2026年5月5日火曜日

アセスメントとは

  このシリーズは「アセスメント」をテーマとして取り上げてきました。アセスメントとは一体何でしょうか。いくつかの英和辞典を”assessment”で引いてみると、「意見、判断、評価、査定」などの訳語がつけられています。ついでに国語辞典で「アセスメント」を引くと、「評価、査定」などの語釈が載っています。まあ、要するに「評価」といっておけば良いのではないかと思います。この「学校園でできるアセスメント」シリーズの中でも「アセスメント」と書いてみたり「評価」と書いてみたり、表記がブレブレです。さて、私の個人的経験からは、教育畑や心理関係の人は「アセスメント」という片仮名言葉を使うことが多いような気がしています。そのことにどういう意味があるのか、実は私にはわかっていません。でも、「学校園でできる」ということを意識して、学校の先生方の真似をして片仮名の「アセスメント」をタイトルに入れてしまいました。でも、文字数節約のためにこれ以降は「評価」を使います

 さて、アセスメントでも評価でも良いのですが、これは何を意味しているのでしょうか。「観察する」ことと「評価」は違うのでしょうか。評価も観察の一種と言えそうですが、観察の方がより漠然とした印象があり、評価には何やらきちっとした印象があります。「しっかり観察する」や「よく見る」よりも「評価する」ことの方が何か具体的な意味が付加されているように思います。私なりに評価とは何ぞやということを考えてみました。

 まず思い浮かぶことは、評価項目、つまり何を評価するかということが具体的に定義されているということです。身長や体重、知能、視力など、評価するものが明確です。医師の診察も一種の評価であり、やはり具体的な評価項目が決まっています。例えば、呼吸音や心音、腹部や顎下頸部の触診、眼球結膜、口腔および咽頭粘膜、などなど。医師の専門性によってもその組み合わせは変わりますし、患者の主訴によっても評価項目の力点の置き方が変わります。多くの場合、改まって評価するという場合、評価項目は複数あります。

 次に必要なことは、個々の評価項目を定量する、あるいは分類するための尺度の存在です。視力や体重など、連続変数で表せるものもあります。顔色や発疹、奇形などは連続変数として測定することはできませんのでカテゴリーを定義して分類するということになります。もちろん、発疹は分類した上で大きさや数を測定することもありますので、同一評価項目に対して評価尺度は1種類とは限りません。子供の書いた文字なら「読める」「読めない」の2カテゴリーかもしれませんし、「読めるし上手」「かろうじて読めるが下手」「なんの字か推測できるが不正確」「全く読めない」の4カテゴリーに分けても良いかもしれません。

 評価項目を特定し、どのような尺度で評価するかが決まれば、次いで必須の要素は観察条件や評価方法です。血圧なら朝起床後1時間以内に安静状態にして上腕部で測定するとか、血圧計は何を用いるのかとか。知能の評価ならどのような部屋で、どの種類の知能検査を用いるかを考えなければいけません。授業中に見られがちな問題行動であれば、当然授業中に教師自身、あるいは参観者が観察するのが自然です。前回書きました様に、ターゲットとする問題行動を具体的に規定する必要があります。行動が生じる前の状況、生じた後の状況を合わせて記録する、といった具体的な観察方法を考えておく必要もあります。

 単なる観察ではなく評価と称するからには以上の観点が欠かせません。では、評価項目、尺度、観察条件と評価方法が決まれば評価は成立するのでしょうか。とんでもありません。これでは最も重要な要素が欠けています。何の問題もなく幸せに暮らしている通りすがりの人を評価しようと考える人はほとんどいません。評価をする前提として、まずは問題意識や目的意識が存在するはずです。学校で考えれば、生徒を成長させたい、生徒が困っている、周りの人々が困っている、などの背景があり、状況を改善するために何らかの手を打ちたい、というときに人は評価することが必要だと考えます。問題を解決するために、あるいは目的を達成するためにどのような手を打つかという具体的対処方法を計画することと評価は密接に結びついています。目的別に考えるとどのような評価があるでしょうか。

