最近、大学教育改革に絡んで即戦力という言葉をよく聞く。これに関して思うところがあり、文章としてまとめようと思った。しかし、3年前に既につぶやいており、その後たいして進歩していないので、その時のツイをまとめておく。
2012年02月06日(月)
1)最近「即戦力」という言葉に不快感を感じる。妙に「即戦力」を求める企業が目につく。そう都合よく即戦力は手に入らんだろう。しかし、企業はまあ良い。大学や短期大学が自分たちの売りとして「即戦力を育てる」などとたわけたことをぬかしているのを見ることがしばしばあり、腹が立つ。
2)僕が病院で診療をしていたときのことを考えると、本人のもともと持っていた能力が高く、きっちりとしたトレーニングを受け、臨床での実戦経験も豊富な医師が同僚として赴任して来たら、「即戦力」と表現して喜んだろう。つまり、「即戦力」は「有能な医師」とほぼ同義である。
3)当然、「有能な医師」は短期間では養成できない。6年間の大学教育だけでは到底足りない。「有能な人」を育てるためには時間がかかるのは医師だけなのか?そんなはずは無い。多くの職域で優れた人となるためには本人の努力はもちろん、適切な育成環境と、長い時間が必要なはずだ。
4)「即戦力」を求める企業はどういうつもりだろう。長いトレーニングを受けたベテランしか採用しないよ、という意味だろうか。もし、大学卒業したての人間に即戦力たるを求めているのであれば、その程度のレベルの低い仕事しかしてないんだよ、と喧伝しているのだろうか。
5)非常に高度な能力を要する職場が「即戦力」として大学新卒を雇用しているのであれば、短期間使い回して早々に捨て去ることができる要員を求めているとしか思えない。しかし、企業が「即戦力」を求めるのは良い。それぞれが、それぞれの経営方針により採用計画を立てれば良い。
6)しかし、大学や短大自ら即戦力となる人材の育成を標榜しているのを見ると悲しくなる。「うちは単純作業ならすぐに取り組めるし、単純作業しかできない、使い捨て用の人材を育成してますよ。」と公言しているようなものだ。高等教育機関なら長期的に成長していく人物を育てるべきではないか。
2013年01月03日(木)
何故教師や保育士を大学で養成するのか。手遊びを覚えるだけなら専門学校で良い。手遊びが子供を惹きつける機構や発達段階との関係を探求することで、手遊びが有効でない時にどう解決するのかを考え出せるかもしれない。高等教育は問題を設定し解決する力を育てることだと思う。即戦力養成ではない。
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