子供が学校や保育所などで何らかの問題があってうまく暮らせていないときに、前項で書いたように保育者や教師の皆さんは診断や診断書を求めることが多いです。これに加えてしばしば耳にする言葉が「検査をしてもらってください」です。きっかけとしては、集中できない、かんしゃくが多い、指示が通らない、人の気持ちがピンとこない、など初めて診断を求める際と似たり寄ったりです。小学校になれば、本が読めないとか計算ができないなど、学習に関連した問題がきっかけになることも増えます。
「検査をしてもらってください」には謎がいっぱいです。まず、「検査」とはいったい何を指しているのでしょうか。発達障害の(あるいは疑われる)子供に関する話なので、おそらく認知機能検査あるいは心理検査の類と思われます。世の中には記憶、知覚、実行機能などの個別の認知機能に関する検査や適応行動の評価など山ほど検査があります。ただ、その辺りを熟知されている教師や保育者の先生は多くないので、ほとんどの場合は知能検査や発達検査と呼ばれるものを指しているのだろうと思います。しかし、集中力がないとかかんしゃくとか交友関係がうまくいかないなどの問題があるときに知能検査をする意味なんてありません。学習の問題なら多少の関連はあるでしょうが、それにしても知能検査をすればどの教科のどの単元が難しいだろうということや、どういう指導法で子供が学習内容を理解できるのかが分かることはほとんどありません。実際に学習に取り組んでいる状況をつぶさに観察する方がよほど対策に直結する情報を得ることができます。
簡単に片付けると大変失礼ですが、安易に「検査をしてもらってください」とおっしゃる先生方のほとんどは検査がどういう意義を持っているのか理解されていないのではないかという気がします。知能検査にはどのような課題が含まれ、それぞれの課題から算出される得点がどのような意味を持っているか、あまりご存知ないままに検査に謎の効用を漠然と期待しておられる方がほとんどではないでしょうか。そういえば、検査で発達障害の診断ができると考えておられる先生方も多そうです。知能検査で評価する対象は言葉の通り知能です。注意欠如多動症や自閉スペクトラム症などはあくまで日常生活の中で観察される行動で定義されていますので、知能検査結果で診断できるわけではありません。現在発達障害に関連した診断病型で、診断に際し知能検査の重要性が高いものは知的発達症(知的障害)と限局性学習症(学習障害)だけです。しかし、この2つの病型であっても検査のみが診断を支えるものではなく、むしろ日常生活の中での適応状態や行動を確認し、知的発達症や限局性学習症の診断が実生活の状態をよく説明できていることを示す必要があります。
以上述べてきたように、発達障害に関して何よりも検査が優先される状況などというものは滅多にありません。しかし、教師や保育者の先生方が「検査をしてもらってください」と強く主張すると保護者も不安になり、医療機関に検査をすることを強く希望するという状況が頻発します。このことに関しては、一方的に教師や保育者を責めるのは気の毒な状況もあります。どういうことかというと、知能検査によって多くのことが明らかになるという幻想を持たせそうな説明をする医師や心理師も多いからです。学習や発達の問題があれば知能検査が必須であると医師や発達相談に出務している心理師が患者の親に説明することが結構あります。まるで特定の支援方法が有効であると知能検査の結果から証明されたように説明されることもあります。自閉スペクトラム症や注意欠如多動症の診断根拠が全て知能検査所見で説明されている医療機関の書類をこの目で見たこともあります。これらの状況をしばしば目や耳にしていれば、学校園の先生方が知能検査に過剰な期待を持ってしまうことも無理からぬ話かもしれません。しかし、知能検査をして得られることは非常に少ないのです。認知能力の特性が漠然と掴めることはあります。しかし、どの教科のどの単元が理解できるかどうかの予測はできませんし、学習に困難を示す子供の具体的な支援方法を編みだせることもほとんどありません。ましてや、自閉スペクトラム症や注意欠如多動症など日常の行動特徴から定義されている状態の診断の根拠になることは決してありません。知能検査さえすれば明らかになることが色々ある、あるいは知能検査をしなければ手が打てないなどと主張する医療機関は少々怪しいと疑った方が良いと思います。
子供の日常に何らかの問題があるのなら、そしてそのことで子供自身が困り保護者が心配しているのなら、まずは検査のことには触れずに医療機関に相談してごらんなさいといえば良いのではないでしょうか。どうしても知能検査が欠かせないかどうかは医師に任せれば良いのです。「知能検査や発達検査は害がないしやってもバチは当たらないだろう」程度に考えている方がいれば、それは間違いです。知能検査や発達検査は結構子供にとってストレスになることが多いです。しかも、かかる医療費もそれほど安いものではありません。このご時世に、無駄に子供を辛い目に合わせたり意味のない医療費を発生させたりすることが許されるとは思いません。
最後に、医療における検査の位置付けについて触れておきます。医師は基本的に臨床経過や診察所見から推定できる病態を裏付けるために検査を計画します。検査をすることでどの様な結果が出そうか、そしてその結果を得ることでその後のどのような具体的対応に結びつけられるかについて、ある程度の見通しを持っていることが前提です。具体的目的意識を持たないままに、とりあえず検査をするということは通常ありません。いや、正直に言いますと、とりあえず検査を絨毯爆撃のようにしてしまう医師もいるにはいます。しかし、その様な医師は医療の世界では恥ずかしい存在とみなされます。検診や人間ドッグなどは多少「とりあえず検査」に近いかもしれませんが、それでも対象集団において頻度の高い疾患を念頭に置き、有意な所見が得られた時は次にどう進めるのか具体的な対応が想定されています。それぞれの検査の具体的意味やその結果の具体的利用方法を考えることなく検査を計画することは、少なくともまともな医療機関ならしないということを知っていただけると嬉しいです。
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