まず、発達障害(最近では医学的概念である神経発達症という名称を使う人も増えています)の代表的で頻度の高い診断概念である、注意欠如多動症や自閉スペクトラム症の傾向をどのように評価するかから解説します。この2つの診断概念には大きな共通点があります。それは、日常生活の中で見られる行動によって定義されているということです。具体的に言いますと、注意欠如多動症は不注意と多動-衝動性に該当する行動が多いときに診断します。自閉スペクトラム症は社会的コミュニケーションおよび対人的相互反応における欠陥と、限定的で反復的な行動・興味・活動に相当する行動が多いときに診断します。こう説明すると単純に見えますが、これらの行動特徴があるかどうかを判断することは結構悩ましいです。それは、いずれの特徴もどうなれば条件を満たせるかが曖昧だからです。教師や保育者にはWISCなどの知能検査推しの方が多くいらっしゃり、注意欠如多動症や自閉スペクトラム症を思わせる子供がいると、とにかく検査をしてもらえと保護者に勧めます。しかし、知能検査は診断には全く影響しません。その子供の日常の様子をよく知る人の観察が最も重要な情報源になります。それぞれの具体的な症状は次節以降で説明しますが、ここではわかりやすい不注意を例に説明をします。
不注意とは、必要な対象に注意を向けられない、必要な対象に注意を持続できない、ということです。そのため、具体的には気が散ったり、忘れ物が多かったり、不注意な失敗をしたりします。さて、気が散ることや忘れ物をすることは正常とは異なる全く異常な特徴でしょうか。そんなことはありません。だれだって気が散りますし、忘れ物をします。誰にでもあることではありますが、様々な程度があります。非常に集中力が高くこまめな確認を怠らないので気が散ることも忘れ物をすることも滅多にない人がいます。逆に、常に気が散るし日々忘れ物のオンパレードと言える人もいます。そして、滅多に気が散らない人と常に気が散る人の間には様々な程度に気が散る人がいるのですから、気の散りやすさというものは連続的なものとして評価することができます。では、気が散りやすさが「ある」と見做すことと「ない」と判断することの境界はどのように決めれば良いのでしょう。
実は客観的な基準なんてありません。頻度の観点でとても多いときや、程度の観点でとても激しいときにその特徴があると判断します。などと説明してもやはりスッキリしませんよね。結局のところ、本人や見ている人の主観によって決まります。対象となる子どもが属する社会の平均的感覚に基づいて、「多い」「目立つ」「困りそう」と感じられるレベルかどうかによって判断します。つまり、注意欠如多動症の症状としての不注意があるかどうかの境目は極めて曖昧なのです。さらに、本来は「あるかどうか」で表現できるものではなく、強いか弱いかという程度問題で考えるのが妥当です。不注意という一つの要素だけではなく、注意欠如多動症という診断概念についても本当は診断される人と診断されない人という異質な集団があるわけではありません。「注意欠如多動症的な傾向」が弱いあるいはほとんど見られない人から非常に強い人まで連続的に捉えることができるわけです。
実際に医師が注意欠如多動症や自閉スペクトラム症を診断する際には公的な診断基準に依って診断します。現在よく使われている診断基準はアメリカ精神医学会が出版している「DSM-5-TR精神疾患の診断・統計マニュアル」[1]か、世界保健機構WHOが作成した「ICD-10疾病及び関連保健問題の国際統計分類第10版:精神および行動の障害」[2]という診断基準集です。いずれも、できるだけ診断する人によって結論がぶれないように、一つの行動特徴、例えば不注意を評価するにあたって複数の観点から判断するようにしてあります。それでも、最終的には主観に左右されるということには変わりはありませんし、連続的に評価できる性質の特徴であることも同じです。なお、現実の臨床場面ではDSM-5-TRが用いられることが多いようです。また、ICDがすでに第11版(ICD-11)が公開されていて、日本でも間も無く新しい版が用いられ出す予定ですので、現行のICD-10は早晩使われなくなります。そのため、この文章で診断基準に触れるときにはDSMー5ーTRを用いることにします。
