僕は人の言葉を聞き取りにくく、会話の最中によく聞き直す。そういう時、今言った台詞をもう一度はっきりと言ってくれるとありがたい。しかし、ある知人は十中八九同じ台詞を繰り返してくれない。今言った言葉の補足説明をしようとしたり、酷い時は多少関連した別の話題を話し出したりする。発端の台詞を聞き取れていないのにそこから発展した話をされても、こちらとしては益々状況を把握できなくなる。最初の頃、イライラしながら「同じ事をもう一回言って。」と頼んでいたのだが、益々話が拡散して訳が分からなくなることが繰り返された。
次第に分かってきたのだが、その知人に全く悪気はなく、たった今自分が言った言葉を本当に思い出せないらしいのである。僕は、今言った事を繰り返し言える事は当たり前だと思っていたのでなかなかその事実が信じられなかった。しかし、同じ様ないざこざを繰り返しているうちに、本当にその人には難しいのだという事が納得できだした。この発見を契機に、実は同じ様な人、つまり今言ったばかりの台詞を繰り返せない人は他にも結構いる事も発見した。この発見に感動するあまり、今言ったばかりの台詞を思い出せるかどうかを評価する心理検査を開発するという課題を学生実習で出して遊んでしまったこともある。
今、現在、自分は何を言っているのか、自分は何をしているのかを把握する認知能力はモニタリングと呼ばれる。様々な、新しい予想外の事態に対処する時に活用される認知能力を実行機能と呼ぶが、モニタリングは実行機能の一要素である。予想外の新しい事態に対処するためには、常に自分の言動を意識し、その言動がどういう状況で行われているのかを自覚し、自分の言動がもたらした結果を把握しながら次の行動を計画・調節していく必要がある。自分は今何をしているのかを客観的に意識できるかどうかは、日常生活において結構大事である。
この問題が顕著に現れるのは自閉症児である。自閉症児は自分の行動を客観的に認識できていないことから自分の失敗に気付かなかったり、振る舞い方を修正できなかったりする場面が結構ある。といって、件の知人にも大きな問題が日々生じている訳ではない。僕から文句を言われる以外には取り立てて日常困る問題はない。その知人以外にも、同じ台詞を繰り返すことは苦手だけど日常何ら問題なく暮らしている人を、今では多く知っている。恐らく自閉症児の場合はモニタリング障害単独の結果というよりも、併存する他の実行機能の要素の問題や、実行機能以外の問題との相互作用によりモニタリングの障害が大きな影響を持つのではないかと思う。
なお、「知人」はこの話を書くために想定した架空の人物である。僕の家族の誰かとか、ましてや奥さんだとか、そういうことではない。
0 件のコメント:
コメントを投稿