2026年1月31日土曜日

ぶりょうをかこつ

 僕は非社交的な人間なのだが、時々食事に誘ってくれる友達が少数いる。先日も長年仲良くしてくれている年下の友人から「久しぶりに飲みに行きましょう」と誘いの連絡が入った。時々このように年寄りを誘ってくれるとは優しいなあ、といった意味の返事を書きながら「ぶりょうをかこっている年寄り」という表現が頭に浮かんだ。そのまま書きそうになったものの、「そもそも『ぶりょう』ってなんだ?漢字はどう書くのだ?」という疑問が湧いてきた。スマホに任せれば勝手に漢字を書いてはくれそうだが、ここまで意味も把握せず字もわからない使い慣れない言葉をさも知ったげに書くのはちょっと恥ずかしいなと感じて思いとどまった。

 せっかくなので(なにが?)辞書を引いてみた。そうか、「ぶりょう」は「無聊」と書くのか。「無」という字を使うことは知っていたが、「聊」は初めて知った。で、「無聊」はどういう意味かといえば、「することがなくて退屈なこと」とある。なるほど、そうなのか。明鏡国語辞典には「心配事があって気が晴れないこと」という語釈も載っているが、「無聊をかこっている」の日常的な使われ方から考えるに「することがなくて退屈なこと」の方がよく使われる意味だろう。案の定、明鏡国語辞典には「することがなくて退屈なこと」という語釈の用例として「無聊をかこつ」と書いてあるではないか。やはりこっちだ。ん?、え??、「かこつ」??
 僕は「無聊をかこっている」という表現の「かこっている」は「囲う」の活用形だと思い込んでいた。「かこつ」だったのか。知らなかった。しかし、「かこつ」ってなんだ?「かこつ」を辞書で引くと「託つ」と書くらしい。意味は、「ぐちをいう、嘆く」ということらしい。つまり、「無聊を託つ」はすることがなくて退屈だと愚痴っているのである。し、知らなかった。この勢いで、「聊」という漢字は何なのかを調べることにした。なんと、送り仮名「か」をつけると「いささか」と読むらしい。「些か」とも書く「いささか」であるが、「聊か」という表記もあったんだ。うーむ、知らんことばかりではないか。「聊」を漢和辞典で調べると、ここに書くには多すぎる多くの意味が記されている。なんということであろう。知らないことが多すぎるではないか。
 人生の折り返し地点なんてとっくの昔に通り過ぎて、間も無くゴールの白いテープさえ見えるかもしれない年齢に至ってこの体たらくは情けない。もともと身につけたものが少ない上に、脳みそからばらばらと音を立てて知識がこぼれ落ち出した老人がなんとか大恥をかかぬように暮らすためには無聊を託っている暇なんてないのである。

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