度で診断できる(少々端折り過ぎた表現ではありますが、大きな誤りはありません)のですから、発達性読字障害かどうかを検討するのなら、WISC-Vを施行するよりも直接読字能力を評価した方が効率が良いし正確なのです。

 ここまで説明してきましたように、21検査版が出版されることでWISC-Vには発達性読字障害などの限局性学習症(学習障害)との関連の強い検査項目ができました。しかし、これ以外にはWISC-Vと強く関連する発達障害診断や行動特徴はありません。強いて言えば、ワーキングメモリー指標が低い人では、日常生活において口頭で長い文章や複数の指示を伝えられても正確に把握できないことが多いです。ただ、これも例外は多く、ワーキングメモリー指標が低いのに日常生活でのコミュニケーションには困っていない人もよくいますし、その逆のパターンも多いです。わざわざ負担の大きいWISCを施行するよりも、長い文章や複数の指示の把握が難しいことが多いかどうかを生活の中で直接観察した方が早いです。随分昔から今に至るまで、「WISCの領域間の凸凹が強いから自閉症と診断できます」と主張する「専門家」を散見しますが、これははっきりいって噴飯ものです。自閉症と断定できるような信頼性のあるWISCプロフィールは存在しません。

 さて、WISC-Vへの批判めいたことばかりを書きましたが、もちろんWISC-Vは重要な検査です。WISC-Vを施行することに意味がある状況とはどのような場合でしょうか。まず、知的発達症(知的障害)の診断にはWISC-Vなどの知能検査が必須です。知能の問題があるかどうかが問われていますので、直接知能を評価する検査が重要であることは当然です。ただし、現在の知的発達症の診断は知能検査結果のみでは成立しないことを認識しておく必要があります。知能検査で示された知的機能の欠陥に加えて、3つの領域(概念的領域、社会的領域、実用的領域)から評価される日常生活への適応機能の欠陥を示す必要があります。日常生活への適応機能の欠陥とは、言葉や勉強、人付き合い、身の回りのことや仕事などの生活分野の広い範囲で自分一人の力だけではうまく暮らせない状態になっているということです。しかも、知的発達症の重症度の判定には、知能検査結果は用いられず、適応機能の欠陥の程度に基づいて行われます。

 次に、発達性読字障害や発達性算数障害などの限局性学習症を厳密に診断する時には、WISCなどの知能検査を施行する必要があります。限局性学習症の診断条件として、読字障害や計算の問題を説明できるレベルの知的機能の欠陥がないことを示す必要があるからです。言い換えると、明確な知的発達症ではないことが診断の条件なのです。とりあえずの支援を考え、開始するにあたっての必須条件とは言えませんが、公的制度としての様々な支援を利用するために診断書を作成する際は、厳密に診断しておく方が良いでしょう。

 さらに、現状から判断できない将来のリスク予想には有用な場合があります。例えば、就学前の段階であればまだ教科の指導が始まっていませんので、学習指導要領に沿った教科教育についていけるかどうかを判断できる情報が乏しいです。その場合は、知能を評価すれば通常のカリキュラムで学習できるかどうかについてある程度見通しを立てることができそうです。別の例を出すと、正式な文字教育が始まる前にワーキングメモリー指標や呼称速度視標の成績が低いときは将来読字の困難さが認められるリスクがありますので、指導者はより丁寧に文字習得過程の状況に注目する理由になります。

 小学校入学後の学習の問題の性質を明確にしたり支援方法を考案したりするためには、子供の学習過程を直接観察することが最も役に立ちます。WISC-Vを施行してもどの教科のどの単元に躓くかがわかるわけではありません。支援方法を考案する際にも子供の実際の誤りを分析しながら、どのような方法を採用するか考える必要があります。ただ、なかなか良い支援方法が見つからない状況では、WISC-Vの得点プロフィールの詳細な分析と、得点には反映されないものの課題への取り組みの様子の観察から子供の認知情報処理の特徴やスタイルが推測できる場合があります。そうなれば、全く新たに支援方法を考案する手がかりになるかもしれません。限局性学習症の発生機序や支援方法を研究する特殊な専門機関なら期待できることかもしれませんが、なかなかどこでも誰にでも可能な話ではないでしょう。とりあえずWISC-Vをしてもらい、各指標の得点を教えてもらったからといって学校での指導に役立つことはほとんどないでしょう。ただし、勉強につまずいているという大雑把な問題は認識されているものの、教師の観察力が低く子供に読字の拙さがあることに気づけない状態である時、WISC-Vを施行すれば呼称速度視標の悪さから読字障害がないか確認すべきという警告を出すことは可能です。

 WISC-Vの直接的な成果ではありませんが、間接的ながらも明確に役に立つことがあります。それは、WISC-Vをはじめとする心理検査や認知機能検査を教師が勉強することで得られます。一つ一つの課題にはどういう意味があるのかということを勉強し、人の認知機能や情報処理プロセスについて詳しい知識と理解を身につければ、目の前の子供がなぜ躓いているのか仮説を立てやすくなります。単純な例を挙げれば、長い文章や複数の指示を聞いても正しく把握できていない子供を見た時に注意機能やワーキングメモリーという概念を意識できれば、その子供が失敗する仕組みについての仮説を立て、それに基づいて支援策を工夫することができます。検査について勉強するということは、少しでも問題のある子供に逐一検査を勧めることよりもはるかに教師にとって有用な成果を残すのではないかと思います。

 最後に、発達障害に関連して世間で言及されることの多い検査の意義を取り上げます。それは、検査で何らかの異常や特定の診断に関連した所見を得ることで、子供の躓きについて「努力が足りないのではなく、できないことには原因がある」と気づき、そこから支援に結びつくというものです。私はこの主張に賛同できません。そもそもなんでうまく行かないことがあって困っている子供に対して「努力が足りない」と考えるのでしょうか。この表現は、指導者が自分の思い描く予定通りの成長が子供に認められない時に、その責任を子供自身に被せるための言い訳です。一度「努力が足りない」から成功しないと結論してしまうと、問題解決は遠のきます。うまくできないことにはできない理由、原因があると考えるべきです。仮に、明らかに練習が足りていないように見える子供でも、その子供には充分量の練習をこなせない理由があります。指導の至らなさの責任を子供に押し付けるようなことはせずに、「どうしてだろう」「何が不利な要因になっているのだろう」と考え続けることで打開策が浮かんでくることもあるでしょう。たとえすぐに解決できなくても、なんらかの理由でその子供にとって効果的な指導になっていないことを認めていれば、何かの折に解決の糸口に気づけることもあるのではないかと思います。

2026年7月23日木曜日

せっかくできるようになったのにすぐに忘れてしまう

  算数の苦手な子供の先生や保護者が「せっかくできるようになってもすぐに忘れてしまう」という表現をされることがよくあります。以前、このような発言を聞くと奇妙な印象を受けていました。私が算数に抱いているイメージが、「忘れる」という言葉とそぐわなかったからです。私は、算数というものは覚えるかどうかではなく、理解するかどうかだと考えていたのです。しかし、いくつか算数学習に関する書籍を読むうちに、これは正しくないなと理解するようになりました。たしかに、算数の理解は記憶に支えられている面は多いと言えます。数詞と数字と具体物の対応を把握するにも、「1、2、3…」と唱えられることが必要ですが、これには記憶が必要です。繰り上がり、繰り下がりのある足し算や引き算、あるいは数の分解合成も、素早く計算するためには記憶しておく必要があります。計算式を筆算にして解くにも手順を覚える必要があります。九九なんて、落語の寿限無のようなものです。

