2025年12月31日水曜日

学校との話し合い

 発達障害のある子供への学校の指導が上手くいっていないことがしばしばある。もちろん教師の技量が低い場合もあるだろうが、必ずしもそうではなく単に先生の指導方法が子供個人の特性とあっていないこともある。いずれにしても、子供が学校生活にうまく適応できず困っているのなら保護者は率直に学校に懸念や心配を伝える方が良い。学校との話し合いを建設的なものにするために、僕は保護者に以下のことを念頭に置くように説明している。


1)礼儀正しく。人として、大人として当然のことである。

2)抽象的な表現を使わない。例えば、「子供の気持ちを無視した指導をする」といった曖昧な表現は避ける。抽象的で曖昧な主張は論証することが難しく、得てして水掛け論になってしまう。

3)心配な事実の時系列を元に話し合う。そのためには記録が大事。主観的な印象などは人によって受け止め方が異なるが、事実は議論の確固たる土台になりやすい。なお、子供の主張したことは、その内容が事実なのではなく、子供がそう言うのを保護者が聞いたということが事実。例えば、子供が「先生がめちゃくちゃきつく叱るので怖い」と言ったとして、本当に先生がめちゃくちゃきつく叱っているかどうかは不明である。ただ、子供がそう言ったということは事実だし、子供がそう感じている可能性が高いということは考慮すべきポイントとなる。

4)担任との話し合いが建設的に進まないときは、学校を代表する人に話し合いの場を作るように要望すると良い。保護者は心配な時の申し入れ先としてまず担任を考える。勘が良くフットワークの軽い担任ならそれでうまくいく。しかし、担任の人柄や力量によっては一対一の話し合いは泥沼になりやすい。そうなると、お互いに疲弊する。話が進まないときはいつまでも担任を相手にせず、校長、教頭、コーディネーターなど学校という組織を代表する人と話し合う方が良い。

5)学校を代表する立場の人と話すときに担任の人格や力量を批判しない。あくまで気になり心配な事実が生じていることについての対処を申し入れる。むしろ、一生懸命指導してくれている担任を学校として援助してあげてほしい、くらいの文脈で良い(あまりにも白々しくならなければ)。仮に、担任が明らかに不適切な発言や子供への接し方をしたということがあっても、その不適切な事実を事実として取り上げれば良い。それを元に担任の人格や考え方を非難することは避けるべきである。

6)子供自身や保護者の希望は率直に伝えれば良いが、よほど明確で具体的なこと(例:発達性読み障害があるので音声教材を使いたい)以外は、対処方法を要求するのではなく認識された問題の解決を求め、その方法は専門家集団である学校に任せる方が良い。原則として保護者は何か具体的な対策を要求するのではなく、子供が困っていることを伝えその解決を依頼するという立場に立つのが良い。

7)学校はすぐに動かない(動けない)ことが多い。一度の話し合いで物事が解決することは滅多にない。解決どころか問題を問題と認識するまでに時間がかかることがよくある。時間をかけ、繰り返し話し合いの場を持つ覚悟が必要である。そして、話し合いを繰り返す都度、それまでの間に行った対処方法、本人の状況の変化や成果を学校側と共に振り返ると良い。この振り返りももちろん事実の時系列を中心にすることが大切である。さらに、次の話し合いをいつするかと次回までに何を目標にするかを決めておくのが望ましい。

8)第三者を交える。保護者としては子供が心配で焦る気持ちがあって当然である。その状況で上に述べたような配慮をしながら冷静に話し合うことはなかなか難しい。さらに、学校に対して専門的な助言をする必要が出てくることもある。そうなると、保護者だけで学校と話し合うことはかなりハードルが高くなる。できれば、相談支援事業所職員など、事情や子供の特徴を理解し発達障害についての知識もある第三者を交えることが望ましい。話し合いに同席できる専門的知識を持った第三者を見つけることが難しいなら、せめて話し合いの前後に相談できる専門家を確保しておく方が良い。