 まず思いつきやすいことは現状を把握するための広範囲の評価です。現状で、何がうまくいっているのか、そして何がうまくいっていないのかを明らかにするための評価です。問題を特定することや目標設定をすることのために行います。学校で行われている学力評価などはこのような性質のものではないかと思います。評価の性質上、評価項目が多くなります。したがって、非常に手間がかかることになりやすいです。また、特定の対象をピンポイントで評価するわけではありませんので、個々の評価項目に関しては手間の少ない大雑把な評価方法を使いがちで、結果の解釈が曖昧になりやすいです。また、何を目的として現状を評価するのか明確にし、評価対象者の属性、例えば年齢などを十分に考慮して評価項目を決定する必要があります。子供の学力が伸びているかどうか知りたいのに生活の質(QOL)の評価をしても検討はずれですし、小学校1年生に5年生用の学力試験を行なっても得るものはありません。

 問題の原因や発生機序を明らかにするために行う評価もあります。問題解決(何らかの指導目標達成も含めて)のためにはどのようなプロセスが必要でしょうか。問題を具体的に特定することが最初に行なうべきことです。ふわふわと「何だか困りました」と思っているだけでは前に進めません。いつ、どこで、何をしているときにどの様にうまくいかないのかということを、日常生活全体を見渡しながら具体的に状況を整理します。問題を感じる状況を具体的に整理できれば次になすべきことは、何が問題を生じさせているのかについて仮説を立てることです。そこに辿り着くことができれば評価の出番です。仮説に関連した変数を評価の対象とするのです。例えば、全般的に理解が悪いのではないかと考えれば知能検査を計画することになります。文字の読みが下手なのではないかと考えれば読字能力の評価をすることになります。問題を具体的に絞り込めるほど、そして可能性のある仮説を明確に用意できるほど、評価は効率の良いものになります。

 問題の原因や発生機序に関する仮説を立て、それを評価で裏打ちできたのであれば、その仮説に基づき対処方法を立案することになります。計画された対処方法が有効なものであったかどうかを検証するときにも評価が必要になります。そのときに重要なことは、対処によって何を目標にするのかを具体的に設定することです。読める文字を増やしたい、3、4位数の乗除の筆算を解けるようにしたい、授業中の立ち歩きを減らしたい、などと具体的な目標を決めることでそれに応じた評価項目が自ずと決まります。

 さて、以上が私の考えるところの評価です。このような考え方が妥当であるならば、評価というものは基本的に現実を具体的に把握することで問題そのものや問題が生じる状況を整理し、そこから問題が生じる原因や機序を想定した上で、具体的に設定された目標に向けてもの事を進められるように、具体的に計画された対処方法を実行するという一連の過程の補助となるものです。常に補助的役割しか担いません。評価よりも先に、現実の子供をしっかりと観察し、問題を整理し、目標を設定し、計画を立てるという営みの中で必要に応じてより緻密な評価がなされるべきものだと思うのです。バランスを考えることも重要です。精密な検査をすることにこだわって時間がかかりすぎたり子供の負担や経費が大きくなったりすれば、評価をする相対的な価値が下がります。また、問題を具体的に把握できていない状況や、問題にしか目がいかずなぜそのような状況に至ったのかを分析推理しようとする意思がない時や、評価結果をどのように利用するかという評価後の具体的計画がない状態では、評価は成り立たないし意味を持ち得ないのです。評価、すなわちアセスメントは漫然とするべきものでは無いということを強調したいと思います。

