しなければいけないことが多い時、人はするべきことと関係ないことに没頭しがちだ。「お前だけだ」という人もいるかもしれないが、そんなはずはない。少なくともそういう経験がわずかでもある人が大半である、と僕は確信している。という訳で、僕は今、ハ行の理不尽さに心を悩ませている。
語音の「が(/ga/)」と「か(/ka/)」は両者とも破裂音である。破裂音とは、発声する時に一旦空気の流れを完全に止めた後、気流を解放することで表現する音だ。「が」と「か」はどこで空気を止めるかも共通していて、舌の上面を軟口蓋に当てて気流を止める。何が異なっているかといえば、「が」は破裂する前から声帯が振動し音を出し始める有声音なのだが、「か」は破裂してから声帯が振動して音を出す無声音だという点である。「だ(/da/)」と「た(/ta/)」も同様の関係があり、前者は有声破裂音、後者は無声破裂音である。「が」「か」と異なり、「だ」「た」は舌の先と上歯茎で空気の流れを遮断し、破裂させる。
いずれも平仮名表記には同じ法則性があり、同じ文字に濁点を付ければ有声音、付けなければ無声音である。「ぎ(/gi/)」と「き(/ki/)」や「ど(/do/)」と「と(/to/)」も同じことである。
では、「が」に対する「か」と同じ関係になる「ば(/ba/)」に対する語音は何かといえば、「は(/ha/)」ではなく「ぱ(/pa/)」なのである。「ば」は有声破裂音である。どこで空気の流れを止めるかといえば、自分で発音すればすぐにわかるが上下の唇を閉じることで気流を止める。ところが、「は」は全く子音の種類が違っている。「は」には破裂の要素は全くなく、声門を空気が流れる時に発する摩擦音が子音になっている。これに対して「ぱ」が「ば」と同じく上下の唇を合わせて息を止める破裂音であることは、発音すれば容易に確認できる。
これがどうも解せない。なぜハ行の表記に濁音をつけるかどうかが有声音か無声音かの対立ではなく、全く異なる種類の子音を表すことになったのか。しかもバ行の無声音である相棒を表記するために半濁音などというものをこさえている。そういえば、半濁音はハ行にしかない表記である。うーん、分からない。
以前、昔の日本人はハ行を「ぱぴぷぺぽ」と発音していたと聞いたことがあるような気がする。記憶が不確かなのだが、もしこれが本当だとすればハ行の表記に濁点をつけるかどうかは有声音と無声音の対立だけを表す合理的表記だったのだろうか。となると、その頃は半濁音はなかったのだろうか。
ああ、悩ましい。誰か教えてくれませんか。でないと、仕事に手がつかない。
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