2025年12月11日木曜日

先生、お言葉を返すようで恐縮ですが

  私は発達障害専門のクリニックで、毎日子供たちの診療をしています。こういう仕事をしていると、直接的にも間接的にも保育所・幼稚園・こども園や学校の先生と接する機会が増えます。教師や保育者の多くは、我々小児科医には信じられないほどの忍耐心を持って子供達を支え、指導されています。なにしろ、医師、特に小児科医はせっかちが多く根気よく関わり続けることが苦手です。そして、すぐに結果を求めようとすることが多いので、教師や保育者の粘り強さと熱意には心の底から感心してしまいます。もちろん、様々な点で我々医師と教師・保育士では考え方が異なることもあります。しかし、そもそも属する文化が違いますので、考え方が異なっていることが多いのも当たり前と言えましょう。総じて、教師や保育者の皆さんは必ずしも良好とは言えない労働環境の中でもよく頑張っておられるなあと感じています。

 とはいえ、世の中美しい話ばかりではありません。特に、発達障害を有する子どもやその親が私の外来に相談しに来るのは困っているからです。日々の生活に何らかの支障をきたしているから受診するのです。万事幸せな親子が私の外来を受診することはありません。いきおい、保育所・幼稚園・こども園や学校の保育者や教師が子供たちへの対応を上手にできていないケースも数多く見られます。稀には、人としてどうなのかと感じるようなエピソードや、明らかに倫理的、場合によっては法的に間違っている事例もあります。しかし、そのような例はごくごく少数であり、上手に対応できていないケースの多くでは、明らかに教師や保育者は誠心誠意子供のために頑張ろうとされているように思います。それにもかかわらずなかなか成果を上げることができないばかりか問題が増している状況の根底には、教育や保育の世界に流れる考え方や文化の影響があるのではないかなという気がしています。私がこのように考えるきっかけの一つは教師や保育者の皆さんがしばしば口にする言葉です。保護者から間接的に聞く時もあれば、なんらかの機会に直接聞くこともあります。私が気になってしまう発言の多くは表面的には悪いものではありません。礼を失しているとか子供を悪様に言うといったものではないのです。むしろ、本人は善意で言っておられるのだろうなと思えるものが多いです。

 よくよく考えた上で口にする発言よりも、何気なく話したことや、むしろ良かれと思って話すことにその人の基本的な考えが反映されます。私は教師の発言そのものよりも、そういった発言をする背景となる考え方や文化が発達障害を有する子供たちの指導者としてあまり適切ではないのではないかと気になってしまいます。このような、よく耳にする気になる一言にまつわる話をしていきたいと思います。単なる私の思いつきですし、一体誰の役に立つのかという気がいたします。しかし、同じ発達障害を有する子供に関わる別の立場の人間の感想は、教師や保育者の皆さんの参考になる可能性も多少あるのではないか、とこっそり思ったりもします。

【目次】

・診断書を書いてもらってください

・検査をしてもらってください

・接し方/指導の仕方を教えてください

・障害ではなく個性だと考えています

・障害なのか我が儘なのか分からないんです

(続く)

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