 最後に、知能検査について私が考えていることを書いておきます。WISC-5などのフォーマルな知能検査は多種類の評価項目から構成され、結果も複数の指標が算出されます。そのため、現状を広範囲に評価できる、あるいは問題の原因や発生機序を明らかにすることができると思われがちです。しかし、実際にはそれほど多くを期待できる検査ではありません。一言で言えば全般的な知能レベルを知ることができるだけと考えておくのが妥当です。現状を広範囲に評価できるわけではありません。社会性や行動特性の特徴を明らかにすることはできませんし、学業成績との大まかな相関はあってもどの教科のどの単元が強いとか弱いとか細かく具体的な評価はできません。問題の原因や発生機序に関しても、日常生活での詳細な観察を通して立てられた仮説と検査結果との間に矛盾がなければ仮説の正当性が強化できるという程度です。皆さんがよくご存知のワーキングメモリーを例にとれば、WISCでワーキングメモリー得点が低くても日常生活では結構人の話を確実に聞き取れていることはしばしばありますし、その逆もあります。言語理解得点が高い割に、日常生活では人の言葉を正しく理解できていないことが多いという場合もあります。WISCをすればこそ立案できるし、WISCなしでは成し得ない具体的な支援計画なんてものはほとんど存在しないのではないかと思います。

2026年5月3日日曜日

問題行動(行動問題、チャレンジング行動)

  今回は、いわゆる問題行動と言われている子供の振る舞いの評価について説明したいと思います。ここでいう問題行動は、集中の難しさ、立ち歩き、かんしゃく、暴言、暴力などを含みます。最初に指摘せねばならないことがあります。それは、一般的に問題行動は適応的行動と考えられているということです。つまり、その子供が置かれた生活環境の中で自分が必要なものを何とか手に入れることや、耐えられない状況から何とか逃げ出そうとするための止むに止まれぬ行動であり、本人が何とか編み出した適応的な行動なのです。そう考えると、その振る舞いがいかに不適切かと説教することで解決することが非常に難しいことがわかります。止むに止まれぬ行動であり、その子供にとっては辛い状況を脱する手立てが他にないのですから、そうそうやめるわけにもいきません。子供の不適切な行動、しかも、繰り返し生じる行動への対処の基本は、そのような行動を取らずにはいられない苦しみから解放することです。その子供にとって必要なものをいかに与えられるか、その子供にとって堪え難い苦痛からいかに解放するか、ということが対策の主眼となるのです。これらのことを念頭に、「問題行動」という用語の代わりに「行動問題」とか「チャレンジング行動」という用語を推奨する人もいます。ただ、現状では通りが良いので、この文章では「問題行動」という言葉を採用しています。

 以上のことを前提として、問題解決に向かうための問題行動のアセスメントはどのように進めたら良いでしょうか。一言で言えば、その行動を起こすことで子供が何から解放され、何を得ることができるのかを見つけるためのアセスメントが必要です。そのためには、問題行動そのものだけに注目していてもあまり得られるものはありません。では、何に注目すれば良いのでしょうか。

 問題行動に限らず人の行動は基本的に環境に左右されて決まります。いや、人は自分の意思に基づいて行動するはずだ、と疑問を持たれる方も多いかもしれません。中には「俺の取る行動は全て俺の自由意志に基づいている!」と強く主張される方もいらっしゃるかもしれません。そのような方を論破できる力は私にはありません。ただ、現実場面で人を指導する時、好ましい行動を取るように指導するにせよ、好ましくない行動を減らすように指導するにせよ、行動は環境によって規定されているという前提を持って指導計画を立てるとうまく行くことが多いのです。ということは、問題行動のみに目を向けるのではなく、その行動をとった子供がどのような環境に置かれていたのか、ということを知る必要があります。この文章では、その立場から問題行動をアセスメントする方法を説明します。

