思いがけず時間ができたので、本田英美は机に頬杖をついてぼんやりしていた。視線を向けた診察室の窓の外では色付き始めた紅葉の葉が風に揺れている。英美が診療している発達障害専門外来は原則予約制で、一人当たりの診療時間が結構長くとってある。毎日隙間なく組み込まれた受診予約に沿って子どもたちの診療をしているのだが、たまに予約のキャンセルがあるとポッカリと時間が空いてしまう。こういうぼんやりしている時には得てしてあまり面白くない記憶が蘇ってくる。今日の英美は先週参加した学会での出来事を思い出していた。その学会で、英美は注意欠如多動症患者を対象としたワーキングメモリ検査得点と薬物治療との関連について検討した研究を発表した。時間内にプレゼンテーションを終え質問タイムになった時、演台に近い前方の席に座っている男性が手を挙げた。立ち上がりマイクへと歩む男性を見て、英美は見覚えがある顔だと気づいた。発達障害を専門とする臨床家や研究者なら知らぬものはいない大物である。自ら臨床に携わりながら子供の認知科学的研究でも多くの業績を上げているこの分野での権威である。男性はゆっくりとマイクを握り、穏やかな微笑みを浮かべながら口を開いた。「素人質問で恐縮なのですが...」。その言葉を聞いて英美はぞっとした。学会場で権威のある学者が口にする「素人質問で恐縮なのですが...」が本当に素人質問であることなど滅多にない。自分が最も力を入れて研究している分野とずれていますが、程度の意味であり、むしろ自分が興味を持つ領域だから食いついてきていることが多い。事実、この時に英美に投げかけられた質問は簡単に答えられるようなものではなく、彼女は脂汗を流すことになった。
「本田先生」、苦い記憶に浸っている時に診療所スタッフの吉川鉄子に声をかけられ、英美はハッとして振り向いた。「健太くんのお母さんと小学校の担任の先生がいらっしゃいました」と鉄子が告げる。健太くんは注意欠如多動症の小学生である。可愛らしい子なのだが、何しろ集中力が続かないし、思いついたことをすぐに行動に移してしまう。おまけに多少読字の拙さがあるため文章を読むことが苦手で、特に国語の時間は今何の説明をされているのかわからなくなることがしばしばある。そのため、授業中に離席したり、隣や前の席の子供に話しかけたり、時にはイライラして突然叫んだりする。すでに数年前から時々相談に乗っていたのだが、この日は担任の教師が医師に直接話を聞きたいと強く希望したため、母親と一緒に来院することになったのである。
2人を診察室に招き入れ、椅子を勧める。内心、ちょっと失礼かもしれないなあと思わせる程度に古くて薄汚れた椅子なので、少々気が咎める。しかし、綺麗な調度品を揃えるほど潤沢な予算はないので仕方がない。すでに馴染みの母親はリラックスしてすんなり座った。それに続いて担任の先生も椅子に座ったが、慣れぬ場で緊張しているのか硬い表情だ。英美は、2人が椅子に座ったことを確認してから担任の先生に顔を向け、「今日はどのようなご用件でしょうか」と質問した。間髪を入れず「今日は健太くんにどのように接すれば良いのか、どのように指導すれば良いのかを教えていただきたいと考えやってまいりました」と担任は口にした。一瞬、英美の脳裏には先週の学会で英美に質問した学者の顔が浮かび上がった。いったい何を言っているのだろう。教師が医師に、よりにもよって指導の仕方を尋ねるなんて。学会場で耳にする「素人質問で恐縮なのですが...」みたいなものではないか。だが、担任の先生の顔は至って真剣である。学会で質問した権威のような余裕に満ちた表情ではない。元々生真面目そうな先生に見えるが、英美に対しても真面目に真剣に質問しているようなのだ。