 このように考えていくと、一見解けるようになっても短期間で解けなくなる現象を「忘れる」と称しても良いのかもしれません。しかし、私としては「忘れる」と表現することに、未だになにがしかの抵抗を感じてしまいます。本当に忘れているだけなのだろうかと。私がこのような考えに至るには伏線があります。もう、3、40年くらい前の話です。その頃の私はてんかん、脳性麻痺、代謝異常症など、いわゆる発達障害よりもハードな神経疾患を対象とした診療をしていました。脳の器質的な異常が基盤となる神経疾患を来る日も来る日も診療していたのです。当時は自閉スペクトラム症や注意欠如多動症などをきちんと診断することはありませんでした。しかし、脳になんらかの問題がある子供達です。たとえ主たる治療対象がてんかんであったとしても、知的障害や境界レベルの知能が併存することは稀ではありませんし、集中力の弱い子供達を診療対象とすることも多かったのです。今から思えば限局性学習症の子供達もたくさんいたのだろうと思います。とにかく勉強が苦手な子供はその当時から多く見ていました。そして、かなり早くから算数が苦手な子供たちにとって九九は鬼門だなという認識がありました。算数が苦手な子供が九九を習いだすと張り切って覚え、その後再び大きく挫折する姿を繰り返し見てきたからです。

 九九は落語の寿限無のようなものです(寿限無を誦じている子供がよくいると思いませんか?)。言葉の一つ一つの意味など理解していなくても、ひたすら唱えていれば覚えられます。しかし、寿限無の中の一つ一つの言葉の意味がわかっていないと我が子にそのような名前を付けた親の気持ちは理解できません。それと同じく、九九を覚えたからと言って掛け算が理解できるわけではないのです。九九は掛け算を効率よく応用するための方便にしか過ぎないのですから、そもそも掛け算が理解できていなければ九九を覚えることに意味はないのです。

 掛け算とは何を表しているのでしょうか。もっとも基本的な説明は足し算の繰り返しです。2×3は2+2+2のことです。また、3×2は3+3のことです。当然、足し算の意味がわかっていないといけませんし、それ以前に数量概念(序数性と基数性)を身につけておく必要があります。なんと、2×3と3×2は等しくなります。なぜ等しくなるかをどうやって理解すれば良いのでしょうか。縦に2個、横に3個になるように、おはじきを長方形に並べてみるのが簡単かもしれません。おはじきが2個含まれる列のまとまりが3個あると考えることができますし、同じおはじきの配列を3個含まれる行のまとまりが2個あると見なすこともできます。九九表を作ってじっくりと中身を眺めていると色々なことがわかります。掛けられる数と掛ける数を入れ替えても答えは同じです。そもそも左端の縦の列と一番上の横の行のどちらを掛けられる数にし、どちらを掛ける数にするかも自由自在です。各行、各列の並びを見ていくと、隣の枡に進むにつれて同じ数ずつ増えていきます。例えば2の段なら、かける数が1増えるごとに答えは2ずつ増えていきます。九九表の対角線で折ると、同じ数同士が重なり合います。

 このようなことを理解した上で九九を覚えると、九九と掛け算の前提となる数量概念や計算の意味理解との複雑な関連付けができます。また、九九表から導き出される様々な意味との関連付けができます。ここまで来ると九九が身についたと言えるのではないでしょうか。もちろん、九九をよりしっかりと覚えられるかもしれません。それどころか、九九を完璧に覚える必要さえなくなります。「くさん(九三)」の答えがすぐに出てこなくても「くに(九二)18」に9を足せば良いし、「さんく(三九)27」が分かればそれでも良いのです。実際、僕はいまだに九九のうち大きい数・小さい数の並びが苦手です。「しちさん(七三)」がすぐに出てこないので「さんしち(三七)」に直して計算しています。このように考えを巡らせると、記憶は算数の力を支えていることは確かだと思いますが、同時に理解や関連付けが記憶を支えているともいえるのではないでしょうか。そして、記憶に頼る割合が大きいほど、「忘れる」リスクが大きくなりそうです。

 「できていたことをすぐに忘れる」現象の裏には、様々な算数的概念や論理の多面的理解が欠けていることがあるのではないかという気がします。もしこの考えが正しいのなら、「すぐに忘れる」子供に同じことを繰り返し教えても効果は少ないかもしれません。解き方を「忘れ」てしまう課題の基礎となる領域の理解が完全かどうかを確かめ、曖昧にしかわかっていないことがあればまずそこをしっかり復習したり、解き方を「忘れ」てしまう課題と関連した様々な法則に考えを巡らせることを促したりする必要がありそうです。

2026年5月5日火曜日

アセスメントとは

  このシリーズは「アセスメント」をテーマとして取り上げてきました。アセスメントとは一体何でしょうか。いくつかの英和辞典を”assessment”で引いてみると、「意見、判断、評価、査定」などの訳語がつけられています。ついでに国語辞典で「アセスメント」を引くと、「評価、査定」などの語釈が載っています。まあ、要するに「評価」といっておけば良いのではないかと思います。この「学校園でできるアセスメント」シリーズの中でも「アセスメント」と書いてみたり「評価」と書いてみたり、表記がブレブレです。さて、私の個人的経験からは、教育畑や心理関係の人は「アセスメント」という片仮名言葉を使うことが多いような気がしています。そのことにどういう意味があるのか、実は私にはわかっていません。でも、「学校園でできる」ということを意識して、学校の先生方の真似をして片仮名の「アセスメント」をタイトルに入れてしまいました。でも、文字数節約のためにこれ以降は「評価」を使います

 さて、アセスメントでも評価でも良いのですが、これは何を意味しているのでしょうか。「観察する」ことと「評価」は違うのでしょうか。評価も観察の一種と言えそうですが、観察の方がより漠然とした印象があり、評価には何やらきちっとした印象があります。「しっかり観察する」や「よく見る」よりも「評価する」ことの方が何か具体的な意味が付加されているように思います。私なりに評価とは何ぞやということを考えてみました。

 まず思い浮かぶことは、評価項目、つまり何を評価するかということが具体的に定義されているということです。身長や体重、知能、視力など、評価するものが明確です。医師の診察も一種の評価であり、やはり具体的な評価項目が決まっています。例えば、呼吸音や心音、腹部や顎下頸部の触診、眼球結膜、口腔および咽頭粘膜、などなど。医師の専門性によってもその組み合わせは変わりますし、患者の主訴によっても評価項目の力点の置き方が変わります。多くの場合、改まって評価するという場合、評価項目は複数あります。