 この文章は、子供の成長と幸せを実現するために保護者と学校が建設的な話し合いができるようにという前向きの動機で書いている。ただ、もっと消極的な理由もある。保護者が悪者になるという事態を避けたいのである。我が子が苦しんでいるとき、そしてその原因の幾許かを学校の指導に帰すことができそうなとき、親が冷静でいることは難しい。しかし、そのような感情に任せて碌に準備もせずに学校に乗り込むと、往々にして話し合いが建設的に進みにくいし、下手をすれば保護者がクレーマーやモンスターペアレントとみなされることにもなりかねない。そうなると事態は硬直し、子供がなかなか救われないことにもなる。上に記した配慮事項は子供と保護者自身を守るという意味でも念頭においていただきたい。

2025年12月24日水曜日

検査をしてもらってください

 子供が学校や保育所などで何らかの問題があってうまく暮らせていないときに、前項で書いたように保育者や教師の皆さんは診断や診断書を求めることが多いです。これに加えてしばしば耳にする言葉が「検査をしてもらってください」です。きっかけとしては、集中できない、かんしゃくが多い、指示が通らない、人の気持ちがピンとこない、など初めて診断を求める際と似たり寄ったりです。小学校になれば、本が読めないとか計算ができないなど、学習に関連した問題がきっかけになることも増えます。

 「検査をしてもらってください」には謎がいっぱいです。まず、「検査」とはいったい何を指しているのでしょうか。発達障害の(あるいは疑われる)子供に関する話なので、おそらく認知機能検査あるいは心理検査の類と思われます。世の中には記憶、知覚、実行機能などの個別の認知機能に関する検査や適応行動の評価など山ほど検査があります。ただ、その辺りを熟知されている教師や保育者の先生は多くないので、ほとんどの場合は知能検査や発達検査と呼ばれるものを指しているのだろうと思います。しかし、集中力がないとかかんしゃくとか交友関係がうまくいかないなどの問題があるときに知能検査をする意味なんてありません。学習の問題なら多少の関連はあるでしょうが、それにしても知能検査をすればどの教科のどの単元が難しいだろうということや、どういう指導法で子供が学習内容を理解できるのかが分かることはほとんどありません。実際に学習に取り組んでいる状況をつぶさに観察する方がよほど対策に直結する情報を得ることができます。

 簡単に片付けると大変失礼ですが、安易に「検査をしてもらってください」とおっしゃる先生方のほとんどは検査がどういう意義を持っているのか理解されていないのではないかという気がします。知能検査にはどのような課題が含まれ、それぞれの課題から算出される得点がどのような意味を持っているか、あまりご存知ないままに検査に謎の効用を漠然と期待しておられる方がほとんどではないでしょうか。そういえば、検査で発達障害の診断ができると考えておられる先生方も多そうです。知能検査で評価する対象は言葉の通り知能です。注意欠如多動症や自閉スペクトラム症などはあくまで日常生活の中で観察される行動で定義されていますので、知能検査結果で診断できるわけではありません。現在発達障害に関連した診断病型で、診断に際し知能検査の重要性が高いものは知的発達症(知的障害)と限局性学習症(学習障害)だけです。しかし、この2つの病型であっても検査のみが診断を支えるものではなく、むしろ日常生活の中での適応状態や行動を確認し、知的発達症や限局性学習症の診断が実生活の状態をよく説明できていることを示す必要があります。