教師や保育者が、注意欠如多動症や自閉スペクトラム症という概念の定義と曖昧さ知り、健康とされる人と診断される人との間の連続性や境界の不鮮明さを理解することには大きな意義があると私は考えています。先生方の目の前には何も問題がない「健常児」と、明らかに異常な「発達障害児(注意欠如多動症や自閉スペクトラム症を含む)」がいるのではありません。単なる子供集団がいるだけなのです。そして、個々の子供がそれぞれの行動パターンや認知パターンの個性を持っています。例えば、非常に細かい対象に注意を集中し過ぎてしまう子供もいればもっと広い範囲に注意を間配れる子供もいますし、あまりにも広範囲の対象に注意が拡散する子供さえいます。注意機能の配分の、様々の程度の個人差が見られます。注意が拡散すればするほど周囲からは「気が散りやすい」「集中できない」子供として目立つようになりますし、様々な活動での失敗に繋がり暮らしづらくなります。そうなると、支援が必要になるということになります。注意欠如多動症や自閉スペクトラム症に見られる特徴は特殊な病的サインではなく人としての行動や認知のバリエーションにしか過ぎず、平均からのずれが大きくなり過ぎたために暮らしにくさにつながった状態と考えれば良いのです。
次節以降は、注意欠如多動症的傾向や自閉スペクトラム症的傾向をどのように評価するか、具体的に説明します。実際のDSM-5-TR診断基準を読んだことのある方もいらっしゃるかもしれません。そこには注意欠如多動症と診断するための該当症状項目数やその他の条件などが書かれています。しかし、教師や保育者の皆さんは、診断することを目的にしないでください。第一に、迂闊に診断名を口にすると子供自身や保護者との関係を大きく損なうことがあります。あくまで自分が指導する子供に対する理解を深める糸口として利用することを考えてください。第二に、診断できるかどうかで配慮するかどうかが決まるわけではありません。言い換えれば、どの程度以上これらの特徴が強ければ配慮が必要になるという境界線はないのです。程度の強い子供ほどしっかりと配慮しなければ子供が本来持っている能力を発揮できなくなる可能性が高くなるということであって、これらの特性が弱い子供であっても不注意や多動-衝動性を念頭に置いた配慮が助けになることはあります。どの子に対しても、その時々の必要性に応じて配慮し支援するという意識は大切です。
この文章は支援の具体を説明することが目的ではありませんが、支援に関連して意識していただきたい注意点を書いておきます。注意欠如多動症の傾向や自閉スペクトラム症の傾向が見られるとき、そのような特徴はその子が本来持っている人としての振る舞い方や物事の認識の仕方の特徴です。暮らしにくさにつながらなければ性格とか個性と称しても良いものです。さてみなさん、冷静に自分を振り返ってみましょう。あなたは自分の性格を根本的に変えることはできますか?おそらく、自分の意思で性格を大きく変えることのできる人はいないと思います。せいぜい、違う性格を演じることが少しできる程度ではないでしょうか。注意欠如多動症や自閉スペクトラム症の傾向は子供自身の意思で変えることはできません。したがって、こういう傾向を変えさせようと指導することは違う人間になれと強要することに他ならないのです。こういう行動特徴を変えるのではなく、これらの特性があってもうまく生活できるように必要なサポートを提供し、ゆくゆくは自らそういう工夫ができるようになることを目指すということをしっかりと意識していただきたいと思います。
参考書:
[1]APA、日本精神神経学会、他「DSM-5-TR 精神疾患の診断・統計マニュアル」医学書院
これはとても高価な本です。なんと23,100円もします!精神疾患の診療をする医師なら1冊買っておけと強く言えるのですが、教師や保育者が買うべき図書とは言いにくいです。ただ、一度目を通しておくと診断基準に書かれていることの理解が深まります。興味を抱かれた先生は、まずは図書館で目を通すことをお勧めします。詳しい解説を省いて診断基準だけ掲載したものとして「DSM-5-TR 精神疾患の分類と診断の手引」という書籍もあるのですが、これでも5,500円します。
[2] WHO、融 道男、他「ICD-10 精神および行動の障害―臨床記述と診断ガイドライン(新訂版)」医学書院
これは5,280円で、DSM-5-TRよりも随分安いです。しかし、お勧めしません。WHOはすでに新しいICD-11を発表しており、間もなく日本でも取り入れられる予定です。ICD-11での神経発達症の診断基準はDSM-5-TRに非常に近いものになっています。
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