2026年2月1日日曜日

できなければ全部しなくて良いよ

  昔に比べて学校の先生たちは優しい人が増えたように思います。「泣こうが喚こうが、しないといけないことはしないといけないのだっ!」と、強引に子供に何かを強いる先生はかなり少ないのではないかと思います。子供達には限界というものがあるとよく承知され、極端な無理強いを避ける先生が増えました。例えば、宿題が辛くて辛くて家庭で親とバトルを繰り広げる子供がよくいます。そのような時に、「できなければ全部しなくても良いよ。できるところまですれば良い」と子供に伝えるのです。さて、このような対応に問題はないのでしょうか。

 「できなければ全部しなくても良いよ」と言われても、かんしゃくを起こしながら宿題を全部やろうとする子供は結構います。おそらく、全部しなくても良いよと言われてやめてしまった時、それは挫折になり悔しいからではないかと思います。しかも、最終的にやめるかどうかは自分の判断に任されています。子供達は誇り高いのです。自分はできないと自ら認めることに耐えられない子が少なくないだろうということは想像に難くありません。おそらく先生方は子供の状況に同情し、善意から「できなければ全部しなくても良いよ」と申し出られているのだろうと思います。しかし、宿題が苦しくてかんしゃくを起こしている子達から見れば、「どうせ君には難しいだろ、できないだろう」と言われた気持ちがするのかもしれません。

 私は子供達(発達障害かどうかに関係なくどの子供でも)に課題を出すときは、量的にも難易度的にもその子供が少し頑張れば達成できる課題を準備することを原則にした方が良いと考えています。時にはガツンと困難な課題に取り組ませても良いのですが、それは日々成功体験を積み自分の力を信じられるようになっていることが大前提です。最も注意深く避けるべきことは、無理やり頑張れば何とかこなせてしまう課題を与え続けることです。大人は子供が頑張って何かを成し遂げることが大好きです。特に、教師にはそのようなタイプが多いように思います。しかし、頑張ればできる課題がその子供にとって適切な課題というわけではありません。日々取り組ませる課題は、基本的には余裕を持ってこなせるレベルにする必要があります。大人だって残業続きだと心の健康を壊してしまいます。退屈な課題でも困りますが、毎日背伸びをし続けないといけない課題を出し続けることは避けるべきです。

 量的にも難易度的にもそれぞれの子供が少し頑張れば達成できる課題を設定する時、難易度を下げることや量を減らすことはすぐにでも実行できることであり、真っ先に考える必要があります。ただ、同時に検討すべきことがあります。それは、子供が苦しんでいる理由や易々とはできない理由を分析することです。難易度を下げ、量を減らし、課題をこなせた経験を積むだけでもそれなりの成果を出せると思います。しかし、多くの子どもがそれほど苦しまずにできていることが簡単にはできない時、その子供のなんらかの特性が学習にとって不利に働いているはずです。例えば、注意力が弱く集中できる時間が短いとか、平仮名読字の自動化が不完全であるとか、序数は身についても基数の理解が不十分だとか。逆に、うまく利用できれば学習にとって有利になるような特性を持っていることもあります。これらのその子供に固有の特徴を分析し、苦手さを補い利用できそうな特性を長所として活用できるような学習方法を具体的に考案することも、子どもが頑張りすぎないように、楽に暮らせるようにする上で重要なポイントです。

 個々の子供に見合った課題の設定はなかなか難しいとは思います。一つの目安は、その子供がその勉強や課題を嫌いにならないことではないでしょうか。欲を言えば、楽しめることが望ましい。そう言えば、私の外来には就学を控えた子供がたくさん来てくれます。「小学校に入ったら、何が楽しみ?」と質問すると、ほとんどの子供は屈託なく「勉強!」と答えます。小学校の先生にとって喜ばしい好条件が準備されています。しかし、小学校入学後も「勉強が楽しい」と言い続ける子は残念なことに少ないです。私は、すべての教科の指導目標を「楽しいと思わせる」にしてもバチは当たらないのではないかなあと考えたりしています。


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