こういう状態になる原因や機序は自閉症程には分かっていない。といっても、自閉症自体が謎に満ちているので、反抗挑戦性障害は謎だらけである。元々の脳機能や気質と関連する可能性も指摘されるし、ネグレクトや懲罰的しつけなどの養育環境との関連も指摘されている。遺伝的要因も否定できないのだが明確な証拠もない。要するに原因は分からないのである。「反抗挑戦性障害」という均質な集団がいるかどうかも分からない。最近では、幾つかのサブタイプが含まれているのではないかと主張されている。例えばBoyla(2014)は反抗挑戦性障害を刺激依存型、認知的過負荷型および不安型の3型に分類することを提唱している。ただ、現時点ではそういった分類の妥当性は明確ではない。まあ、つまるところ何かといえば口を荒らし、いらいらし、反抗的な言動をとり、ともすれば喧嘩を売る子供達である。
単なる小憎らしい悪ガキに診断名を冠して特別に配慮することには意味がある。反抗挑戦性障害の子供達は思春期前後に暴力や盗みなど非行に走る子供が一定割合存在する。誤解されないように説明しておくと、反抗挑戦性障害と診断された子供の大半は非行に走らない。ただ、平均的な子供に比較すると深刻な問題を起こす頻度が高いのである。また、不安障害やうつ病になる頻度も平均的な子供に比較すると高い。成長過程で、こういう将来建設的に暮らすことの障害となる現象を何とか回避できるかどうかが大きな問題となってくる。どうすれば良いのかと言えば、なかなか簡単に答えられることではないのだが、こういった子供達が社会を信頼出来ることに加え、自分の評価を落とさないように支えるサポートが必要なのではないかと思う。
反抗挑戦性障害の子供に関して、僕個人の中に確信めいた認識がある。客観的に証明されていることではない。単に経験上形成された個人的な考えである。それは、彼らは「懐いてくれる」ということだ。上に説明したように取っ付きの悪い連中である。とにかく口を開けば人の気に障る発言のオンパレードだから。ただ、そういう憎たらしげな物言いに引っかからずに、その子の言動を良いように良いように解釈した発言を繰り返すと、いつの間にか気を許し、素直に受け答えをする様になる。まるで、それまで必死に自分の周りに築いて来た防御壁を、自らあっさり壊してしまったような。「警戒体制解除!」である。そうなると、おいおいそこまで不用心で良いのかい?と尋ねたいくらいになることもある。
恐らく僕が初めて経験した反抗挑戦性障害の子と出会ったのは20年近く前である。おおよそ彼が小学校にいる期間を付き合った後、僕は当時の勤務先をやめ別の病院に移ることになった。最後の診察時に、その「悪ガキ」は無愛想な口調で僕が辞めることが如何に残念かをぼそぼそと語り、半泣きで見送ってくれた。それ以降、似たような経験を時々する。正直にいうと、行動の問題で幼児期ないし就学頃から経過を見始める子供の場合、繰り返し受診するのは親中心のことが多く、短い期間で繰り返し本人と面接できる機会は割と少ない。そのため、僕の抱いている「確信」は広く一般的に通用するものであると断言はできない。しかし、繰り返し本人に好意的な言葉をかけ続けた時に、一気に懐いてくれて、素直に話が出来るようになる反抗挑戦性障害の子供達は、全員とはいえなくとも、少なくないのではないかと考えている。そういう子供達は責められている時には頑に鎧をかぶっているが、好意的な態度にはめっぽう防備が手薄なのである。そこに彼らを少しでも暗い将来から遠ざけるための鍵があると思う。だから、子供達が口を荒らしたり反抗的な悪態をつく度に逐一叱責する指導者や親を見ると悲しくなる。「もっと忍耐強く待てませんか?あなた自身、我慢が大切と主張しているじゃないですか。」と言いたくなる。
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