実は英美が教師や保育者からこのようなセリフを聞くのは今回が初めてではない。というか、何回聞かされたか覚えていない程度には経験している。このような質問をされるたびに英美は、教師や保育者が医者に子供の指導方法を教えてもらおうとして良いのか?それが許されるのなら医師が教師に病気の治療法を教えて欲しいと相談しても許されるのか?そうなのか?と叫びたくなる。もちろん本当に叫んだりはしない。何しろこの道20年のキャリアである。どんな質問を受けても涼しい顔をしていられるだけの自制心は身につけている。それどころか、発達障害を専門に診療していると必要に迫られて色々な付け焼き刃の知識だけは膨らんでいるので、一見それらしい返事をすることさえできるようになっている。しかし、教師としての職歴はないし、教育学を本気で勉強したこともない。自分の説明が本当にそれで良いのか自信がない。一見涼しい顔をしながらも、このような、立場が逆転しているだろうと言いたくなる質問を受けるたびに心の中に割り切れない思いが満ちてくるのである。
今日も英美はまずまず無難なことを説明し、健太くんの担任と母親はそれなりに腑に落ちた雰囲気で帰っていった。2人の姿が診察室のドアから出て行き見えなくなると、英美は溜め息をついた。「どうしました、浮かない顔ですね」と後ろから声がする。スタッフの鉄子である。鉄子はその名前に似合わずふっくらとした顔をしているし、物言いも優しげである。なぜ鉄子という名前になったのだろう。父親が製鉄会社の社員か大の鉄道ファンだったのかもしれないと英美は想像したりもするが、本当のところはわからない。
「また言われたよ、どのように指導したら良いか教えてくださいって、教師にだよ」と英美は愚痴った。
「あらあら、ぷんぷんせずに教えてあげれば良いじゃないですか」と鉄子。英美が10年前にこのクリニックで働き出した時にはすでに鉄子はいた。長年の付き合いのせいか、英美のことはその時々の気分まで鉄子は鋭く見抜いてしまう。
「だって、子供を指導するなんて、あっちの方が専門家でしょ。なんで医師にそんな質問ができるのかなあ」
「確かにそうですね。なんでなんでしょうね」
「うーん、よくわからないなあ。発達障害は『障害』なのだから明確な異常がある病気と感じているのかなあ。そう感じているのなら、医者だけが正しく診断し、適切な『治療』や『処方』ができると考えているのかもしれないけど」
「あ、そうかもしれませんね。発達障害といえばどうしても診断という話になりやすいし、医者が診断するものなら医者が治療や対処も考えられると思っている可能性はありますね」
「それは誤解なんだけどなあ。医者は教師としてのトレーニングを受けたことなんてないんだから。それに、発達障害に見られる特徴は正常の人には見られない特殊な異常なんかではなくて多くの人に見られる行動や認識の仕方のバリエーションにすぎないよ」
「先生、いつもそう言ってますね。そのことを理解していれば、指導方法や接し方なんて経験を積んだ教師や保育者なら日常の業務でしていることから発展させれば対応できそうですけどね」と鉄子。鉄子自身、以前は発達障害の子供は普通の子供とは違う独特の異常を持っている子供たちだろうとなんとなく考えていた。しかし、英美と一緒に働き出し、実際の子供達に接しながら英実から発達障害の説明を詳しく聞くうちに、以前考えていたことは誤解だったということを実感として理解できるようになった。発達障害と言われる子供は「正常」な子供とは明確に区別される「異常」があるのではなく、人としての行動パターンや物事の認識の仕方のバリエーションの範囲内にいる子供たちにすぎない。実際、診察室で出会う子供たちは決して想像を絶するような存在ではない。
「そうなんですよねぇ。教育や保育の専門家がわざわざ医者に質問するようなものではないんだけどなあ」
「でも先生、そうは言いながらもいつも説得力のある助言をされているじゃないですか。少なくとも、先生の返事を聞いた教師や保育者の皆さんは納得したような表情で頷いていますよ」
「そりゃあね、素人なりに勉強しましたもん。相談を受けるたびに、困りましたねぇ、で終わってたら格好つきませんものね」