 まず、アセスメントの前提として、教師や保育者が問題と感じている行動を具体的に規定する必要があります。ルールを破る行動とか、わがままな行動とか、規律を乱す行動、などのように漠然とした捉え方ではいけません。友達の気持ちを考えないとか、努力しないとか、我慢が足りない、などのように目に見えない内面を取り上げることはもっといけません。極めて具体的に、かつ自分の目で確認できるように規定することが必要です。例えば、友達が使っているおもちゃを無理やり取り上げるとか、先生が説明しているときに大声を出すとか、授業中に席から立って歩き出す、のような形で規定する必要があります。その説明を他の先生に口頭で伝えたとき、相手が自分と同じ行動を思い浮かべられるように説明できたなら、具体性が高いと言えます。同じ子供に複数の問題行動が見られることがよくありますが、同時に全ての問題を解決しようとすると失敗します。まずは一つか二つの行動に絞ってアセスメントし、その対策を練ることをお勧めします。その際、どういう観点で絞れば良いでしょうか。自然な発想としては、本人ないし周囲の人々への影響が大きい、より深刻な問題から選ぶという方法があります。しかし、長期間にわたり先生が苦労して対処しているのに問題だらけ、という状況では、最も深刻な問題を変化させることは並大抵の努力では難しいです。「これならなんとか変えられそうだな」と思える、本人にとっても先生にとってもハードルの低い問題に絞ることが良い場合が結構あります。ささやかなことであっても、良い方向に進めることができたら子供本人も先生ご自身も自信がつきます。新たなことに挑戦しようという元気が出てきます。

 対象となる問題行動を具体的に決めたらアセスメントを開始しましょう。まず評価すべきことは発生回数あるいは発生頻度です。これは単なる私の偏見のような気もするのですが、保育者や教師の先生方はあるかないか、解決したか解決しないか、という1か0かの思考をする傾向が強い人が多いような気がします。しかし、生物が起こす現象に有るか無いかだけで変化するようなものは少ないです。紆余曲折しながらも次第に減少するとか増加するといった変化を示すものが多いです。生徒(いうまでもなく生物です)の行動も、ゆっくりと変化することは多いです。その動きを確実に把握するためにはできるだけ定量的に評価しておく必要があります。発生数が多くていちいち記録できない、というような場合でも半定量的な把握は可能です。例えば、1回の授業あたり数回か、数十回か、1日に数回か、週に数回か、くらいの把握をしておくだけでも変化を捉えられることが多いです。なお、週に数回程度の現象であれば、スキャタープロット(図6)に記録しておく方法があります。問題行動を観察した時間にチェックを記入するだけなので簡便ですし、次に記載するような行動の発生要因を深掘りする際にも役に立ちますので、お勧めです。

 問題行動の頻度を把握することと並行して行うことは、その行動が生じる環境のアセスメントです。頻度の把握と異なり、一つ一つのエピソードの評価が原則です。環境の特徴を把握するためのポイントは、問題となる行動が生じる前の状況と、行動が生じた後に見られる変化です。環境を分析する際に収集すべき情報は客観的に五感で確認できる事実のみです。その子供は〇〇君にライバル意識を持っていたとか、家庭では親があまりその子供に温かい接し方をしていないというような客観的な根拠がない情報を紛れ込ませないように充分気をつけるべきです。観察された事実を明確にし、自分の主観を紛れ込ませない態度が必要です。もう一点、把握できた事実は、必ず記録に残しましょう。図7に示したようなカードをあらかじめ用意しておくと良いかもしれません。頻度が高くて全ての詳細な記録が難しい場合は、前後の状況をしっかり把握できているエピソードのいくつかについて記録するだけでも役に立つと思います。

