友人の小児科医は若い頃に岩国の大病院に勤務していたことがある。その友人がよく話してくれたことがある。彼が夜間の救急外来を担当しているときの話だ。友人は小児科医なので、子供の病気や怪我の治療をする。子供とはいえ、小学生くらいになるとかなり痛い処置でもぐっと我慢していることが多い。さて、岩国には米軍基地がある。そのため救急外来では米軍兵が治療を受けていることが多かったそうだ。友人が言うには、米軍兵は軒並み痛みを率直に表現するらしい。怪我の痛み、あるいは処置の痛みに対して、大きなジェスチャーとともに大声で叫ぶ人が圧倒的に多かったそうである。か細い日本人の子供が痛みに耐えている横で屈強の米軍兵士が大きな声を出して痛がっている姿を想像すると、申し訳ないが笑ってしまう。
しかしここで、日本人は子供の頃から忍耐心を持っている素晴らしい国民だという話をしたいわけではない。最近、この逸話のことを考えることが多いのだ。どうも解せないのである。屈強の米軍兵でさえ大声で痛みを訴えるのに、なぜ子供が我慢しているのだろう。岩国のことは知らないが、確かに自分の身の回りを見ても、子供達は結構我慢していることが多い気がする。幼い身で我慢することで、何か素晴らしいことが待っているのだろうか。なぜこの国の子供は我慢することを徹底的に刷り込まれているのだろうか。
2、30年前であれば、「我慢強い日本人の子供」という話に僕自身が喜んでいたと思う。このことに疑問を感じ出したのは、自閉症の子供たちの診療を通じてである。自閉症の子供たちは、激しい感情爆発や他者への攻撃性が問題になることが多いのだが、意外に知られていないことで深刻な問題が他にある。それは、自分の気持ちを表明することが苦手であることがとても多いということである。心理的、身体的な苦痛があっても、それを言葉で表現しにくい傾向が、どの患者でも大なり小なり認められる。「嫌です。」「辛いです。」「困っています。」「助けてください。」といった言語表現を適切なタイミングで発することが、ほとんどの自閉症児は下手である。自分自身で客観的に認識できていないことさえ多そうである。苦しいことを発信できず、助けを求めることもできないまま、ある限界を超えると破綻をきたして感情的な爆発につながったり、引きこもったりしてしまう。したがって、如何に辛さを表現できるようにするか、困っていると表明できるように促せるか、助けを求めることができるように導けるか、ということが自閉症支援の重要なポイントの一つとなる。
自分の気持ちや考えを表現することが苦手な人に、遠慮せずにどんどん気持ちを述べればいいのだよと説得してもあまり効果はない。積極的に表現させるためには、気持ちや願いを口にすることで何か良いことが起こることを繰り返し経験する必要がある。話した結果、願いが叶ったり苦しみから救われたりということを繰り返し経験することで、人は自分の気持ちや考えを口にしても良いことを確信し、積極的に話そうとする。少なくとも、願いが叶うかどうかは別にして、自分の気持ちや考えを表明したということ自体は温かく受け入れてもらう必要がある。もし、何かを言うたびに否定される経験を繰り返すと、自閉症児に限らず何も表現できなくなる。一種の学習性無力と言えるかもしれない。もともと表現することに難しさのある自閉症児は、簡単に躓いてしまう可能性が高い。
ところが、多くの自閉症児の日常を見ていると、上手くいかないことが多い。色々な理由があると思うのだが、個人的に大きいと感じていることをここでは述べておく。それは、多くの場面で(家庭、幼稚園、保育園、小学校、etc.)発言内容に倫理的正しさが求められるということである。いわゆる「我儘な」主張や、誰かの悪口、不平、不満、愚痴、欲望、あるいは「死にたい」といった縁起でもないことなど、倫理的に正しくない発言をすると直ちに非難され否定されるのである。目の前にいる人を傷つけるような発言ならまだしも、とりあえず誰も傷つかない状況での表現であっても直ちに否定されてしまう。これでは率直に気持ちを表明する力が伸びることはない。何もその意見に賛成しろとは言わない。だが、とりあえず「ああ、君はそう思うんだね」と受け止め、内容はともかく話してくれたことについては評価して欲しいのである。その上で、実現できないことやすべきではないことは、そのように説明すれば良い。しかし、我が国の世間は人の発言に対して厳しい。子供であっても「正しくない」発言は否定される。常に世間に受け入れられる発言のみをするように、耐え忍ぶことが美徳とみなされているようだ。
こういった傾向が影響を与えるのは自閉症児だけではないと、僕は考えている。冒頭に記した痛みを素直に表現できない子供達も、発言において我慢することばかりを要求され続けた結果ではないだろうか。別の例を挙げる。現在、僕は大学で教鞭をとっている。今の学生達は僕が大学生だった頃の学生達よりも穏やかで明るく礼儀正しい。しかし、何についても自分の考えを率直に口にできる人は少ない。何かを質問された時にはいつも「正解」が存在するという前提を持ち、その「正解」を探しているように見えることが多い。相手から反論されることをなんとか避ける様子が見て取れる。こういった大学生の様子も、救急室でひたすら痛みを我慢する子供も、必要な助けを求めることがなかなか上手くならない自閉症児達も、問題の根っこは共通しているのではないかという気がする。
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