不明瞭な話し方といえば、人は自分の名前を名乗る時にとりわけ不明瞭な物言いになるような気がする。学会会場で演者に質問する人は最初に名乗ることが礼儀なのだが、所属や名前を聞き取れることがほとんどない。音響設備が粗末なことが一因となっていることもあるのだが、その後の質問内容は聞き取れるので、同じように喋ってくれれば聞き取れるはずである。自分の耳が悪いせいかと思い、同僚に「最初名乗る部分がほとんど分からないんだけど」と言うと、その同僚も「僕にも分からん」と言っていたので、やはり人は自己紹介をする時に不明瞭になりがちなのかもしれない。
僕は自分の発音がモゴモゴと不明瞭であることを自覚しているし、学生からの希望もあって、講義の時にマイクを使う。当然、学生に意見や質問を述べてもらう時にもマイクを渡す。面白い現象に気がついたのだが、学生は自分がマイクを使うことを好まない。こちらが注意しないと意図的かどうかは知らないがマイクを持った手を下げて、マイクなしに話そうとする人が多い。特に顕著な現象として、自分の名前を名乗る時にマイクを使わない人が圧倒的に多い。
どうも世間の人ははっきりと名乗り、はっきりと自分の声を届けることに積極的ではないようだ。不思議な気がする。せっかく話すのであれば、自分が誰かを正確に認識して欲しいし、自分が話す内容をきちんと理解して欲しいのではないかと思うのだが。少なくとも、僕はそうだ。しかし、そう思わない人が少なからず存在するようである。
明瞭な話し方をしないということに関連して、別のことも書いておく。話の内容についてだ。世間には話す内容が明確でない人がかなり多い。結論をはっきり述べなかったり、いわゆるこそあど言葉つまり指示代名詞を多用したり、「〜みたいな」「〜な感じ」という表現を使ったり、結局何を主張しようとしているのか明確ではない物言いをする人がとても多い。発声が明瞭でないことと何か関係があるのだろうか。僕は外国の状況をあまり知らないが、少なくとも日本の社会では不明瞭であることが良しとされているような気がして、思考が単純な僕は毎日モヤモヤとしている。
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