2024年7月18日木曜日

R チャンドラー「ロング・グッドバイ」読後感

R. チャンドラーの「ロング・グッドバイ」を読んだ(正確には聴いた)。一言でいえば、私には関係のない世界だ。連日35セルシウス度近くまで気温が上がる日本の夏で暮らす人にとっては好きな時に好きなだけスイスのサンモリッツで暮らせる人が関係ないことと同じくらい別の世界だ。登場人物の間に交わされるセリフは、人によっては比喩に満ちた粋なセリフと感じるのだろうが、私には両者共に相手が何を言おうとしているのかわからないままに言葉を交わしているように見える。意味ありげに無意味な言葉を口にし、意味ありげに無意味な振る舞いをする。無意味にナイフをチラチラ取り出す人物もいる。村上春樹の訳は「いささか」という言葉がいささか多いことも鼻につく。主人公マーロウは劇的な事件の真相を解明していくが、どの様な考えで真相に至るのかは、マーロウがやたらと吸っている煙草の煙に霞んで何も見えない。あらかじめ設定された驚くべき筋立てに、登場人物がご都合主義に話を合わせている。読んでいる身としては、「ああ、そういう設定なんだね」と言いながら肩をすくめるしかない。プロジェクト・ヘイル・メアリーのDr.グレースはマーロウと同じアメリカ人とは思えないくらい良い奴だった。誠実に考え、誠実に振る舞った。多少、セリフの端々にマーロウからの伝統かなと思わせるキザな物言いをする時もあるが、読者を置いてきぼりにして自分の世界で良い気持ちに浸っていることはなかった。そうは言っても有名な古典の一つである。世界の村上春樹が翻訳しようかと考える小説である。読みたいと考える人は少なくないだろう。一つ忠告しておこう。「ロング・グッドバイ」を読みたいのなら、せめてAudibleはやめておくことをお勧めする。単調な文章は、せめて単調ではない読み手が読まないと聴くのが辛い。振り返るに、チャンドラーの文章には、ヤクザ映画を見たおっさんが両手をポケットに突っ込み、肩をいからせ、火のついていないタバコを前歯で噛みながら映画館を出てくるのにも似た影響力を感じる。

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