 問題となる行動の前に見られる状況についてはざっくりと2つのポイントを明確にしておく必要があります。第1は、ある程度時間の幅を持たせた事実です。いつ、どこで、何をしていたか、周囲には誰がいたか、といったことなどです。時間の幅には明確な縛りはありません。具体的に分かれば朝からその時までどのような経過があったかを記録しておいても何かの役に立つかもしれませんし、さらには過去半年間を視野に入れても構いません。例えば、2ヶ月前から明確に問題が増えたという事実があるのなら、2ヶ月前にどのような環境変化があったのかを探ることでヒントが得られるかもしれません。しかし、事細かに記録することには限度がありますので、そこは臨機応変にしてください。少なくとも、学校でのことなら問題が生じた時の授業または休み時間内のことはできるだけ詳しく記録に残しましょう。保育園や幼稚園なら問題が生じたときにしていた活動内容や場所、周囲にいた人(当然、担任の先生自身も含まれます)を具体的に記録します。行動の前に見られる状況の第2のポイントは、行動が生じる直前に起こった事象です。つまり、直接のきっかけに見える事象がなかったかということを把握できる限り明確にしておきましょう。例えば、先生が計算の間違いを指摘した、隣の子供がつっついた、全員が一斉に起立して椅子を引く音が鳴り響いた、という様なことです。
 事前の状況を具体的に把握することで、問題が生じやすくなる環境条件や問題を引き起こす直接的な要因に気付けることがあります。例えば、算数の時間が妙に多ければ、算数の授業という環境がその子供にとって適応しづらいものなのかもしれません。説明されていることの意味が理解できないとか、逆に簡単すぎて退屈すぎるとか。給食の時間になると揉めやすいのであれば、ひょっとすると感覚過敏があり臭いがその子供の不快感を高めているのかもしれません。また、先生の注意や叱責をきっかけに問題が生じるのであれば、否定的な言葉がけへの耐性がないのかもしれません。就学前か就学後かに関わらず、事前の要因としてしっかり吟味しておくべきことは活動や課題が本人にとって適切なレベルかという点です。活動や課題内容が本人にとっては難しすぎる、多すぎる、あるいは簡単すぎる(退屈)、ということが問題行動に結びついていることは驚くほど多いです。先に触れたスキャタープロット(図6)は事前の状況を分析する際に役立つ情報を提供してくれることが多いです。

 行動が生じた後の変化について具体的に把握すべきことは、事態が完全に鎮静するまでに本人及び他の人のとった行動です。他の人の行動はその場にいた全ての人の行動です。当然、その場にいたのなら教師や保育者自身の行動も含まれます。先に、問題行動は一般的に適応的行動と考えられると述べました。つまり、その問題を起こすことで子供自身が、最適な形とは言えないし一過性かもしれないけれども、苦しい状況から救われるのです。行動が生じた後の周囲や本人の変化を把握することは、その行動が持つ子供にとっての意味を推測することにつながります。その行動が具体的にどのような成果を子供にもたらすのでしょうか。多くの場合、要求が通る、嫌なことから逃げられる、人からの注目、のいずれかです。少し質の違うものとしては感覚刺激への欲求というものもあります。皮膚を掻きむしる、自分の頭を繰り返し叩く、などの自傷行為の一部(全てではありません)は特定の感覚刺激への欲求によって維持されます。これは他者を巻き込む騒動になることは少ないと思いますが、先生がやめさせようとして細かく叱り続けると騒ぎが大きくなるかもしれません。

 要求が通ることの例は子供同士の関係性ではしばしば見られます。かんしゃくや暴力によって相手が使っているおもちゃを取り上げる、自分がしたい遊びに無理やり参加させる、といったことなどです。2、3歳児なら普通に見られる現象ですが、年中、年長クラスの子供や小学生であれば適切な言動で他児とうまくコミュニケーションを取ったり良い関係を築いたりすることが難しいという本人の特性が背景にあることが多くなります。そう考えると支援の糸口が見えてきます。嫌なことから逃げられる例としては、授業中に大声で騒ぎ回り授業を中断させるとか教室から追い出されるというような展開があるとき、その授業が理解できず苦痛に満ちていた可能性が考えられます。授業中に素っ頓狂な発言をしがちな子供は、自分の言動で周囲の子供達が笑いながら自分に注目していることがポイントかもしれません。人の注目を集めるための言動でわかりにくいものは、叱責されることです。相手が親や大好きな先生の場合、叱責されていることが本人にとっては注目されているという意味を持つことがあります(多くの場合、本人には意識はされていません)。このような場合、叱ることで問題行動を定着していることになります。

 この話は以上です。生徒の問題行動に頭を悩ませている先生は、是非ともこれらの観点を意識したアセスメントをしてください。これだけの情報を揃えることで、この分野に詳しい人に助言を求める際に有益な回答を引き出しやすくなりますし、先生ご自身の子供の行動を見る目が広がっていくと思います。最後に、問題行動への対処には応用行動分析の知識が有用であることを付記しておきます。興味のある方は、応用行動分析について解説した書籍がたくさん刊行されていますので、それらのいくつかを手に取ることをお勧めします。