「確かに。私がいうのもなんですけど、お医者さんって割と見栄っ張りというか、わかっているような態度を取りたがりますものね」
「ん?腹立たしくも鋭いご指摘、ありがとうございます。まあ、発達障害の診療に関連する書籍を読み漁りましたよ。応用行動分析の本には本当に助けられたなあ。読字障害や算数障害の本も目に付くものがあれば買って読むし。おかげで、『わかっているような態度』でものが言えるようになりましたよ。でもね、私自身が子供を教育指導したわけではないから、本に書かれていることの良し悪しを経験的に判断することはできないんですよ。ものを言いながらも、本当にこれで良いのかなあという疑問が常に付き纏う」
「教師や保育者たちが、先生が読んできたような本を読めばお医者さんよりももっと実践的な知識を得られそうですね」
「本当にそう思う。教育や保育を実践している専門家が関連する書籍を読めば、そして、そうすることで得られるノウハウをお互いに伝え合えば、医者なんぞが口を挟む余地もない大きな成果を上げると思いますよ。実際、そのように実践されている先生方もいることはいますよ。個人的にも知っていますし」
「教師が医者に指導方法を尋ねるのは格好悪いという意識がもっと広まると良いですね」
「本当にそうですよ。でもね、教師や保育者の先生方の立場に立つと同情してしまう点も多いんだなあ」英美は眉をひそめながら言う。
「どうしてですか?」診察室の窓のブラインドを下ろしながら鉄子は尋ねた。
「おそらく彼らは、子供の年齢ごと、学年ごとに一律の目標を持って指導することを求められているみたいなんですよ。特に、小学校以降の教科教育は基本的には学習指導要領に沿って教えなければいけませんからね。だから、学年ごとに期待される『子供像』を前提にした指導には慣れているのだけど、平均的な子供からはずれた特徴を持っている子供への指導技術には通じていないように見えますね。先生なんだから個々の子供の特徴に合わせて理想的な指導をするべきだ、って主張されても戸惑ってしまう先生が多いのではないかなあ」
「おやまあ、それは気の毒ですね。といって、医者に指導方法を聞きにくるような状況が良いとも思えないし、大体診察室でサラッと総論的な説明をされても現場で実行するには色々難しさもあるかもしれませんね」
「その通りだと思いますよ。先生によっては、医者の話を聞きながら『現場のことをわかってないなあ』と内心イライラしているかもしれませんしね」
「どうすれば子供達が救われる状況ができるのかなあ」
「私は、そもそも発達障害支援の仕組みを医療ベースで考えることは間違っていると思うんですよ」英美は机の上の鉛筆を突っつきながら言った。
「というのはどういうことですか?」
「発達障害支援は基本的に生活支援ですからね。学校や保育所などの子どもたちの生活環境が暮らしやすくなることが根本的に目指すべきことですからね。これは医療の手に余る。やはり、教育や保育自身が発達障害児を受け入れるキャパシティを増やさないといけない。そのためには行政のシステムとして教師や保育者を援助する仕組みが必要だと思いますよ。先生達からの相談を受けたら専門的な知識を持ったスタッフが現場に赴き、教師や保育者に助言をしながらその取り組みが成果を上げるところまで確認するような制度ができるといいんですけどね。そのような組織的な取り組みの中で医学的な知見も必要ということであれば私たち医療者が協力すればよいし」
「それはもっともな意見ですねえ。でも、行政の上層部や政治家がこういうことに理解を持たなければなかなか実現しないかもしれませんねえ。あ、診療時間が終了しましたよ。お昼ご飯を食べに行きましょう」
「そうですね。鉄子さん、お供いたします」
「今日の私のお弁当には、先生が褒めてくれた卵焼きが多めに入っていますよ」
「ごちになります」
0 件のコメント:
コメントを投稿