2026年2月11日水曜日

寄り添う

  ほとんどの保育者や教師と、支援が必要な子供について10分間くらい話していれば、何回か耳にしそうな言葉が「寄り添う」です。まあ、悪い言葉ではありません。「困っている子供にしっかりと寄り添いたいと思います」などと言われて、非難できる人がいるとは思えません。子供の幸せを願う善意に溢れた表現です。問題は、この言葉が何を意味しているのか不明確だということです。辞書的には、寄り添うは本来、体が触れそうになるほど近くに寄ることを意味しています。物理的に相手の体の近づくことを意味しています。3つ4つの辞書で確認しましたが、似たり寄ったりの語釈が書いてあります。

 まさか先生方は支援が必要な子供に常にピッタリと体を引っ付けようと考えているわけではないでしょう(特殊な場合はそれが必要なこともあるかもしれませんが)。してみると、「寄り添う」という言葉で具体的にはどういう行動を言い表そうとしているのでしょうか。「先生は『寄り添う』という言葉で具体的に何を言いたいのですか?」などという意地悪な質問をしたことはありません。注意深く見守りたいとか(そう言えば、「見守る」も曖昧な言葉ですが)、時々の子供の気持ちを汲み取り共感を示していきたいなどの意味で「寄り添う」と仰っているのかなと推測しています。いずれにしても、随分曖昧な表現です。率直に言えば、多くの場合は先生ご自身が「寄り添う」の具体的な意味をそれほど深く意識せずに口にされているのではないかという気がしています。

 一般的に、発達障害のある子供が生活の中で何かがうまくいかず困っている時、そこには理由があります。もともと本人が持っている特性と本人を取り巻く環境がうまく噛み合っていないことが日々の困難に結びついています。問題を解決し、物事がうまくいくように子供をサポートするためには、問題が生じる理由をできる限り推測し、具体的な対策を実行する必要があります。例えば、不注意さが強く文字の読みが苦手な子供が授業中に立ち歩いたりかんしゃくを起こしたりして困っているとします。当然、授業中は色々なことが上手くいかず不愉快な時間を強いられている可能性が考えられます。集中できないので先生が何を話しているのかわからない、課題の量がとんでもなく多く感じてしまう、文章を読むことに過剰な努力が必要で疲れ切ってしまう、といったことが起こっているのかもしれません。そうであれば、不注意さを補うような指導の工夫をする、流暢に文字が読めるような練習をする、疲れ果てながら教科書を読まなくても学習が進むように本や問題を読み上げることや音声教材を使うことを検討する、などの対応が必要になります。つまり、問題が生じる原因や仕組みを具体的に想定し、それに対する具体的な作戦を立て実行していく必要があるのです。

 何をするのか具体がわからないものの、悪意を含まず何かをしているように思わせる表現は確かに便利です。私達医師が使うその種の言葉に「様子を見ましょう」とか「経過を見ましょう」という言い回しがあります。一見意味ありげにも見えますが、この一言だけで済ますなら極めて無責任な発言だと思います。どのような可能性が考えられるのか、いつまで経過を見るのか、何に気をつけておく必要があるのか、次に受診するのはどういう時か、などのことを具体的に説明しておく必要があります。

 医師も教師や保育者も専門性を持った対人サービス職です。漫然と流すのではなく、技術的に何が必要で何が不要なのかを可能な限り具体的に考え、そして現時点でわかっていないことやできることの限界も具体的に言及する姿勢がいるのではないかと思います。「寄り添う」という言葉を使うこと自体が責められるわけではありません。しかし、「寄り添う」と口にするだけで何かを言った気になり、具体的な行動計画には全く触れない姿勢はできるだけ避けた方が良いのではないでしょうか。

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