 次に必要なことは、個々の評価項目を定量する、あるいは分類するための尺度の存在です。視力や体重など、連続変数で表せるものもあります。顔色や発疹、奇形などは連続変数として測定することはできませんのでカテゴリーを定義して分類するということになります。もちろん、発疹は分類した上で大きさや数を測定することもありますので、同一評価項目に対して評価尺度は1種類とは限りません。子供の書いた文字なら「読める」「読めない」の2カテゴリーかもしれませんし、「読めるし上手」「かろうじて読めるが下手」「なんの字か推測できるが不正確」「全く読めない」の4カテゴリーに分けても良いかもしれません。

 評価項目を特定し、どのような尺度で評価するかが決まれば、次いで必須の要素は観察条件や評価方法です。血圧なら朝起床後1時間以内に安静状態にして上腕部で測定するとか、血圧計は何を用いるのかとか。知能の評価ならどのような部屋で、どの種類の知能検査を用いるかを考えなければいけません。授業中に見られがちな問題行動であれば、当然授業中に教師自身、あるいは参観者が観察するのが自然です。前回書きました様に、ターゲットとする問題行動を具体的に規定する必要があります。行動が生じる前の状況、生じた後の状況を合わせて記録する、といった具体的な観察方法を考えておく必要もあります。

 単なる観察ではなく評価と称するからには以上の観点が欠かせません。では、評価項目、尺度、観察条件と評価方法が決まれば評価は成立するのでしょうか。とんでもありません。これでは最も重要な要素が欠けています。何の問題もなく幸せに暮らしている通りすがりの人を評価しようと考える人はほとんどいません。評価をする前提として、まずは問題意識や目的意識が存在するはずです。学校で考えれば、生徒を成長させたい、生徒が困っている、周りの人々が困っている、などの背景があり、状況を改善するために何らかの手を打ちたい、というときに人は評価することが必要だと考えます。問題を解決するために、あるいは目的を達成するためにどのような手を打つかという具体的対処方法を計画することと評価は密接に結びついています。目的別に考えるとどのような評価があるでしょうか。

 まず思いつきやすいことは現状を把握するための広範囲の評価です。現状で、何がうまくいっているのか、そして何がうまくいっていないのかを明らかにするための評価です。問題を特定することや目標設定をすることのために行います。学校で行われている学力評価などはこのような性質のものではないかと思います。評価の性質上、評価項目が多くなります。したがって、非常に手間がかかることになりやすいです。また、特定の対象をピンポイントで評価するわけではありませんので、個々の評価項目に関しては手間の少ない大雑把な評価方法を使いがちで、結果の解釈が曖昧になりやすいです。また、何を目的として現状を評価するのか明確にし、評価対象者の属性、例えば年齢などを十分に考慮して評価項目を決定する必要があります。子供の学力が伸びているかどうか知りたいのに生活の質(QOL)の評価をしても見当外れですし、小学校1年生に5年生用の学力試験を行なっても得るものはありません。

 問題の原因や発生機序を明らかにするために行う評価もあります。問題解決(何らかの指導目標達成も含めて)のためにはどのようなプロセスが必要でしょうか。問題を具体的に特定することが最初に行なうべきことです。ふわふわと「何だか困りました」と思っているだけでは前に進めません。いつ、どこで、何をしているときにどの様にうまくいかないのかということを、日常生活全体を見渡しながら具体的に状況を整理します。問題を感じる状況を具体的に整理できれば次になすべきことは、何が問題を生じさせているのかについて仮説を立てることです。そこに辿り着くことができれば評価の出番です。仮説に関連した変数を評価の対象とするのです。例えば、全般的に理解が悪いのではないかと考えれば知能検査を計画することになります。文字の読みが下手なのではないかと考えれば読字能力の評価をすることになります。問題を具体的に絞り込めるほど、そして可能性のある仮説を明確に用意できるほど、評価は効率の良いものになります。

 問題の原因や発生機序に関する仮説を立て、それを評価で裏打ちできたのであれば、その仮説に基づき対処方法を立案することになります。計画された対処方法が有効なものであったかどうかを検証するときにも評価が必要になります。そのときに重要なことは、対処によって何を目標にするのかを具体的に設定することです。読める文字を増やしたい、3、4位数の乗除の筆算を解けるようにしたい、授業中の立ち歩きを減らしたい、などと具体的な目標を決めることでそれに応じた評価項目が自ずと決まります。

 さて、以上が私の考えるところの評価です。このような考え方が妥当であるならば、評価というものは基本的に現実を具体的に把握することで問題そのものや問題が生じる状況を整理し、そこから問題が生じる原因や機序を想定した上で、具体的に設定された目標に向けてもの事を進められるように、具体的に計画された対処方法を実行するという一連の過程の補助となるものです。常に補助的役割しか担いません。評価よりも先に、現実の子供をしっかりと観察し、問題を整理し、目標を設定し、計画を立てるという営みの中で必要に応じてより緻密な評価がなされるべきものだと思うのです。バランスを考えることも重要です。精密な検査をすることにこだわって時間がかかりすぎたり子供の負担や経費が大きくなったりすれば、評価をする相対的な価値が下がります。また、問題を具体的に把握できていない状況や、問題にしか目がいかずなぜそのような状況に至ったのかを分析推理しようとする意思がない時や、評価結果をどのように利用するかという評価後の具体的計画がない状態では、評価は成り立たないし意味を持ち得ないのです。評価、すなわちアセスメントは漫然とするべきものでは無いということを強調したいと思います。

 最後に、知能検査について私が考えていることを書いておきます。WISC-5などのフォーマルな知能検査は多種類の評価項目から構成され、結果も複数の指標が算出されます。そのため、現状を広範囲に評価できる、あるいは問題の原因や発生機序を明らかにすることができると思われがちです。しかし、実際にはそれほど多くを期待できる検査ではありません。一言で言えば全般的な知能レベルを知ることができるだけと考えておくのが妥当です。現状を広範囲に評価できるわけではありません。社会性や行動特性の特徴を明らかにすることはできませんし、学業成績との大まかな相関はあってもどの教科のどの単元が強いとか弱いとか細かく具体的な評価はできません。問題の原因や発生機序に関しても、日常生活での詳細な観察を通して立てられた仮説と検査結果との間に矛盾がなければ仮説の正当性が強化できるという程度です。皆さんがよくご存知のワーキングメモリーを例にとれば、WISCでワーキングメモリー得点が低くても日常生活では結構人の話を確実に聞き取れていることはしばしばありますし、その逆もあります。言語理解得点が高い割に、日常生活では人の言葉を正しく理解できていないことが多いという場合もあります。WISCをすればこそ立案できるし、WISCなしでは成し得ない具体的な支援計画なんてものはほとんど存在しないのではないかと思います。

2026年5月3日日曜日

問題行動(行動問題、チャレンジング行動)

