2021年7月18日日曜日

便利な概念

 色々な人が色々な場面で発達障害という言葉を口にすることがやたらと増えて気になる。発達障害は具体的な特徴としての定義が不明確な曖昧な言葉だ。だから発達障害という言葉で人の具体的な特徴を表現できるわけではないし発達障害と説明されて具体的な理解を得ることもできない。
 人々が発達障害という言葉を使いたくなる気持ちは分からなくはない。発達障害に含まれる診断概念は多数含まれるのだが、それぞれが分かりにくい。しかも同じ人が複数の診断に該当することが多い。発達障害と言ってしまえば何でも説明できそうで便利だ。
 発達障害とHSPは似ているなあ。非常に様々な意味を内包し、平均的な社会では暮らしにくさや生きづらさを感じる人々を一つのカテゴリーにまとめることができる。厳密な定義はないので、何か一つ二つ当てはまる特徴があればどんな人でも全て一語で括ることができる。
 名前が付くと人は安心できる。目前の現象を説明できそうな名前があれば、それに飛びつきたくなる気持ちは分からなくもない。しかし、厳密さを欠く名前で分類することでどんなメリットがあるのだろう。せいぜいその人は困っているというサインになるだけではないかな。
 自閉スペクトラム症やADHDという具体的診断名でさえ結構漠然とした概念で支援に直結しない。支援に慣れない人は診断というモデルをその人の困っていることや苦しんでいることを理解するための拠り所にしていると思うが、おそらく支援の達人は診断名には頼っていない。
 その人の行動の具体的特徴や困っている具体的な状況を観察し、それをもとに有効な支援方法を計画しているのではないかな。医療が必要な状況でも、精神や行動の問題に関してスキルの高い医師はそれほど診断名にとらわれていないのではないかと思う。
 人をカテゴリーに分類するよりも、人それぞれの特徴や困っていることを率直に受け入れ認められるような社会が理想なんだろうけど、理解や気づきを助ける働きがカテゴリーにはあるからなあ。カテゴリーを利用しつつもカテゴリーに囚われない人間理解の構築。難しいところだ。

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