 以上述べてきたように、発達障害に関して何よりも検査が優先される状況などというものは滅多にありません。しかし、教師や保育者の先生方が「検査をしてもらってください」と強く主張すると保護者も不安になり、医療機関に検査をすることを強く希望するという状況が頻発します。このことに関しては、一方的に教師や保育者を責めるのは気の毒な状況もあります。どういうことかというと、知能検査によって多くのことが明らかになるという幻想を持たせそうな説明をする医師や心理師も多いからです。学習や発達の問題があれば知能検査が必須であると医師や発達相談に出務している心理師が患者の親に説明することが結構あります。まるで特定の支援方法が有効であると知能検査の結果から証明されたように説明されることもあります。自閉スペクトラム症や注意欠如多動症の診断根拠が全て知能検査所見で説明されている医療機関の書類をこの目で見たこともあります。これらの状況をしばしば目や耳にしていれば、学校園の先生方が知能検査に過剰な期待を持ってしまうことも無理からぬ話かもしれません。しかし、知能検査をして得られることは非常に少ないのです。認知能力の特性が漠然と掴めることはあります。しかし、どの教科のどの単元が理解できるかどうかの予測はできませんし、学習に困難を示す子供の具体的な支援方法を編みだせることもほとんどありません。ましてや、自閉スペクトラム症や注意欠如多動症など日常の行動特徴から定義されている状態の診断の根拠になることは決してありません。知能検査さえすれば明らかになることが色々ある、あるいは知能検査をしなければ手が打てないなどと主張する医療機関は少々怪しいと疑った方が良いと思います。

子供の日常に何らかの問題があるのなら、そしてそのことで子供自身が困り保護者が心配しているのなら、まずは検査のことには触れずに医療機関に相談してごらんなさいといえば良いのではないでしょうか。どうしても知能検査が欠かせないかどうかは医師に任せれば良いのです。「知能検査や発達検査は害がないしやってもバチは当たらないだろう」程度に考えている方がいれば、それは間違いです。知能検査や発達検査は結構子供にとってストレスになることが多いです。しかも、かかる医療費もそれほど安いものではありません。このご時世に、無駄に子供を辛い目に合わせたり意味のない医療費を発生させたりすることが許されるとは思いません。

 最後に、医療における検査の位置付けについて触れておきます。医師は基本的に臨床経過や診察所見から推定できる病態を裏付けるために検査を計画します。検査をすることでどの様な結果が出そうか、そしてその結果を得ることでその後のどのような具体的対応に結びつけられるかについて、ある程度の見通しを持っていることが前提です。具体的目的意識を持たないままに、とりあえず検査をするということは通常ありません。いや、正直に言いますと、とりあえず検査を絨毯爆撃のようにしてしまう医師もいるにはいます。しかし、その様な医師は医療の世界では恥ずかしい存在とみなされます。検診や人間ドッグなどは多少「とりあえず検査」に近いかもしれませんが、それでも対象集団において頻度の高い疾患を念頭に置き、有意な所見が得られた時は次にどう進めるのか具体的な対応が想定されています。それぞれの検査の具体的意味やその結果の具体的利用方法を考えることなく検査を計画することは、少なくともまともな医療機関ならしないということを知っていただけると嬉しいです。

2025年12月11日木曜日

診断書を書いてもらってください

  教師や保育者の皆さんが子供の指導に梃子摺ったり困ったりしている時に医療機関受診を促す流れで、しばしば先生から保護者に「診断書を書いてもらってください」という言葉が発せられます。さて、診断書を何に使うのでしょうか。明確な使い道はあります。加配の保育士や、小学校であれば支援員を配置する際に診断書は役に立ちます。公的支援制度の利用には診断書が必要になることは多いからです。ただ、公的制度の利用を想定していない時でも、しばしば診断書が必要とおっしゃる先生がいらっしゃいます。診断書までは求めなくても、「診断してもらってください」「診断が必要です」とおっしゃる先生はとても多いです。保護者があまり気乗りしない時には頼み込み、あるいは脅すようにして医療機関を受診させようとする先生もしばしばいらっしゃいます。