  今回は、いわゆる問題行動と言われている子供の振る舞いの評価について説明したいと思います。ここでいう問題行動は、集中の難しさ、立ち歩き、かんしゃく、暴言、暴力などを含みます。最初に指摘せねばならないことがあります。それは、一般的に問題行動は適応的行動と考えられているということです。つまり、その子供が置かれた生活環境の中で自分が必要なものを何とか手に入れることや、耐えられない状況から何とか逃げ出そうとするための止むに止まれぬ行動であり、本人が何とか編み出した適応的な行動なのです。そう考えると、その振る舞いがいかに不適切かと説教することで解決することが非常に難しいことがわかります。止むに止まれぬ行動であり、その子供にとっては辛い状況を脱する手立てが他にないのですから、そうそうやめるわけにもいきません。子供の不適切な行動、しかも、繰り返し生じる行動への対処の基本は、そのような行動を取らずにはいられない苦しみから解放することです。その子供にとって必要なものをいかに与えられるか、その子供にとって堪え難い苦痛からいかに解放するか、ということが対策の主眼となるのです。これらのことを念頭に、「問題行動」という用語の代わりに「行動問題」とか「チャレンジング行動」という用語を推奨する人もいます。ただ、現状では通りが良いので、この文章では「問題行動」という言葉を採用しています。

 以上のことを前提として、問題解決に向かうための問題行動のアセスメントはどのように進めたら良いでしょうか。一言で言えば、その行動を起こすことで子供が何から解放され、何を得ることができるのかを見つけるためのアセスメントが必要です。そのためには、問題行動そのものだけに注目していてもあまり得られるものはありません。では、何に注目すれば良いのでしょうか。

 問題行動に限らず人の行動は基本的に環境に左右されて決まります。いや、人は自分の意思に基づいて行動するはずだ、と疑問を持たれる方も多いかもしれません。中には「俺の取る行動は全て俺の自由意志に基づいている!」と強く主張される方もいらっしゃるかもしれません。そのような方を論破できる力は私にはありません。ただ、現実場面で人を指導する時、好ましい行動を取るように指導するにせよ、好ましくない行動を減らすように指導するにせよ、行動は環境によって規定されているという前提を持って指導計画を立てるとうまく行くことが多いのです。ということは、問題行動のみに目を向けるのではなく、その行動をとった子供がどのような環境に置かれていたのか、ということを知る必要があります。この文章では、その立場から問題行動をアセスメントする方法を説明します。

 まず、アセスメントの前提として、教師や保育者が問題と感じている行動を具体的に規定する必要があります。ルールを破る行動とか、わがままな行動とか、規律を乱す行動、などのように漠然とした捉え方ではいけません。友達の気持ちを考えないとか、努力しないとか、我慢が足りない、などのように目に見えない内面を取り上げることはもっといけません。極めて具体的に、かつ自分の目で確認できるように規定することが必要です。例えば、友達が使っているおもちゃを無理やり取り上げるとか、先生が説明しているときに大声を出すとか、授業中に席から立って歩き出す、のような形で規定する必要があります。その説明を他の先生に口頭で伝えたとき、相手が自分と同じ行動を思い浮かべられるように説明できたなら、具体性が高いと言えます。同じ子供に複数の問題行動が見られることがよくありますが、同時に全ての問題を解決しようとすると失敗します。まずは一つか二つの行動に絞ってアセスメントし、その対策を練ることをお勧めします。その際、どういう観点で絞れば良いでしょうか。自然な発想としては、本人ないし周囲の人々への影響が大きい、より深刻な問題から選ぶという方法があります。しかし、長期間にわたり先生が苦労して対処しているのに問題だらけ、という状況では、最も深刻な問題を変化させることは並大抵の努力では難しいです。「これならなんとか変えられそうだな」と思える、本人にとっても先生にとってもハードルの低い問題に絞ることが良い場合が結構あります。ささやかなことであっても、良い方向に進めることができたら子供本人も先生ご自身も自信がつきます。新たなことに挑戦しようという元気が出てきます。

 対象となる問題行動を具体的に決めたらアセスメントを開始しましょう。まず評価すべきことは発生回数あるいは発生頻度です。これは単なる私の偏見のような気もするのですが、保育者や教師の先生方はあるかないか、解決したか解決しないか、という1か0かの思考をする傾向が強い人が多いような気がします。しかし、生物が起こす現象に有るか無いかだけで変化するようなものは少ないです。紆余曲折しながらも次第に減少するとか増加するといった変化を示すものが多いです。生徒(いうまでもなく生物です)の行動も、ゆっくりと変化することは多いです。その動きを確実に把握するためにはできるだけ定量的に評価しておく必要があります。発生数が多くていちいち記録できない、というような場合でも半定量的な把握は可能です。例えば、1回の授業あたり数回か、数十回か、1日に数回か、週に数回か、くらいの把握をしておくだけでも変化を捉えられることが多いです。なお、週に数回程度の現象であれば、スキャタープロット(図6)に記録しておく方法があります。問題行動を観察した時間にチェックを記入するだけなので簡便ですし、次に記載するような行動の発生要因を深掘りする際にも役に立ちますので、お勧めです。

 問題行動の頻度を把握することと並行して行うことは、その行動が生じる環境のアセスメントです。頻度の把握と異なり、一つ一つのエピソードの評価が原則です。環境の特徴を把握するためのポイントは、問題となる行動が生じる前の状況と、行動が生じた後に見られる変化です。環境を分析する際に収集すべき情報は客観的に五感で確認できる事実のみです。その子供は〇〇君にライバル意識を持っていたとか、家庭では親があまりその子供に温かい接し方をしていないというような客観的な根拠がない情報を紛れ込ませないように充分気をつけるべきです。観察された事実を明確にし、自分の主観を紛れ込ませない態度が必要です。もう一点、把握できた事実は、必ず記録に残しましょう。図7に示したようなカードをあらかじめ用意しておくと良いかもしれません。頻度が高くて全ての詳細な記録が難しい場合は、前後の状況をしっかり把握できているエピソードのいくつかについて記録するだけでも役に立つと思います。

 問題となる行動の前に見られる状況についてはざっくりと2つのポイントを明確にしておく必要があります。第1は、ある程度時間の幅を持たせた事実です。いつ、どこで、何をしていたか、周囲には誰がいたか、といったことなどです。時間の幅には明確な縛りはありません。具体的に分かれば朝からその時までどのような経過があったかを記録しておいても何かの役に立つかもしれませんし、さらには過去半年間を視野に入れても構いません。例えば、2ヶ月前から明確に問題が増えたという事実があるのなら、2ヶ月前にどのような環境変化があったのかを探ることでヒントが得られるかもしれません。しかし、事細かに記録することには限度がありますので、そこは臨機応変にしてください。少なくとも、学校でのことなら問題が生じた時の授業または休み時間内のことはできるだけ詳しく記録に残しましょう。保育園や幼稚園なら問題が生じたときにしていた活動内容や場所、周囲にいた人(当然、担任の先生自身も含まれます)を具体的に記録します。行動の前に見られる状況の第2のポイントは、行動が生じる直前に起こった事象です。つまり、直接のきっかけに見える事象がなかったかということを把握できる限り明確にしておきましょう。例えば、先生が計算の間違いを指摘した、隣の子供がつっついた、全員が一斉に起立して椅子を引く音が鳴り響いた、という様なことです。
 事前の状況を具体的に把握することで、問題が生じやすくなる環境条件や問題を引き起こす直接的な要因に気付けることがあります。例えば、算数の時間が妙に多ければ、算数の授業という環境がその子供にとって適応しづらいものなのかもしれません。説明されていることの意味が理解できないとか、逆に簡単すぎて退屈すぎるとか。給食の時間になると揉めやすいのであれば、ひょっとすると感覚過敏があり臭いがその子供の不快感を高めているのかもしれません。また、先生の注意や叱責をきっかけに問題が生じるのであれば、否定的な言葉がけへの耐性がないのかもしれません。就学前か就学後かに関わらず、事前の要因としてしっかり吟味しておくべきことは活動や課題が本人にとって適切なレベルかという点です。活動や課題内容が本人にとっては難しすぎる、多すぎる、あるいは簡単すぎる(退屈)、ということが問題行動に結びついていることは驚くほど多いです。先に触れたスキャタープロット(図6)は事前の状況を分析する際に役立つ情報を提供してくれることが多いです。

