2026年1月25日日曜日

障害なのか我が儘なのか分からないんです

  「障害なのか我が儘なのか分からないんです」は、発達障害診療の中で医師が保育者や教師から(時には保護者からも)直接受けることが多い質問です。言葉を素直に受け止めるなら、このような質問には障害と我が儘は明確に異なったものという前提がありそうです。そして、質問者は子供に見られる振る舞いが障害としての特徴なのか我が儘なのかを判断したいのにわからないと悩んでいるようです。障害としての表現なのか我が儘なのかがはっきりしたら、その先どうしようというのでしょうか。おそらく、障害の特徴なら許し助けてあげるけれど、我が儘なら厳しく指導する、くらいのことを考えておられるのではないかと想像します。

 この様な質問をされる方は、国際生活機能分類(ICF)が定義する意味での障害を理解できていない、発達障害特性の連続性を理解できていない、「我が儘」という言葉が何を意味するのか考えていない、のいずれかまたは全てだろうと想像しています。国際生活機能分類(ICF)が定義する障害については、まずは別項(「障害ではなく個性だと考えています」)をご参照ください。一言で言えば、個人の健康状態を基盤とするなんらかの特性と生活環境のミスマッチがもたらす暮らし難さや生活の困難さが障害です。目が見えないとか耳が聞こえないなどの身体的、機能的問題があるかどうかが障害かどうかの境目ではありません。活動や参加が妨げられた状態、すなわち生活することの困難さ、平たく言えば暮らしづらさがあるということが障害と判断できる目安です。

 次に、発達障害の連続性について説明します。多くの発達障害は、その行動や認知の特徴で定義されています。例えば、不注意さ、人の気持ちを読み取ることの難しさ、読字の非流暢さなどです。このような行動や認知の特性は「ある」か「ない」かや(+)か(-)で表せるものではありません。なぜならそれぞれの特徴の程度は連続的だからです。例えば、不注意かどうかを明確に線引きすることはできません。人は誰しも不注意さを見せることがあり得るのですが、世間の目から見れば不注意さがほとんど目につかないように感じられる人もいれば日々不注意だらけに見えるような人もいます。そして、その間には様々な程度に不注意な人が無数に存在するのです。ここからが異常、と線引きすることはできません。となると、不注意さが主たる症状である注意欠如多動症の診断なんてできないではないかと思った方もいらっしゃるかもしれません。一応の目安はあるのです。それは、その不注意さが明確に生活の困難さに結びついているかどうかが境目になります。もちろん、これだってそれほど明確な判断はできません。本人、家族、保育者や教師、そして医師の感じ方に左右される面は必ずあります。しかし「生活の支障になる程度に」不注意だということがその不注意さが障害であるかどうかの判断基準であるということは断言できます。困っていれば障害だし、特別な支援や合理的配慮が必要となるのです。

 さて、「我が儘」とは何でしょう。明鏡国語辞典の語釈は「他人のことは考えないで自分の思うままに振る舞うこと。」となっています。他の辞書を見ても、日常的な使用に関しては似たり寄ったりの説明です。これを子供の能力や行動特性の面から説明できないかを考えてみましょう。「他人のことは考えないで」は他人の気持ちに想像が及ばないことと取れます。つまり、人の気持ちに対する鈍感さを示しています。もちろん、人の気持ちを理解した上で考慮に入れないとも考えられますが、「我が儘」という言葉の持つ子供っぽさからはそういう作為的な印象はありません。もし、理解できていてあえて考慮しないのなら、その振る舞いが結果として自分に何をもたらすのか、自分の社会的立場がどうなるのか、ということが計算できていないと言えます。つまり、先を見通し予測する力が弱いと言えるでしょう。「自分の思うままに振る舞う」ということは、自分の主張を曲げられない頑固さとも取れますし、思いついたことを後先考えずに実行しようとする衝動性とも取れます。抑制能力の弱さで説明できるかもしれません。そして結果としては、これもまた長い目で総合的に考えられる自分の利益の計算ができていないと言えます。

 人の気持ちに対する鈍感さ、思考の柔軟性の乏しさ、衝動性、見通しの悪さ、いずれも自閉スペクトラム症や注意欠如多動症に認められる特徴です。そして、上にも述べたように、このような特徴の程度は連続的です。多少の「我が儘」は多くの人に見られるもので、特に困りません。他者からひどく「我が儘」と見做される場合は、本人の暮らしにくさにつながります。そうなると、本人の力だけでは健康的、建設的に暮らせなくなります。放置して潰せば良いのでしょうか?そんなはずはありません。どの子供も、可能な限り健康的に成長させてあげなければなりません。そう考えると、迷うことなく援助の対象になります。生活の支障になれば、困っていれば障害と考えれば良いということです。

 このように考えてくると、「我が儘」という概念を再定義したくなります。「我が儘」とは大人の側から見た大人の都合で成り立つ言葉だと言えます。大人が正しいと考えるように子供が行動しない、大人が我慢すべきと思うことを子供が我慢しない、ということを表した言葉に過ぎません。子供の立場に立って考えれば、何らかの行動特性や思考の特性から大人から非難され暮らしにくくなっている状況なのですから援助が必要な状態なのです。障害と我が儘を明確に区別できるという考えが、そもそも的外れであり、本質を見えなくしているのではないかと思います。

 さて、結論を言えば、障害でも我が儘でもいいじゃないですか。両者に共通して言えることは、自覚があるかどうかは別にして生活の中で困っている状態だということです。助けてあげましょうよ。世の中には、素敵な世界があるんだということを教えてあげれば良いじゃないですか。

「先生、お言葉を返すようで恐縮ですが」:目次

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