 保育士や教師たちは一体どういう理由で診断を求めるのでしょうか。繰り返し考えている疑問なのですが、僕にはよくわかりません。発達障害やそれに関連する障害病型のほとんどは、平均的な子供からずれた行動や認知の傾向が主たる特徴(発達特性)です。例えば、自閉スペクトラム症なら交友関係や会話など人とのやり取りがスムーズにいかない社会性の問題と、興味や関心が限られたものに集中しがちで繰り返し行動が多く環境の変化に抵抗する傾向が特徴です。注意欠如多動症なら不注意さと、多動と衝動性が主たる特徴となります。いずれの場合も振る舞い方や物事の認識の仕方が平均的な人からずれているがために色々な失敗をし、困難に遭遇しています。このような特徴はCTを撮ったり内視鏡検査を行ったりして初めて明確になるものではありません。日常生活の中での本人の振る舞い方を見ればわかります。自閉スペクトラム症や注意欠如多動症という診断名はそのような特徴があることを示しているに過ぎません。保育者や教師の先生こそが、医師よりもよほど子供たちの特徴を把握できる立場におられます。もしも教師や保育者がそのような診断概念を熟知されているのであれば、闇雲に医療機関受診を勧めるまでもなく自分で日々の子供の様子を見ていればご自分たちで判断できることです。逆に診断名が持つ意味を具体的に把握できていないのなら、単に診断書を用意され診断名を告げられても日々の指導に活かせることはないでしょう。

 ある診断名がついたとしても個人差がかなりあります。特定の診断の基本的特徴ではないものの、伴いやすい様々な症状や障害もあります。基本的な診断概念についてはよく知っているのではあるが、子供ごとの様々なバリエーションについてどう理解すれば良いのかを専門的に診療している医師に問うてみたいと考え、できれば受診してほしいと保護者に提案する先生も中にはいらっしゃるかもしれません。しかし、私個人の経験では、一旦診断がついた後も診断に関連する様々な疑問について問い合わせてくる保育者や教師に出会うことはほとんどありません。となると、診断されることに一体何を期待しているのでしょうか。

 ひょっとしたら、と思うことが一つあります。保護者に、「あなたの子供には問題がある」ということを納得させたい、言い方が悪いですが、医師から引導を渡してもらいたいという気持ちがあるのかもしれません。医師が診断することによって保護者が子供に問題があることを受け入れるのではないか、そういう期待を医療に抱いているのではないか。ただ、もしそうだとするならば、考え直していただく必要があります。単に子供に問題があることを親に納得させるためだけに受診させることは、いろいろな理由から好ましいことではありません。まず、多くの親御さんは子供に楽しく有意義に登校、登園してほしいと願っています。きちんと説明すれば子供の学校園での生活に支障が出ていることは理解しますし、問題を解決したいと願います。もし親御さんが子供の生活に支障が出ていることを受け入れられないのなら、まずは問題の伝え方が悪かった可能性を考えなければいけません。

 子供の、学校園で生じている問題を保護者に伝える際に留意したほうが良いことがあります。まず、善悪の問題にするのではなく、子供自身が困っているという観点で説明すべきです。困っている子供を何とか支えたいという文脈で伝えるのです。また、子供がうまくできていることとか頑張っていることを併せて伝えるべきです。決して何もかもが問題なわけではなく、むしろうまくいっていることが多いことを説明すべきです。そして、先生なりの子供を援助するプランを合わせて説明すると良いと思います。成功を保証する必要はありません。うまくいくかどうか不確かでも、次に実行できる対策があると知るだけで保護者は受け止めやすくなります。保護者に解決を求めないということも大切です。学校園で生じている問題を保護者が解決することはまずできません。せいぜい学校園で頑張っていることを褒めてあげるとか、ポイント制度などを用いる時に学校園では用意できない特典を家庭で用意してもらうとか、ごくささやかなことしか保護者には協力できません。たまに、「お家でもしっかり言って聞かせてくださいね」などと保護者に伝える先生がいるのですが、言われたことを真面目に頑張ろうとする保護者ほど結果は悲惨なことになりがちです。

 学校園で問題が生じているということをどうしても受け入れられない保護者もいることはいます。しかし、医師の診断で問題の存在を納得させたとして、教師や保育者の業務にどの程度のメリットがあるのでしょうか。学校で生じている問題は保護者に解決できるものはほとんどありません。保護者が問題を受け入れたとしても、結局は先生たちが自力で解決しなければいけないことがほとんどです。保護者との関係性を不安定にするリスクを押してまで病院で診断を受けさせるメリットなどありません。さらに考慮すべき観点があります。それは「診断」の持つ暴力性です。私たち医師にとっては、診断は医学的に明確に定義された概念にしか過ぎません。しかし、一般の方は診断にそれぞれ個人的なイメージを抱いており、それは必ずしも明るいものではないのです。受け入れる準備ができていない人に無理やり診断を押し付けることが大きな心の傷につながる可能性を教師や保育者なら十分認識しておく必要があります。