 行動が生じた後の変化について具体的に把握すべきことは、事態が完全に鎮静するまでに本人及び他の人のとった行動です。他の人の行動はその場にいた全ての人の行動です。当然、その場にいたのなら教師や保育者自身の行動も含まれます。先に、問題行動は一般的に適応的行動と考えられると述べました。つまり、その問題を起こすことで子供自身が、最適な形とは言えないし一過性かもしれないけれども、苦しい状況から救われるのです。行動が生じた後の周囲や本人の変化を把握することは、その行動が持つ子供にとっての意味を推測することにつながります。その行動が具体的にどのような成果を子供にもたらすのでしょうか。多くの場合、要求が通る、嫌なことから逃げられる、人からの注目、のいずれかです。少し質の違うものとしては感覚刺激への欲求というものもあります。皮膚を掻きむしる、自分の頭を繰り返し叩く、などの自傷行為の一部(全てではありません)は特定の感覚刺激への欲求によって維持されます。これは他者を巻き込む騒動になることは少ないと思いますが、先生がやめさせようとして細かく叱り続けると騒ぎが大きくなるかもしれません。

 要求が通ることの例は子供同士の関係性ではしばしば見られます。かんしゃくや暴力によって相手が使っているおもちゃを取り上げる、自分がしたい遊びに無理やり参加させる、といったことなどです。2、3歳児なら普通に見られる現象ですが、年中、年長クラスの子供や小学生であれば適切な言動で他児とうまくコミュニケーションを取ったり良い関係を築いたりすることが難しいという本人の特性が背景にあることが多くなります。そう考えると支援の糸口が見えてきます。嫌なことから逃げられる例としては、授業中に大声で騒ぎ回り授業を中断させるとか教室から追い出されるというような展開があるとき、その授業が理解できず苦痛に満ちていた可能性が考えられます。授業中に素っ頓狂な発言をしがちな子供は、自分の言動で周囲の子供達が笑いながら自分に注目していることがポイントかもしれません。人の注目を集めるための言動でわかりにくいものは、叱責されることです。相手が親や大好きな先生の場合、叱責されていることが本人にとっては注目されているという意味を持つことがあります(多くの場合、本人には意識はされていません)。このような場合、叱ることで問題行動を定着していることになります。

 この話は以上です。生徒の問題行動に頭を悩ませている先生は、是非ともこれらの観点を意識したアセスメントをしてください。これだけの情報を揃えることで、この分野に詳しい人に助言を求める際に有益な回答を引き出しやすくなりますし、先生ご自身の子供の行動を見る目が広がっていくと思います。最後に、問題行動への対処には応用行動分析の知識が有用であることを付記しておきます。興味のある方は、応用行動分析について解説した書籍がたくさん刊行されていますので、それらのいくつかを手に取ることをお勧めします。

「学校園でできるアセスメント」:目次







2026年5月2日土曜日

算数の問題

  昔から、勉強の基本は読み書き計算と言われています。これは今でもそう変わっていないのではないでしょうか。読み書き計算がしっかりとできていれば、国語や算数以外の勉強を発展させることができます。逆に、読み書き計算で大きく躓けば、国語と算数にとどまらず、他の教科でも早晩うまくいかなくなることが予測できます。したがって、学習に関する問題では最初に読字の問題について取り上げました。当然、次に進むべきは算数の問題だろう、ということになります。しかし、困りました。算数能力の評価と言いましても、算数にはとても多くの要素が絡んでいます。とても私なんかに解説できる代物ではありません。よわった、よわった、と唸っていると良いアイデアが浮かびました。「そうだ、学校でもできるアセスメントを書いた良書を紹介してお茶を濁そう!」

 早速良い本を紹介するとしましょう。まずは、「読字の問題」でも紹介した稲垣真澄先生たちのチームによる「特異的発達障害診断・治療のための実践ガイドライン―わかりやすい診断手順と支援の実際―」[1]です。この本には、読字能力の評価法だけではなく、算数に関わる力の評価方法が記載されています。この本に記載された算数関連の評価は大きく分けて(1)計算障害の評価と(2)算数思考課題から構成されます。(1)にはI. 数字の読み(4桁までの数字呼称)、II. 数的事実の知識(一桁の数の加減乗除)、III. 筆算手続きの知識(筆算による加減乗除)が含まれ、それぞれ正誤の判定と回答までにかかる時間が評価されます。(2)には集合分類、集合包摂、可逆の評価が含まれます。

 次に紹介する書籍は熊谷恵子先生と山本ゆう先生による「算数障害スクリーニング検査: 適切な学習指導は正確なアセスメントから」[2]です。カバーする範囲は稲垣先生らの本と大きくは違いません。ただ、特に就学前から小学校算数の初期にかけて細かく評価できるように考えられています。同じ著者らによる「通常学級で役立つ 算数障害の理解と指導法」[3]も併せてお薦めしておきます。[2]に比べて支援の工夫についてページを多く割いています。

 アセスメントというテーマからは外れますが、算数教育に関連してぜひ紹介したい本がもう一冊あります。河村 暁先生による「数量処理とワーキングメモリから読み解く… 教室の中の算数障害 認知の視点でつくる教材と学習支援」[4]です。認知科学的な視点から、算数で躓く子供のベースにはどのような特徴があるのかを事細かに解説しています。また、現場でどのような工夫ができるのかということについても沢山提案されています。

 さて、4冊も素敵な書籍を紹介したので、この節はここで終わっても良いのではないかと思います。終わっても良いのかもしれませんが、駄文を重ねたいと思います。もう少し、お付き合いください。これらの書籍の中に記述されていることではあるのですが、小学校の先生に特に意識していただきたいことを指摘しておこうと思うのです。それは、最も基本的な段階で躓いていることを見逃され続ける子供の存在です。正確な頻度は把握できていませんが、決して稀ではないと考えています。少なくとも、私の外来ではしばしばお目にかかります。

