2016年1月17日日曜日

大人の矜持

 海街diary第7巻が出た。最初の4巻か5巻は大人買いしたので、一気に楽しめた。そこまで読むと当然次が読みたくなる。しかし、第1巻が2007年に刊行されて以来、1年か2年に1冊しか出てこない。なんと待ち遠しいことか。第6巻から1年半を置いてめでたく第7巻が出たわけである。今回も一気に読んで、ああ面白かったと終わるところなのだが、妙に印象に残った場面がある。それは、大船の大叔母さんが遠い地にある高校に進学することを決めたすずに、「...困ったことがあった時はちゃんと誰か大人に話すこと...(略)...遠慮することはないわ 大人は子供を守るものなの...」と話す場面である。僕がこの場面に注目したのには伏線がある。第1巻には、すずの父親の葬式の場面がある。頼りない義母が喪主の挨拶を中学生のすずにさせようとした時、初めて出会った異母姉である幸がそれを止める。「これは大人の仕事です!」「大人のするべきことを子供に肩がわりさせてはいけないと思います」と幸は言うのである。第1巻のこの場面が強く印象に残っていたため、大船の大叔母さんの言葉にも注目したのだと思う。
 子供が大人になる過程で親や教師から散々聞かされる2種類の言葉ある。「まだ子供なのだから...」と「もう子供じゃないのだから...」。一体どっちなんだと悪態をつきながら、それぞれの子供はそれぞれのやり方で大人の介入に対応させられる羽目になる。まあ、子供を大人と対等に扱える訳がないし、といって成長を促す必要もあるので、子供に対して色々言を弄することにもそれなりに理由があるかもしれない。
 大人の子供に対する姿勢は大雑把に分けると2つの軸で理解できるのではないか、という気がする。一つはどう行動するかの判断を子供に任せる度合いが強いか弱いかである。もう一つは子供の行動の結果について責任を取ろうとするかどうかである。もちろん、いずれの軸も二者択一ではなく、個人個人で様々な程度に該当するのだろう。
 僕自身が良いと思うのは(実行できているという意味ではない)、子供自身に判断を委ねる割合が大きく、子供の行動の結果については自ら責任を取る大人である。僕自身を含めて、大人はともすれば先回りして細かく口を出し、子供が失敗しないように、問題を起こさないようにと誘導しがちである。しかしそういう対応を続けていると、子供達が何か有意義なことをすることよりも失敗をしないことを第一の目標としてしまいそうである。できるだけ子供に責任ある役割を任せ、何か上手くいかないことがあったときだけ大人が援助する。あらかじめどのような問題が起こり得るか予測し、ひどい失敗をしないようにだけお膳立てをしておく。残念ながら大きな問題が生じれば、そこは黙って大人が尻拭いする。そのようにやせ我慢するのが大人の矜持ってものではないかと思うのである。
 冒頭に挙げた海街daiaryだが、大人と子供の役割を明確に区別している。といって、登場する大人たちがすずの行動に細かく口を出している訳ではない。それどころか、日々の生活の中ではほとんどのことを本人に任せている。しかし、滅多にはないもののここぞという状況で、責任をとるのは大人だと明確に宣言するのである。そこに僕は格好良さを感じたらしい。

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