2017年2月3日金曜日

大人ってえ奴は

 子供は能力が低いし、狭い世界のことしか分かっていないし、本当に大したことない奴らのくせに、いろいろ屁理屈をこねて大人を批判する。大人は信用できないなどとほざいたりする。全くもって度し難い奴らだぜ。子供は黙って大人の言うことを聞いていりゃあそれで良いんだよっ!と言いたくなることがないといえば嘘になる。しかし、事実大人は信用できないと思わせるようなことをよくしでかすのである。僕にも未だに忘れられない、大人に不信感を抱いたエピソードがある。

1)小学生の頃、僕は本が好きだった。それを良しとしてくれたのだろう。僕の親は、馴染みの本屋に話をつけ、僕が読みたいと思う本を何でも持って帰って良いことにし、その代金を払ってくれていた。おかげで暇があれば本屋に長居をし、延々としゃがみこんで立ち読み(?)をしていた。いつも立ち上がった時にはめまいがしていたことを覚えている。そして自由に本を選んで家に持ち帰り、続きを読んでいた。読みたい本を自由に読める環境を作ってくれたことを、今考えても親に感謝すべきことだと思っている。しかし、この思い出には消し難い染みがついている。ある日、僕はふと六法全書を手に取った。社会の仕組みも大して知らない小学生だったので、当然法律なんてよく知らなかった。ただ、世の中の様々なことが法律で定められており、法律は重要であることだけは知っていた。どんなことが定められているのだろうか。一度興味を持つと、当然好奇心を抑えられるわけがない。そこで、六法全書を読もうと考え、問題があるなどとは夢にも思わず、いつものように家に持ち帰ったのである。しかし、その時はなぜか母親が六法全書を見るなり怒り出した。何を言われたのか、はっきりとは覚えていない。なぜこのようなものを持って帰るのか。こんなものを読むと屁理屈ばかりこねるようになる。というようなことを言われたような気がする。そして母は、僕から六法全書を取り上げ、本屋に返したのである。好きな本を買って読めば良いと言われているのに、なぜ六法全書はダメなのか、しかも、叱られねばならぬ程のことだったのか。僕にはさっぱり分からなかった。当時全く納得できなかったし、いまでも納得できるとはいえない。

2)中学生になり、英語の授業が始まった。今は英語への苦手意識が強いのだが、中学生の頃は特に好きでもないものの、嫌いでもなかった。その頃、英語の授業内容のせいではないのだが、英語に関連して不満を持っていることがあった。それは、自分の名前を”Tatsuya Ogino”と書かねばいけないことだ。僕は取り立てて国粋主義者ではない。それどころか、その頃から無謀な戦争に走った日本を子供心にアホと違うかと思ったりするような子供だった。しかし、固有名詞、それも個人のアイデンティティである名前を別の言い方にすることに抵抗があったのだ。固有名詞なのになぜ他国の流儀に合わせねばならないのだろうか。しかも、国外では英語で表記するときもfirst nameを先に書かない国もあるらしいとも知り、なおのこと疑問を感じるようになっていた。そういう背景があったため、何年生の時か忘れたのだが、英語のテストで名前を”Ogino Tatsuya”と記述した。その日のうちか、後日かは忘れたが、英語の教師が僕を捕まえ、血相変えて怒り出したのである。年配の(といっても今の僕よりは若かったのかもしれない)女性であるその先生は、まさしく血相を変えていた。テスト問題への解答自体は結構良かったように記憶している。Family nameを最初に書いたというそのことだけで、目を釣り上げて叱られたのである。僕はそこまで非難されるようなことをしたとはどうしても思えず、ただただあっけにとられていた。

3)やはり中学校の頃である。理科の時間、おそらくエネルギー不変の法則のことを説明している時だったと思う。理科の教師が、「自転車のダイナモは、電灯をつけているときにエネルギーを生成しているので、回すのに力が必要になり重くなっている。電灯をつけなければエネルギーを消費しないので、軽く回せるはずである。しかし、実際には電灯をつけていなくてもダイナモをタイヤで回すと漕ぐ力が余分に必要になる。それはなぜだと思うか。」という問題を口にした。額が広く、ぎょろっとした目の、見るからに一癖ありそうな風貌の男性教師だった。僕が当てられたので、頭に浮かんだことを何のためらいもなく答えた。「電気を発生させるエネルギーが必要なくても、軸と軸受けの摩擦などで抵抗ができると思います。」てなことを答えたと思う(正確には覚えていないが、正解だったのだと思う)。教師は明らかにいらだった表情を浮かべ、あからさまに腹立たしそうな口調で、しかも皮肉な要素も湛えた口調で、他の生徒たちに向かって「荻野は頭が良いからすぐに答える。」と言い放ったのである。正解を答えたにもかかわらず、ほとんど晒し者のような目に遭わされ、しばらく事態をどう理解すれば良いのかわからないままに立ち尽くしていたことを覚えている。

 いずれのエピソードも、もう半世紀近く前のことである。しかし、今に至るまで、繰り返し思い出すエピソードである。なんども書いているが僕は記憶力が悪い。特に、エピソード記憶が悪い。だから、あまり具体的な思い出は多くないのだが、それでも繰り返し思い出すところを見ると、かなり印象深い出来事だったのだろう。いずれの状況も、責められるようなことをしたとは思えない。3)はまさに言いがかりであるが、他の2つにしても感情的に叱られるようなことだろうか。第一にこちらには悪意はないし、それどころか前向きな理由あっての行動である。もし間違っているのであれば、それを説明すれば良いことである。口を極めて非難するようなことではない。しかし、彼らは僕の行動に単に反対するのではなく、感情的に非難したり、晒し者にしたりしたのである。これらの記憶は大人に対して非常に暗い印象を僕にもたらした。
 とはいえ、僕自身が大人になってしまった。上記のエピソードに出てくる大人たちよりもおそらく年長になっている。自分が大人になると、上記エピソードの出演者である大人達の「気持ち」は分からなくはない。ああ、こんな子供を見たらイライラさせられるかもしれないなあと。しかし、気持ちは想像できても妥当な振る舞いだったとは、今でも思わない。大人が正当な根拠なく子供を責めるようなことをするべきではないと思う。
 さて、果たして僕は、かつての母親、英語教師、理科教師のような振る舞いをせずに済んでいるのだろうか。息子達や勤務する大学の学生達から責められたことはないが、彼らとてそう素直に不満を伝えてはくれないだろう。ひょっとしたら僕は、あの時の母親、英語教師、理科教師と同じ振る舞いを何度もしているのかもしれない。例えそうではあっても、敢えて主張したい。大人は、軽々しく感情的に子供を責めてはいけない。例え大きな問題があったとしても、ほとんどのことは責めるのではなく、説明すれば良いだけだ、と。

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