 熊谷恵子先生と山本ゆう先生[2][3]によれば、算数障害は(1)数処理、(2)数概念、(3)計算、(4)数的推論(文章題)という4つの領域に整理されます。この4つの領域は、おおよそこの順番で子供が算数を習得する過程となります。(1)数処理は、数詞、数字、具体物の対応関係の理解です。(2)数概念とは数における性質を理解することで、順番を表す序数性の理解と量を表す基数性の理解という2つの側面があります。(3)計算は加減乗除とそれらの筆算の理解です。そして(4)数的推論には問題をイメージに置き換える統合過程と立式するプランニング過程が含まれ、これらの前後に読字読解能力と計算能力も必要となります。このうち、(2)の数概念が習得できているかどうかは分かりにくいのです。(1)から(4)はおおよそこの順番で習得されると申しましたが、(2)が不完全であっても(3)計算を手続として行えることがあります。そのため、数概念の理解が不十分なまま見逃され続け、学年が上がっていく子供たちがいます。習っている学年相当の課題に一見取り組めているので、多少躓いても努力で切り抜けられると判断されやすいのです。しかし、基本的な数概念が習得できていなければ、簡単な計算のうちは計算の意味が心底腑に落ちていなくても操作手順を覚えることでなんとか誤魔化せますが、しばらく同種の問題に取り組んでいないと解き方を忘れてしまい手に負えなくなります。

 1年生から2年生にかけて徹底的に確認しておくべきことは数概念(序数性と基数性)がしっかり身についているか、ということです。もちろん、それ以前に数処理が確実にできているかということは重要です。しかし、これは割とわかりやすいと思います。数を唱えさせる、物を数えさせる、数字を読ませる、数詞に応じた数字を書かせる、などの活動をする中で、身についていない部分はすぐに明らかになるでしょう(とはいえ、個別に確認する機会を設けたほうが良いでしょう)。数概念、特に基数が身についているかどうかは通常の算数指導の場ではわかりにくいため、あえて確認する必要がありますし、そのための方法を知る必要があります。

 数概念については、1年生の前半では10までの数を、後半に向かって120程度の数を把握できているかについて評価していくことになります。それぞれのレベルにおいて、序数性と基数性の両面の理解を確認していく必要があります。また、基数性に関連して分離量の理解だけでなく、連続量の理解に繋がっているかも確認していきます。序数性を理解するということは、数が系列であって順序を表しているということを理解することです。序数の理解の確認は数を正確に唱えられるかどうかを見ることが基本です(図4の問1)。10までは正しく唱えられても、二桁になると順番が怪しくなる子供がいます。数を唱えることができたら、数と数の順序関係を把握できているかどうかを確認する必要があります。二数の大小関係を確実に答えられるかを確認する方法もありますし、図4の問2のような数列の穴埋めをさせるという方法もあります。

 基数性を理解するとは、数を量として把握できることです。もっとも基本は、具体物を数え上げたときに最後の数がそこにある物の量を示しているということを理解しているということです。例えばおはじきを「1、2、3、4、5、6」と数えたら、そこにはおはじきが6個あると、まとまりあるいは量として把握できることです。これがしっかりと把握できていない子どもは、10個のおはじきを順次数えることができても「おはじきを10個ちょうだい」と言われると正しく渡せないことがあります。この感覚は、分離量にとどまらず、連続量にも拡張します。連続量として把握できているかどうかを確認する方法として数直線を用いる方法があります。図5の問1のように数直線上の任意の位置が幾つに相当するかを答えてもらったり、問2のように任意の数に該当する数直線上の位置を答えてもらったりします。また、図5の問3のように、ある長さの直線が特定の数に対応するとき、別の数に対応する直線を書かせるという方法もあります。序数性が身についている子では大小関係を間違えることはありませんが、比率としてはかなり出鱈目な直線を引いたりします。例えば問3の1)で、3に対応する直線として1に書いてある線よりかろうじて長めの線を描いたり、5倍近い長さの線を描いたりします。

 数概念が十分に身についていないまま九九や筆算に取り組まされ続ける子供達が思ったより多いということを小学校の先生方には意識していただきたいということを強調して、この項は終わろうと思います。


参考書:

[1] 稲垣真澄(編集代表)、特異的発達障害の臨床診断と治療指針作成に関する研究チーム(編集)「特異的発達障害診断・治療のための実践ガイドライン―わかりやすい診断手順と支援の実際―」診断と治療社、4,180円

[2] 熊谷恵子、山本ゆう「算数障害スクリーニング検査: 適切な学習指導は正確なアセスメントから」Gakken、2,860円

[3] 熊谷恵子、山本ゆう「通常学級で役立つ 算数障害の理解と指導法」Gakken、2,200円

[4] 河村 暁「数量処理とワーキングメモリから読み解く… 教室の中の算数障害 認知の視点でつくる教材と学習支援」明治図書出版、2,266円



2026年4月29日水曜日

Response to Intervention/Instruction (RTI)モデル

  特別支援教育は、障害のある幼児児童生徒を念頭に置いた制度です。必ずしも医療機関での診断を求めるものではありませんが、想定された障害種は医学的な診断概念に基づくものです。学校生活で何か問題があるときは然るべき医療機関を受診し、専門的な評価を受け、そこで出された結論に応じて配慮するという流れが一般的です。しかし、専門的な評価が可能な医療機関は限られており、仮に診断が出るにしても早くても何か月も先、地域によっては1年くらい先になります。その間、意味のある支援を受けることができないまま放置されるのであれば、あまりにも時間を無駄にしていると言えます。とりわけ、学習面で躓いていると、教えられる内容はどんどんレベルが上がっていきますので、仮に診断後に適切な支援を受けることができたとしても遅れを取り戻すことが大変困難になります。このことへの反省に基づいてアメリカで始まった考え方がResponse to Intervention/Instruction (RTI)モデルです(図3)。

 RTIモデルとは、科学的な根拠に基づいた妥当性のある指導を行い、指導に対する反応を踏まえて指導の頻度や内容を変えて行く予防と介入の支援モデルです[1]。通常RTIモデルはすべての児童を対象とする指導を第1層とし、捕捉的な指導を行う第2層、より高レベルの指導を行う第3層で構成されます。アメリカでは、このRTIモデルに基づいた段階的な指導が行われても十分な改善が得られないことを学習障害診断の条件としているそうです。つまり、病院などの特殊な専門機関で特別な検査をした上で診断し、それから支援を開始するのではないのです。必要な支援をさっさと始める義務が学校側にあるのです。そして、アメリカでの目安として、第2層支援の対象が全体の20-30%、第3層支援の対象が5-10%と言われています。

 さて、上に引用した関あゆみ先生の論文によりますと、日本で実践されているRTIモデルによる読字支援の代表的なものは、すでに前節で紹介した「T式ひらがな音読支援」[2]と「多層指導モデルMIM」[3]です。どちらも実績のある良い方法です。特に強調したいことは、いずれもRTIモデルとして作成されていますので、個々の指導やアセスメントの技術のみならず、すべての生徒を対象として読みが苦手そうな子供を抽出し素早く支援するための枠組みを提供しています。「T式ひらがな音読支援」は書籍が安価ですし、第1段階の解読指導に限れば104枚のカードを用意するだけですので準備が簡単です。今まで読字困難児への対応を経験したことがなかった先生にはとっつきやすいかもしれません。MIMは1セットが2万円近いので個人で手をつけるには勇気がいるかもしれません。学校全体で導入される方が良いでしょう。とはいえ、技術的な難易度が高いわけではありません。むしろ、日頃子供達の指導に携わる教師の皆さんであれば取り入れやすい内容だと思いますし、T式に比べて複数の子供を対象に指導しやすいのではないかと思います。T式がまず解読指導、続いて語彙指導、の流れになっているのに対して、MIMは最初から単語単位のまとまり読みも意識された構成になっています。どちらか単独でということではなく、T式とMIMを併用することも可能だと思います。