 最後に、医療費のことに言及しておきます。発達障害に関連した状態での診断評価をする場合、仮に小児科で受診2、3回かけて評価するとして、発達および認知機能検査、小児特定疾患カウンセリング料、診断書料など合わせて少なくとも2、3万円以上かかります。子供に医療費補助制度がある自治体が多いからと軽く考えるべきではありません。国の予算を医療費が圧迫している現在、単に親に問題を受け入れさせるためだけに受診させるようなことが許されるとは思いません。学校園での問題を適切に保護者に伝えることは、教師や保育者の務めだと考えるべきでしょう。


「先生、お言葉を返すようで恐縮ですが」:目次

 


先生、お言葉を返すようで恐縮ですが

  私は発達障害専門のクリニックで、毎日子供たちの診療をしています。こういう仕事をしていると、直接的にも間接的にも保育所・幼稚園・こども園や学校の先生と接する機会が増えます。教師や保育者の多くは、我々小児科医には信じられないほどの忍耐心を持って子供達を支え、指導されています。なにしろ、医師、特に小児科医はせっかちが多く根気よく関わり続けることが苦手です。そして、すぐに結果を求めようとすることが多いので、教師や保育者の粘り強さと熱意には心の底から感心してしまいます。もちろん、様々な点で我々医師と教師・保育士では考え方が異なることもあります。しかし、そもそも属する文化が違いますので、考え方が異なっていることが多いのも当たり前と言えましょう。総じて、教師や保育者の皆さんは必ずしも良好とは言えない労働環境の中でもよく頑張っておられるなあと感じています。

 とはいえ、世の中美しい話ばかりではありません。特に、発達障害を有する子どもやその親が私の外来に相談しに来るのは困っているからです。日々の生活に何らかの支障をきたしているから受診するのです。万事幸せな親子が私の外来を受診することはありません。いきおい、保育所・幼稚園・こども園や学校の保育者や教師が子供たちへの対応を上手にできていないケースも数多く見られます。稀には、人としてどうなのかと感じるようなエピソードや、明らかに倫理的、場合によっては法的に間違っている事例もあります。しかし、そのような例はごくごく少数であり、上手に対応できていないケースの多くでは、明らかに教師や保育者は誠心誠意子供のために頑張ろうとされているように思います。それにもかかわらずなかなか成果を上げることができないばかりか問題が増している状況の根底には、教育や保育の世界に流れる考え方や文化の影響があるのではないかなという気がしています。私がこのように考えるきっかけの一つは教師や保育者の皆さんがしばしば口にする言葉です。保護者から間接的に聞く時もあれば、なんらかの機会に直接聞くこともあります。私が気になってしまう発言の多くは表面的には悪いものではありません。礼を失しているとか子供を悪様に言うといったものではないのです。むしろ、本人は善意で言っておられるのだろうなと思えるものが多いです。

 よくよく考えた上で口にする発言よりも、何気なく話したことや、むしろ良かれと思って話すことにその人の基本的な考えが反映されます。私は教師の発言そのものよりも、そういった発言をする背景となる考え方や文化が発達障害を有する子供たちの指導者としてあまり適切ではないのではないかと気になってしまいます。このような、よく耳にする気になる一言にまつわる話をしていきたいと思います。単なる私の思いつきですし、一体誰の役に立つのかという気がいたします。しかし、同じ発達障害を有する子供に関わる別の立場の人間の感想は、教師や保育者の皆さんの参考になる可能性も多少あるのではないか、とこっそり思ったりもします。

【目次】

・診断書を書いてもらってください

・検査をしてもらってください

・接し方/指導の仕方を教えてください

・障害ではなく個性だと考えています

・障害なのか我が儘なのか分からないんです

(続く)