「学校園でできるアセスメント」:目次







2026年5月2日土曜日

算数の問題

  昔から、勉強の基本は読み書き計算と言われています。これは今でもそう変わっていないのではないでしょうか。読み書き計算がしっかりとできていれば、国語や算数以外の勉強を発展させることができます。逆に、読み書き計算で大きく躓けば、国語と算数にとどまらず、他の教科でも早晩うまくいかなくなることが予測できます。したがって、学習に関する問題では最初に読字の問題について取り上げました。当然、次に進むべきは算数の問題だろう、ということになります。しかし、困りました。算数能力の評価と言いましても、算数にはとても多くの要素が絡んでいます。とても私なんかに解説できる代物ではありません。よわった、よわった、と唸っていると良いアイデアが浮かびました。「そうだ、学校でもできるアセスメントを書いた良書を紹介してお茶を濁そう!」

 早速良い本を紹介するとしましょう。まずは、「読字の問題」でも紹介した稲垣真澄先生たちのチームによる「特異的発達障害診断・治療のための実践ガイドライン―わかりやすい診断手順と支援の実際―」[1]です。この本には、読字能力の評価法だけではなく、算数に関わる力の評価方法が記載されています。この本に記載された算数関連の評価は大きく分けて(1)計算障害の評価と(2)算数思考課題から構成されます。(1)にはI. 数字の読み(4桁までの数字呼称)、II. 数的事実の知識(一桁の数の加減乗除)、III. 筆算手続きの知識(筆算による加減乗除)が含まれ、それぞれ正誤の判定と回答までにかかる時間が評価されます。(2)には集合分類、集合包摂、可逆の評価が含まれます。

 次に紹介する書籍は熊谷恵子先生と山本ゆう先生による「算数障害スクリーニング検査: 適切な学習指導は正確なアセスメントから」[2]です。カバーする範囲は稲垣先生らの本と大きくは違いません。ただ、特に就学前から小学校算数の初期にかけて細かく評価できるように考えられています。同じ著者らによる「通常学級で役立つ 算数障害の理解と指導法」[3]も併せてお薦めしておきます。[2]に比べて支援の工夫についてページを多く割いています。

 アセスメントというテーマからは外れますが、算数教育に関連してぜひ紹介したい本がもう一冊あります。河村 暁先生による「数量処理とワーキングメモリから読み解く… 教室の中の算数障害 認知の視点でつくる教材と学習支援」[4]です。認知科学的な視点から、算数で躓く子供のベースにはどのような特徴があるのかを事細かに解説しています。また、現場でどのような工夫ができるのかということについても沢山提案されています。

 さて、4冊も素敵な書籍を紹介したので、この節はここで終わっても良いのではないかと思います。終わっても良いのかもしれませんが、駄文を重ねたいと思います。もう少し、お付き合いください。これらの書籍の中に記述されていることではあるのですが、小学校の先生に特に意識していただきたいことを指摘しておこうと思うのです。それは、最も基本的な段階で躓いていることを見逃され続ける子供の存在です。正確な頻度は把握できていませんが、決して稀ではないと考えています。少なくとも、私の外来ではしばしばお目にかかります。

 熊谷恵子先生と山本ゆう先生[2][3]によれば、算数障害は(1)数処理、(2)数概念、(3)計算、(4)数的推論(文章題)という4つの領域に整理されます。この4つの領域は、おおよそこの順番で子供が算数を習得する過程となります。(1)数処理は、数詞、数字、具体物の対応関係の理解です。(2)数概念とは数における性質を理解することで、順番を表す序数性の理解と量を表す基数性の理解という2つの側面があります。(3)計算は加減乗除とそれらの筆算の理解です。そして(4)数的推論には問題をイメージに置き換える統合過程と立式するプランニング過程が含まれ、これらの前後に読字読解能力と計算能力も必要となります。このうち、(2)の数概念が習得できているかどうかは分かりにくいのです。(1)から(4)はおおよそこの順番で習得されると申しましたが、(2)が不完全であっても(3)計算を手続として行えることがあります。そのため、数概念の理解が不十分なまま見逃され続け、学年が上がっていく子供たちがいます。習っている学年相当の課題に一見取り組めているので、多少躓いても努力で切り抜けられると判断されやすいのです。しかし、基本的な数概念が習得できていなければ、簡単な計算のうちは計算の意味が心底腑に落ちていなくても操作手順を覚えることでなんとか誤魔化せますが、しばらく同種の問題に取り組んでいないと解き方を忘れてしまい手に負えなくなります。