 RTIモデルでは、すべての子供を対象としていることが重要です。文字の学習に沿って言えば、第1層支援は通常の国語の授業ということになりますが、すでにこの段階で読みの苦手な子供の存在を念頭に置いたプログラムをすべての生徒を対象に施行する場合もあります。MIMではそのような指導方法が用意されています。そして、ある程度学習がなされた段階で全生徒にスクリーニング検査を行い、読字の困難さが疑われる子供を抽出し、補足的な指導を行います。これが第2層支援です。第2層支援がしっかり行われた状況で改善度を評価し、第2層支援のみでは改善が不十分な子供を対象に第3層の濃密な指導を行います。第2層支援を必要とする子供を抽出するためのスクリーニング検査はすべての生徒を対象に行うことが重要です。たまたま教師の目についた子供だけを支援するのではなく、すべての生徒の中から支援が必要な子供をもれなく見つけ出すことが重要なのです。そのために、T式ひらがな音読支援でもMIMでも、短時間にクラス全員の評価が行えるようなスクリーニング検査が用意されています。なお、前節で説明しました解読指導用のフラッシュカードを用いた評価方法は時間がかかりますので、クラス全員のスクリーニングには適していません。本格的にRTIモデルを実施するためには、それぞれの書籍に記載されているスクリーニング法を用いて書いてあるスケジュールに沿って評価を進めることをお薦めします。

 私達の診療場面では、基本的な読字能力、しかも平仮名を読む力が不十分なまま支援を受けることなく学年が上がっている子供がとても多いという印象を持っています。読みが拙いことに気づかれないままに何度も長文を読まされることによってすっかり自信を失ったり読書や勉強をひどく嫌ったりし出した子供達を大勢目にしてきました。RTIモデルの重要性は、すべての生徒を対象に支援が必要な子供を早く見つけ出し、速やかな支援を提供できるという点にあります。この文章を読まれた、特に小学校教師や教育行政に携わる先生方にはぜひ、学校全体あるいは地域全体でのRTIモデルの構築を目指していただけないかと願っています。なお、付け加えておきますが、RTIモデルは読字の指導だけに限られた考え方ではありません。例えば、主として行動の問題への対応としての取り組みとしては学校規模ポジティブ行動支援(SWPBS)[4]というものがあります。参考になさってください。


参考書:

[1]関あゆみ「Response to instruction (RTI) モデルによる読みの支援:米国における縦断研究の動向と日本における取り組み」発達心理学研究 33 (4): 314-324, 2022

[2] 小枝達也、関 あゆみ「T式ひらがな音読支援の理論と実践ーディスレクシアから読みの苦手な子まで」中山書店、3,850円

[3] 梅津亜希子「多層指導モデルMIM読みのアセスメント・指導パッケージ つまずきのある読みを流暢な読みへ」Gakken、19,800円

[4]若林上総、半田 健、田中善大、庭山和貴、大対香奈子「学校全体で取り組む ポジティブ行動支援スタートガイド」ジアース教育新社、2,420円


2026年4月25日土曜日

読字の問題

  この項では基本的な読字能力がどの程度習得できているかについてのアセスメント方法を説明します。最初に強調したいことがあります。それは、「本を読めない子供は文字が読める」ということです。文字を読むことが非常に難しい人のために医学が用意した診断名に発達性読字障害(ディスレクシア)というものがあります。限局性学習症(「学力の特異的発達障害」または「学習障害」ともいう)と呼ばれる概念の中に含まれます。厳密な評価を経て発達性読字障害と診断された人でも、その多くは文字が読めます。中には、ほとんど読めない人がいないではないのですが、それはむしろ珍しい状態です。特に、日本語の仮名文字はアルファベットに比べて文字と音との対応が単純なので、相当読字の下手な人でも仮名文字は一応読めるようになりやすいのです。診断されるレベルの人でさえ読めるのですから、診断されるほどではないけれども文字を読むことが難しい人達(とても多い)は文字が読めます。

 発達性読字障害を含めて文字を読むことが苦手な人達のほとんどは、文字が読めないのではなく読むことにひどく努力が必要なのです。そのような状態では、とりあえず文字を読めても文章の内容が理解しにくくなります。外から見ると、読解力が弱い状態に見えます。しかし、読字能力が低いために文章の内容の理解が難しくなっている子供では、読んで聞かせるとよく理解できます。算数の文章題が極端に苦手な子供の一部は読字能力が低い子達が占めています。このような場合、問題を読んであげれば正解を出すことができます。なんとか内容を理解できる人でも、文字を読むことに苦痛を感じ本嫌いになります。文字はほとんどの学習のベースになっています。したがって、文字を読むことの苦手な人は広く学習することが難しくなります。文字は一応読めているから大丈夫だろうと軽く考えていると、大きな落とし穴が待っていることになります。文字を読むことが下手な子供たちを早く見つけ適切な指導を講じることは、1人の子供の将来を大きく救うことになりますし、子供達全体の学力レベルを改善することにもつながるのではないかと思います。

 読字能力の習得の段階を簡単に説明すると、まず、多くは4歳頃までに文字に興味を持ち、何か言葉を表しているのだという文字の意味に気づくようになります。並行して、言葉が音の単位(音節、母音、子音など)の組み合わせでできていることを認識するようになります。ついで、文字と音との対応関係を習得します。これには二つの段階があります。多くの子供は5歳過ぎから就学頃までに文字と音の変換ルールが定着します。「か」を見れば/ka/と読むことがわかるということです。さらに、8歳頃にかけて文字-音変換の自動化が進むとともに複雑な読み(拗音や促音など)のルールが定着していきます。変換の自動化とは、文字を見たときに全く努力せずに反射的に音が浮かぶようになることです。一通りの変換ルールが定着した8、9歳以降は、1文字ずつ認識するのではなく、語彙単位で読む力(まとまり読み)が伸びていきます。一般的な年齢の目安を書いていますが、これには個人差がかなりあります。もちろん、平仮名が読めるようになることに並行して片仮名の学習や漢字の学習へと広がっていきます。以上のプロセスの中で特に見過ごされやすいのが平仮名読字の自動化が不十分な状態です。このようなレベルでは、一見読めているのですが読むことに努力を要します。そのため、書いてある内容を素早く理解できませんし、文字を読むこと、ひいては書くことが非常に苦痛になります。本節では、文字と音との対応が成立しているかどうかと、平仮名読字の自動化ができているかどうかの段階に絞ったアセスメントについて説明します。

 現在、日本の医療機関で発達性読字障害を念頭に置いた日本語読字能力の評価としてよく用いられている読字能力の評価方法には2種類あります。参考文献の[1]と[2]をご参照ください。いずれもそれほど特殊な技術を要する評価法ではありませんので、学校でも取り入れることはできるとおもおいます。興味のある方は目を通されることをお勧めします。ここでは教科書の音読と平仮名一音表記を印刷したフラッシュカードを用いた評価方法を説明します。