 1年生から2年生にかけて徹底的に確認しておくべきことは数概念(序数性と基数性)がしっかり身についているか、ということです。もちろん、それ以前に数処理が確実にできているかということは重要です。しかし、これは割とわかりやすいと思います。数を唱えさせる、物を数えさせる、数字を読ませる、数詞に応じた数字を書かせる、などの活動をする中で、身についていない部分はすぐに明らかになるでしょう(とはいえ、個別に確認する機会を設けたほうが良いでしょう)。数概念、特に基数が身についているかどうかは通常の算数指導の場ではわかりにくいため、あえて確認する必要がありますし、そのための方法を知る必要があります。

 数概念については、1年生の前半では10までの数を、後半に向かって120程度の数を把握できているかについて評価していくことになります。それぞれのレベルにおいて、序数性と基数性の両面の理解を確認していく必要があります。また、基数性に関連して分離量の理解だけでなく、連続量の理解に繋がっているかも確認していきます。序数性を理解するということは、数が系列であって順序を表しているということを理解することです。序数の理解の確認は数を正確に唱えられるかどうかを見ることが基本です(図4の問1)。10までは正しく唱えられても、二桁になると順番が怪しくなる子供がいます。数を唱えることができたら、数と数の順序関係を把握できているかどうかを確認する必要があります。二数の大小関係を確実に答えられるかを確認する方法もありますし、図4の問2のような数列の穴埋めをさせるという方法もあります。

 基数性を理解するとは、数を量として把握できることです。もっとも基本は、具体物を数え上げたときに最後の数がそこにある物の量を示しているということを理解しているということです。例えばおはじきを「1、2、3、4、5、6」と数えたら、そこにはおはじきが6個あると、まとまりあるいは量として把握できることです。これがしっかりと把握できていない子どもは、10個のおはじきを順次数えることができても「おはじきを10個ちょうだい」と言われると正しく渡せないことがあります。この感覚は、分離量にとどまらず、連続量にも拡張します。連続量として把握できているかどうかを確認する方法として数直線を用いる方法があります。図5の問1のように数直線上の任意の位置が幾つに相当するかを答えてもらったり、問2のように任意の数に該当する数直線上の位置を答えてもらったりします。また、図5の問3のように、ある長さの直線が特定の数に対応するとき、別の数に対応する直線を書かせるという方法もあります。序数性が身についている子では大小関係を間違えることはありませんが、比率としてはかなり出鱈目な直線を引いたりします。例えば問3の1)で、3に対応する直線として1に書いてある線よりかろうじて長めの線を描いたり、5倍近い長さの線を描いたりします。

 数概念が十分に身についていないまま九九や筆算に取り組まされ続ける子供達が思ったより多いということを小学校の先生方には意識していただきたいということを強調して、この項は終わろうと思います。


参考書:

[1] 稲垣真澄(編集代表)、特異的発達障害の臨床診断と治療指針作成に関する研究チーム(編集)「特異的発達障害診断・治療のための実践ガイドライン―わかりやすい診断手順と支援の実際―」診断と治療社、4,180円

[2] 熊谷恵子、山本ゆう「算数障害スクリーニング検査: 適切な学習指導は正確なアセスメントから」Gakken、2,860円

[3] 熊谷恵子、山本ゆう「通常学級で役立つ 算数障害の理解と指導法」Gakken、2,200円

[4] 河村 暁「数量処理とワーキングメモリから読み解く… 教室の中の算数障害 認知の視点でつくる教材と学習支援」明治図書出版、2,266円