 読字能力評価としてまず確認することは、文章の音読です。教科書の音読なら、授業の中で観察できますので効率が良いと思います。ただ、何度も練習した文章は参考になりません。文章を暗記している可能性があります。初めて目にした文章の読み方を確認することが重要です。学年相当の漢字を読めるかどうかも注目点ですが、それ以前の問題として平仮名読字能力が十分かどうかに注目しましょう。もちろん、読めない平仮名表記があれば間違いなく読字の困難さがあります。そこまでのレベルではない場合に注目すべきことは読みの流暢性です。速く滑らかに読めるかどうかということです。非流暢な読み方で最も典型的なものは、一文字ずつ切って読む逐字読みです。逐字読みほどひどくなくても、単語や文節の途中で区切ってしまうことが多ければそれも非流暢な読み方といえます。非流暢な人は読みのスピードが遅いです。かなりスムーズに読んでいてもスピードが遅いです。流暢性と共に読み誤りの多さにも注目する必要があります。拗音の読み誤り(例:「きゃ」を「きや」と読む)は多いです。文末の読み誤り(例:「作りました」を「作った」と読む)や行飛ばしなどもしばしば見られます。読みの速さと読み誤りの数は反比例します。非流暢な子供が無理して速く読めば、読み誤りが増加します。教科書を1〜2ページ読んでもらうだけで、読字が困難かどうかは大体検討がつきます。


 教科書の音読で読字の困難さが見られたら、平仮名一音表記を印刷したフラッシュカードを用いてより詳細な評価をします。ここで用いるフラッシュカードは小枝達也先生と関あゆみ先生が開発した「T式ひらがな音読支援」[3]の第一段階(解読指導)で使われる物を流用しています。なぜこのフラッシュカードを用いるかというと、単にアセスメントするということだけではなく、アセスメントからそのまま支援に繋げることができるからです。さらに、非常に簡単に取り組めることも利点です。用意するものは、平仮名一音表記を印刷したカードです。平仮名の一音表記は図1に示したように、清音と撥音46文字、濁音と半濁音25文字、拗音・濁拗音・半濁拗音33種類の計104種類です。それぞれの表記を一つずつカードに印刷します。同僚の心理士のアイデアで、私の勤務先ではポケモンカードの大きさにしています。そうすれば、100円ショップで売っているポケモンカード用のスリーブに入れて使えるので、いちいちパウチするより簡単です(図2)。まず、T式ひらがな音読支援の第一段階、解読指導について説明します。できるだけ速く読むように指示してからカードをランダムに見せ、瞬時に読めるカード(A)、読むまでに間が開くまたは読み間違えてすぐに修正したカード(B)、読めないまたは読み間違えるカード(C)に分けていきます。読めないまたは読み間違えるときは考えさせたりせずにすぐに正解を聞かせます。一通り終わったら、BとCのカードだけをまとめてまた読ませます。これを2、3回繰り返すことを毎日実行すれば、多くの子どもは3週間程度で一音表記をかなりスムーズに読み始めます。このカードを読字のアセスメントに用いれば、評価にとどまることなく継ぎ目なく支援に移行できます。なお、読めているのにAとBに分けられることを気にして怒り出す子がしばしばいます。そのため、私の勤務しているクリニックではA、B、Cの3種類ではなく、読めるか読めないかの2種類に分類しています。もちろん、瞬時に読めるかどうかは重要です。ただ、私達は一通り読めるようになるとその後はタイムトライアルに変えて速さを目標にして練習を続けるようにしています。そのため、すべての文字がきっちり読めない段階では速さをそれほど気にしなくても良いと考えています。

 このフラッシュカードを読字能力のアセスメントとして用いる場合は、104枚のカードをランダムに見せて、子供が読めるかどうかを一枚ずつ確認します。教科書がかろうじて読める子供でも、フラッシュカードで一つずつ確認されると読み誤ることが多いです。特に拗音は、文章を読むときには一見読めていても一つずつ見せられると読み誤ったり読めなかったりすることが多いです。教科書の音読がなんとかできている子供では清音を読み誤ることは少ないと思いますが、「め」と「ぬ」や「わ」と「ね」など形の似た文字を読み誤ることがしばしばあります。1年生の1学期や2学期に評価するときは、104枚を一気に見せるのではなく、まずは清音と撥音のみで評価し、全て読める子供にのみ濁音半濁音や拗音のカードを見せるようにした方が嫌な気持ちにさせることがなくて良いかもしれません。一通り間違いなく読める子供では、あらためてできるだけすぐに読むように指示した上で、104枚のカードをリズムよく見せていき、全て読み終えるまでに何秒かかるかを計測します。私達は一応の合格ラインを1分30秒程度に設定しています。さらに10から20秒程度速ければ、平仮名一音表記読字の自動化は十分にできていると考えます。なお、大人なら余裕で1分を切ります。ただし、この方法は、カードを見せる側の熟達度に結果が左右されますので、あまり厳密な評価方法ではないことに注意してください。評価者側の熟達度に関係なく客観的で正確な評価をする必要があるなら、参考書[1]から[3]に記載されている評価方法を参考にしてください。このフラッシュカードを用いた方法は、T式ひらがな音読支援第1段階(解読指導)にスムーズに移行できることがメリットです。

 さて、以上の評価で読めないあるいは読み誤るカードがあるときは、時を無駄にせずにT式ひらがな音読支援の第一段階、解読指導に移行しましょう。すべてのカードを一通り読めていても、104枚全て読むのにかかる時間を測って1分30秒を切れない場合も解読指導を行うことをお薦めします。その際の注意点を記しておきます。清音でさえ読めない文字が多い子供では濁音や拗音は後日に回して、とりあえず清音カードだけで解読指導を始めた方が無難です。何しろ、文字を読むことが苦手な子供は、難しい文字を読まされると一気に意欲が失せたりします。この、T式ひらがな音読支援の解読指導はすることが単純なので実行するのに技術的な難しさはあまりありません。ポイントは、いかに子供に嫌がらせることなく根気よく取り組ませ続けられるか、というところにあります。そのため、読めないカードがとても多い状態では始めない方が良いのです。第2段階まで含めたT式ひらがな音読支援の詳細については参考書[3]を読んでください。一冊3,850円です。個人で購入しても大した額ではありませんし、小学校には必ず購入しておくべき書籍だと思います。この本には、もっと厳密な読字能力の測定法も記載されています。


参考書:

[1] 稲垣真澄(編集代表)、特異的発達障害の臨床診断と治療指針作成に関する研究チーム(編集)「特異的発達障害診断・治療のための実践ガイドライン―わかりやすい診断手順と支援の実際―」診断と治療社、4,180円

[2] 宇野 彰「標準読み書きスクリーニング検査: 正確性と流暢性の評価」インテルナ出版、2,860円

[3] 小枝達也、関 あゆみ「T式ひらがな音読支援の理論と実践ーディスレクシアから読みの苦手な子まで」中山書店、3,850円